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伊藤健一郎 15年4月18日放送

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iConJohn
あの頃、あなたに憧れた。(甲本ヒロトの場合)

ブルーハーツ、ハイロウズを経て、
クロマニヨンズで活躍する
ロックンローラー、甲本ヒロト。

若き日の彼は、ひとりの男に憧れる。

男の名は、ジョー・ストラマー。
イギリスのパンクロックバンド、ザ・クラッシュのボーカリストだ。

甲本は言う。

 ジョーに憧れました。
 ジョーのようになりたいと思いました。
 ジョーのようになる?
 それは、彼の音楽やファッションを真似る事じゃなく、
 誰の真似もしないことでした。

ジョーに憧れた少年は今。
唯一無二のロックンロールをかき鳴らしている。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

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あの頃、あなたに憧れた。(ジャクソン・ブラウンの場合)

シンガーソングライター、ジャクソン・ブラウン。
『1970年代で最も完成された作詞家』と称される彼が、
音楽の洗礼を受けたのは1964年。16歳の頃だった。

ジャクソンはその日、ローリングストーンズのライブに出かけた。
そして、人生を変える景色に出会う。

 だれかが、灰皿で重みをつけたパンティーを
 ステージめがけて投げたんだ。
 そしたらキースに当たってね。
 僕と一緒にいた女の子は、すっかり正気を失ってしまった。
 それで思ったわけさ。“これを仕事にしなきゃ”って。

空を飛び交い埋め尽くす女性の下着。
実に仕様もない光景が、偉大なミュージシャンを誕生させた。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

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mpieracci
あの頃、あなたに憧れた。(スガシカオの場合)

シンガーソングライター、スガシカオ。
若き日のスガは、デビューに先駆け、
敬愛する村上春樹にできたてのアルバムを送りつけた。

差出人不明のCDが届いたその日のことを、村上はこう語る。

 「なんか変てこな名前の歌手だな」と思いつつ、
 とりたてて期待もせずに、そのCDをかけてみた。
 何かべつのことをしながら片手間に聴いていたのだが、
 聴こえてくる音楽の新鮮さに、はっとさせられることになった。
 スピーカーの前に座り、居住まいを正して、
 もう一度始めから聞きなおしてみた。
 そして「うーん、これ、悪くないじゃん」とあらためて思った。

村上が、特に気に入ったのは『月とナイフ』。
その曲は、こんな一言で始まる。

 ぼくの言葉が足りないのなら
 ムネをナイフでさいて えぐり出してもいい

スガがデビューして、もうすぐ20年。
送りつけられなくても、村上春樹はスガシカオを聴き続けている。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

150418-04
dishhh
あの頃、あなたに憧れた。(森田一義の場合)

森田一義は、歌舞伎町の小さなバーで、赤塚不二夫に見出された。
お笑いについて、映画について、絵画について、あらゆることを赤塚に学んだ。

赤塚との関係を、森田は振り返る。

 私の父のようであり、兄のようであり、
 そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、
 はるか年下の弟のようでもありました。

誰よりも慕った赤塚の葬儀で、森田はこんな弔辞を読んだ。

 私はあなたに生前お世話になりながら、
 一言もお礼を言ったことがありません。
 それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
 お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

森田の弔辞は、こう結ばれる。

 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 私もあなたの数多くの作品のひとつです。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

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月に立った男たち アラン・シェパード・ジュニア

 長い道のりだった。しかし、我々はここまで来た。

アポロ14号の搭乗員、アラン・シェパード・ジュニアの言葉だ。

ようやくたどり着いた場所。
月面歩行だけでは飽き足らずに、彼はなんとゴルフを始めた。

 月には空気がない。
 風もないからフォローもアゲンストも、
 さらにはフックもスライスもない。
 そのかわり、シャンクも見事なまでにまっすぐ飛んでいく。

第一打がダフリ、第二打はシャンク。
ゴルフとしては、惨憺たる成績だったが、
間違いなく、人類史上に輝くミラクルショットであった。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

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月に立った男たち バズ・オズドリン

 実は月面に降り立つ直前、
 はしごに足を掛けながら尿パックを満たしていたんだ。

そう語るのは、アポロ11号の搭乗員、バズ・オズドリンだ。
無酸素、無重力、人類未踏の大地に踏み出す瞬間まで、余裕たっぷり。
そんな彼にも、失敗談があるという。

 地球からのお土産を、月に置いてくるミッションがあったんだ。
 世界各国の首相や大統領のメッセージが入ったディスクや、
 ガガーリンのメダル…

任務を思い出したときにはもう、宇宙船に帰還するはしごの上だった。

 戻る時間はなかったから、思いっきり月面めがけて投げたよ。

あらゆる局面下で、柔軟な対応が求められる宇宙飛行士。
彼らの柔軟性は、どんなときでも忘れない自分らしさが生むのだろう。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

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月に立った男たち アームストロングとコンラッド

 一人の人間にとっては小さな一歩だが、
 人類にとっては偉大な飛躍である。

言わずもがな。アポロ11号の船長、ニール・アームストロングの言葉だ。
では、こんな言葉を、ご存知か?

 ウピー! ニールには小さな一歩だったらしいけど、
 俺にはずいぶん長くかかった一歩だぜ!

アポロ12号の船長、ピート・コンラッドの言葉である。
月へと続くはしごを一段一段ゆっくりと降り、月面に降り立つそのときに、
コンラッドの口を突いて出たのは「ウピー!」
中継するアナウンサーは、その言葉を正確に伝えるたびに、
笑いをこらえられなかったという。

アポロ計画以降も、数々の名言を残してきた宇宙飛行士たち。
だがしかし、はるか月から、地球を抱腹絶倒させたのは、
後にも先にもコンラッドただ一人。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

150215-04

月に立った男たち ユージン・サーナン

“月面に降り立った最後の人間”。
アポロ17号船長、ユージン・サーナン。

カソリック教徒であった彼は、宇宙での体験をこう口にした。

 地球はいきいきとして雄大で、
 その存在は、偶然の産物にしては
 あまりに美しすぎる。
 われわれより大きな何かが存在するはずだ。
 宗教的なものでなく霊的なもの。
 人間の作った宗教を超越する
 万物の創造主が、存在するに違いない。

もしも、サーナン船長のように、誰もが地球を俯瞰できたなら。
われわれ人類は、様々な隔たりなく、深く理解し合えるのだろうか。

アポロ計画が終了して40年余り。
サーナン船長を最後に、人は月を歩いていない。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

150215-05

月に立った男たち デイヴィッド・スコット

イタリアの物理学者、ガリレオ・ガリレイ。
1960年代初頭、彼の学説は宗教裁判にかけられ、終身刑を言い渡される。

それから月日が流れ、1971年。
アポロ15号船長デイヴィッド・スコットは、月面で、ある実験を試みた。

内容は、実にシンプル。
「ハヤブサの羽と、地質探査用ハンマーを、同時に月面に落とす」
というものだった。

そこには、宙をひらひら舞う羽も、
地表にどすんと落下するハンマーもなかった。
ただ、静かに、同じ速度で落ちていく。異なる質量を持つ2つの物体があった。

ガリレオの学説が認められて久しい今なお、その光景は目新しい。
偉大な物理学者の学説は、ひとりの宇宙飛行士によって実証された。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

150215-06

月に立った男たち ハリソン・シュミット

月に降り立った、唯一の科学者。ハリソン・シュミット。
アポロ17号の乗組員だった彼は、地質学の権威だった。

シュミットは語る。

 月は、天然資源の宝庫だ。
 土壌には、ヘリウム3が豊富に蓄積されているんだ。

ヘリウム3とは、核融合発電の燃料となる気体。
月に100万トンが眠るとされるその気体は、
わずか25トンで、欧州と米国の1年分の電力を賄うという。

かつてNASAは「2018年に、人を月に送り込む」と宣言した。
近い将来、人類が抱えるエネルギー問題の答えが、月で見つかるかもしれない。

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