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澁江俊一 15年11月15日放送

151115-03

龍馬は裏方

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

好きな歴史上の人物で
必ず上位にランクインする幕末のヒーロー。

だが彼は決して時代の表舞台に
立とうと思っていたわけではない。
むしろ目立たないよう、
日本を変えるという大仕事の裏方に徹していた。

薩長同盟も、大政奉還も
龍馬が前面に立つのではなく
主役である人々を説得して、
日本の未来のために心を変えさせる。
それが彼のやりかただった。

政治家になる気がなかった龍馬は、
きっと誰よりも自由でありたかったのだ。

新しいものが好きで
日本ではまだ珍しいブーツを履きこなしていた龍馬。
もし暗殺されることなく
夢だったアメリカに渡っていたら
龍馬は、当時生まれたばかりの自由の象徴ジーンズを
最初に履いた日本人になっていただろう。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-01

広辞苑の生みの親

日本を代表する辞書、広辞苑。
その表紙に、とある人物の名がある。
新しい村を出ると書いて新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日に生まれた言語学者である。

広辞苑の編纂中、太平洋戦争が勃発。
東京大空襲では数千ページ分の銅版が失われた。
ようやく迎えた戦後。日本語は劇的に変わってしまう。

言葉の変化を認めなかった出は、
広辞苑のタイトルが略字体になると聞き、
一晩、号泣したという。

苦難を乗り越え、
昭和30年、初版が発売。
出の人生を賭けた、ずっしり重い一冊だった。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-02

広辞苑を支えた息子

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

編纂を支えたのは出の次男・猛(たけし)。
フランス文学者だった猛は
治安維持法違反で投獄され、
釈放されたばかりだった。

猛は全力で作業に挑んだ。
外来語を充実させながら、
戦後、資金不足に困ると、
岩波書店に出版を依頼した。

父の願いだった広辞苑を、叶えた息子。

初版の広辞苑、価格は2000円。
公務員の初任給が9000円の時代に、飛ぶように売れた。
戦後の混乱で自信を失った日本が、
正しい日本語を、待っていたのだ。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-03

広辞苑と国民的女優

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

広辞苑の生みの親といえば
どんな人物を想像するだろう?
いつも正しく、真面目で、謹厳実直な人物だろうか。

そのどれもがあてはまった出だが、
愛らしい一面もあった。
名女優、高峰秀子の大ファンで、
家中に彼女のポスターを貼っていたのだ。

広辞苑を知らなかったという秀子は、
出の印象をこう記している。

新村出という人は、
こりゃ余程の大人物なんだな、
ライオンが借りてきた猫みたいになっちゃったんだから。

ここで言うライオンとは
秀子を出に紹介した大作家、
谷崎潤一郎である。

秀子もまた、
かなりの大人物だった。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-04

装丁の真相

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

装丁を担当したのは
出と親交のあった画家・安井曾太郎(やすいそうたろう)。

広辞苑の背表紙には、
不思議な浮き出し模様がある。
「水辺に立つ鳥」「池に睡蓮」など諸説あるが、
安井が模様の真相を語ることはなかった。

しかしこの浮き出し模様のおかげで、
広辞苑を持つ時に指がかかり、
とても持ちやすい。

パリに学び、
日本ならではのリアリズムを目指した安井。
そこまで考えての模様だったのだろうか?

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-07
Dick Thomas Johnson
広辞苑を愛した作家

幼い頃、国文学者の父の書斎に行っては
広辞苑を取り出し、床に座ってめくっていた。
まだ読めなくても、その分厚さや重み、
ひんやりした紙の手触りや、インクの匂いを楽しんでいた。

そう語るのは、作家の三浦しをん。
辞書の編集という大仕事を丹念に取材した
小説「舟を編む」は本屋大賞を受賞し、映画にもなった。

取材中、三浦は
とある広辞苑の編集者に趣味を聞いた。
彼は、こう答えた。

「駅のホームにあふれた人が
エスカレーターに整列して
吸い込まれていくのを見るのが好きです」

こんなにも愛すべき人が、
正しい日本語を決めている。

感動した三浦はその言葉を、
主人公の趣味にそのまま採用した。

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澁江俊一 15年8月16日放送

150816-03
Eliana Nieves
謎の掛け声

「ヤーレンソーラン」
「ヤッショマカショ」
盆踊りで流れる歌には
個性豊かな掛け声がいろいろあるが
最も謎めいた盆踊りの掛け声をご存知だろうか?
それが

ナニャドヤラ

である。

青森県南部や岩手北部などの
旧南部藩に伝わり
日本最古の盆踊りとも呼ばれている。

この謎の掛け声は
民俗学者、柳田國男が唱えた
恋の歌という説をはじめ
方言くずれだという説、サンスクリット語説など
諸説ある中、最も異色なのがヘブライ語説だ。

ヘブライ語といえば
キリスト教の聖書の言葉。
青森県の新郷(しんごう)村には
キリストの墓があり、
今もこの墓のまわりで、
ナニャドヤラを踊る祭りがある。

謎の答えはどうあれ
こんな盆踊りもあるのが、
日本の懐の深さなのだ、と思う。

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澁江俊一 15年8月16日放送

150816-05

ビートルズと音頭

歌詞の意味を変えたり
楽曲の世界観を変えるような
大幅なアレンジには
かなり厳しいビートルズ。

彼らが認めた数少ない例外が
人気の曲「イエロー・サブマリン」を
日本ならではの音頭に変えた
「イエロー・サブマリン音頭」だ。

1982年に発売されたこの曲の
プロデュースを手がけたのは
ポップソングの名手、大瀧詠一だった。

「ナイアガラ音頭」「クリスマス音頭」などを手がけ
並々ならぬ音頭への愛があった大瀧。
日本の伝統的リズムにぴったりハマった
ビートルズのメロディは、
日本人なら、一度聞くだけで頭から離れない。
つい、身体も動いてしまう。

どうやら
ポール・マッカートニー本人も
気に入っているらしい「イエローサブマリン音頭」。
2013年に来日したライブでも
BGMとして流していたという。

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澁江俊一 15年6月20日放送

150620-04

ヘミングウェイと釣り

世界的名作「老人と海」を書いたヘミングウェイは
キューバを愛し、22年もの年月を過ごした。
アメリカのアイコンだった彼が
なぜキューバに長く暮らしたのか。
彼の突然の死とともに、今も残る謎である。

ヘミングウェイはキューバ革命の英雄
フィデル・カストロと一度だけ会っている。
1959年の革命直後にヘミングウェイが主催した釣り大会で
笑顔で握手を交わす2人の写真が残っている。
ヘミングウェイを愛読していたカストロ。
「誰がために鐘は鳴る」は、
ゲリラ戦を繰り返す当時の彼のバイブルだった。

アメリカに帰国したヘミングウェイは
1961年に猟銃自殺を遂げる。
同じ年にアメリカはキューバと国交を断絶する。

「老人と海」はハッピーエンドではない。
死闘の末に釣った巨大なカジキは、
サメの群れに食われてしまう。

キューバとアメリカ。
愛した2つの国の未来は、
ヘミングウェイの目に、どう見えていたのだろう。

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澁江俊一 15年5月31日放送

150531-05

伊兵衛のおばこ

今日は写真家、木村伊兵衛の命日。

ライカを手にして日本を旅し、
普通の人々の日常を鮮やかに切りとる。
スナップ写真の達人だった木村伊兵衛。

中でも伊兵衛が愛したのは秋田県。
何度も訪れては、農村の風景を次々とフィルムに焼き付けた。

その中に、
見る人の目を釘付けにする一枚がある。
若い娘をあらわす方言で「おばこ」と名づけられた
一人の娘の写真だ。
今見ても圧倒的に美しい、透明なまなざし。
編み笠をかぶり、野良着を着て、
田植えをしている最中の農家の娘のように見えるが
彼女はその時、農作業をしていたわけではなかった。

後に秋田美人の象徴とも言われた一枚は、
実は、木村伊兵衛の見事な演出だったのだ。

女性にとってリアルは、美ではないこともある。
リアリティを追いかけながら、
女性の美に関しては、時に鮮やかに嘘をつく。
木村伊兵衛が女性ポートレイトの名手、と称された理由も
そこにあるのかもしれない。

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