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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-04
Rubber Soul
つかこうへいの自由

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」
などで一斉を風靡した演出家、つかこうへい。
慶應の学生でありながら
早稲田の劇団で活躍した、つかの演出方法は、
稽古中に新たなセリフを次々生み出し、
役者に伝える「口立て」。
初日と楽日でセリフが変わる。
その自由さに、観客は酔いしれた。

いつか、こうへいに
という世の中への願いを込めた
彼の名前。

自由で情熱的なつか演出は、
今も多くの俳優たちの演技の中に生きている。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-05

山頭火の孤独

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

まっすぐな道でさみしい

また見ることもない山が遠ざかる

など、5・7・5に捉われない、
自由律俳句で知られる種田山頭火。

20歳で早稲田の文学部に入学したが、
神経を病み、2年後に中退。
故郷の山口に帰るも、事業に失敗。
妻子とも別れてしまう。

 どうしようもないわたしが歩いている

 酔うてこうろぎと寝ていたよ

もし山頭火が何事もなく早稲田を卒業していたら…
こんなにもさみしく美しい句の数々が、
生まれていただろうか?

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-06
塾生 (talk)
遠藤周作の失敗

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「沈黙」「深い河」など
日本人のキリスト信仰を描いた重厚な作品で
ノーベル文学賞候補とも言われた遠藤周作。

その青春時代は不遇だった。
ことごとく受験に失敗し
慶應の文学部予科に補欠で合格。
医学部を受けると思っていた父に、
勘当を言い渡される。
ちょうど終戦の頃である。

人生も、日本も、先が見えないまま、
遠藤はカトリック文学に傾倒し、
自らの文学のテーマを見出していく。

すべてが望み通りにいかない
学生時代の遠藤に、
神は何を語りかけていたのだろう?

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澁江俊一 16年1月10日放送

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Dick Thomas Johnson
今村昌平のリアリズム

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「楢山節考」、「うなぎ」で
日本人で唯一、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールに
2度も輝いた映画監督、今村昌平。

実は今村、早稲田の学生時代は演劇部だった。
しかし黒澤明の「酔いどれ天使」に感動し、
映画の道へと転向する。

徹底的な取材。
現場での同時録音へのこだわり。
今村映画のリアリズムは、
確かに演劇と、つながっている。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-08

石原裕次郎の放蕩

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

おしゃれでスマートな
イメージで語られる慶應ボーイ。
昭和を代表する慶應ボーイと言えば
石原裕次郎だ。

もともと俳優を目指していた裕次郎。
喧嘩、タバコ、酒と
放蕩の限りを尽くしていたからか、
在学中に受けたオーディションは
すべて不合格。

しかし兄、慎太郎の小説「太陽の季節」で
映画デビューを飾ると
たちまち日本を熱狂させるスターになる。

遊びを知り尽くした裕次郎のやんちゃさは、
日本の映画界には未曾有の衝撃だった。

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澁江俊一 15年12月20日放送

151220-02

抱きしめる手引き

青春時代を
伊丹十三と共に過ごした作家、大江健三郎。
大江より2つ年上だった十三は、
大江の一歩先で、常に彼の人生を導いた。

デビュー小説「奇妙な仕事」も
当時商業デザイナーだった十三を
喜ばせるために書いた戯曲が元になっている。

そんな大江はある日十三から
「女性を抱きしめる方法」を教わった。
尾てい骨から三つ上の関節を
押さえて抱きしめなさい、と。
あるとき大江は、それを妻で試そうとした。
抱きしめながら尾てい骨を探り、心の中で「一、二」と
数えた瞬間、妻が「三!」と言ったそうだ。

大江の妻ゆかりは、十三の妹でもある。
兄の手口を、見抜いていたのかもしれない。

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澁江俊一 15年12月20日放送

151220-03

エッセイの先駆け

「なんですよ」「あるわけね」「なのだな」

と、すぐそばにいる誰かに
話しかけるように語る文章が、
エッセイスト伊丹十三の最大の特徴。

今では当たり前だが
60年代から70年代にかけて
このような文体のエッセイは、
ほぼ十三の独壇場だった。

映画に出演するために訪れた
当時まだ日本人に縁遠いヨーロッパを描いた
「ヨーロッパ退屈日記」は、
多くの読者を獲得。
スパゲティのアル・デンテを
日本で最初に紹介したのもこのエッセイである。

本の惹句を書いたのは作家、山口瞳。
それはこんな一文だった。

 この本を読んでニヤッと笑ったら,
 あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです

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澁江俊一 15年12月20日放送

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Zanpei
タンポポの味

死ぬことをテーマにした映画「お葬式」で
監督として高く評価された伊丹十三。
続く「タンポポ」では
食べることを徹底的に描いてみせた。

ラーメン、スパゲティ、
味噌汁、北京ダック、チャーハン・・・

食べるという
人間に欠かせない欲望を、
ユーモラスに、そしてエロティックに表現。
日本よりアメリカで高く評価され、
独自の食文化を知らしめた作品となった。

日本橋のたいめいけんでは
映画に出てくるオムライスが今でも食べられる。
ふわふわのオムレツをナイフで切ってライスにかける
そのスタイルに十三のこだわりが生きている。

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澁江俊一 15年11月15日放送

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龍馬の右手

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

ふるさとの高知、桂浜には、
太平洋を見つめる龍馬の銅像が建っている。

建てられたのは昭和3年。
日本人の龍馬イメージを確立した
司馬遼太郎「竜馬がゆく」よりはるか前のことだ。

その銅像、龍馬の右手は懐に入れられている。
その手が握るのはピストルとも、
万国公法という国際法の本とも言われている。
寺田屋で襲われた時の傷を隠している、という説もある。

何気ないポーズにも
さまざまな想像が膨らんでしまうのが
龍馬という男の魅力なのだ。

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澁江俊一 15年11月15日放送

151115-02

龍馬か竜馬か

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

龍馬の「りょう」という漢字は
画数の多い龍(りゅう)と、
画数の少ない新字体の竜(りゅう)が混同されている。

竜馬自身が使っていたのは画数の多い方。
画数の少ない方が広まったのは、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がきっかけ。

 小説の中では僕のリョウマを動かすのだから、事実とは違う文字にした。

司馬のこだわりが、一文字の違いに込められている。
そんな架空の竜馬が、日本人の龍馬好きを増やしたのだ。

龍馬本人に聞いたら、
「どっちでもええぜよ」と笑うかもしれない。

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