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澁江俊一 15年5月31日放送

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伊兵衛の口癖

今日は写真家、木村伊兵衛の命日。

ライカを手にして日本を旅し、
普通の人々の日常を鮮やかに切りとる。
スナップ写真の達人だった木村伊兵衛。

彼の口癖は、「乙なもんですね」。
しかし甲乙つけがたい、とも言われるように
「乙」とは決して最上のもの、ではない。
最上ではないものを、よしとする
それが木村伊兵衛の写真の凄さだ。

同じくライカを操り、スナップを得意とし
伊兵衛ともよく比較されたフランスの写真家、
アンリ・カルティエ・ブレッソンは
「決定的瞬間」の言葉で知られるように
1ミリも動かしようのない完璧な構図を目指した。

伊兵衛を敬愛する写真家、荒木経惟は
伊兵衛の写真を、こう語る。

 木村伊兵衛さんの写真は、

 この瞬間が最高だとかいうのではなくて、

 時間の流れっていうか、
動いてる感じがある。
 ブレッソンが「決定的瞬間」って言ってるけど、
 木村さんには「決定的瞬間」なんてないんだよ。

 そこが魅力的なんだよ。

完璧でないものにも、美しさがある。
木村伊兵衛の乙な写真術は
日本人ならではの美、とでも、言ってみたくなる。

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澁江俊一 15年4月19日放送

150419-03

野生の飼育法

4月19日、今日は飼育の日。

「エゾオオカミ物語」という絵本がある。
かつて北海道に生息し、絶滅したエゾオオカミについて
森のフクロウがモモンガたちに語る物語だ。
フクロウの言葉は、こうだ。

・・・

オオカミはシカを殺して食べる。
だが、シカはオオカミに食べられることによって
じぶんたちの数のバランスをたもっている。

オオカミがシカを食べることも、
シカがオオカミに食べられることも、悪いことではないのだ。

・・・

北海道で開拓が始まると、
人間たちはオオカミを次々と駆除していく。
今ではシカが増え続け、人間たちの新たな悩みになった。

この物語の作者は、絵本作家のあべ弘士。
旭山動物園の飼育係だった彼の描くオオカミたちは
強く、美しく、寂しそうだ。

この絵は、旭山動物園にある
オオカミの森で見ることができる。
広々としたオオカミの森のすぐ横には、エゾシカたちの住む檻があり
両者は時々、にらみ合っている。

失われた野生の姿が、そこにある。 

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澁江俊一 15年4月19日放送

150419-05

作家を育てるということ

4月19日、今日は飼育の日。

1958年、大江健三郎が若干23歳で
芥川賞を受賞した小説「飼育」。

とある村の少年が世話をしていたのは、
墜落した飛行機に乗っていたアメリカの黒人兵だった。

戦時中の敵国。人種も違えば、文化も、年齢も違う。
何もかもが異なる人間を飼育するという異常な体験は、
主人公である少年の心を強く揺さぶる。

芥川賞の選考委員の一人で
新人を育てる名人でもあった川端康成は、
過去の受賞作家で最も芥川に似通っているとして

大江氏の名を芥川賞に加えたい

とまで語った。

2人は後に、
日本でただ2人のノーベル賞作家となり
「美しい日本の私」
「あいまいな日本の私」
と、まったく異なる
スピーチをすることになる…

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澁江俊一 15年3月8日放送

150308-03

妖怪千体説

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

いったんもめん、ぬりかべ、砂かけ婆、
子泣き爺、ろくろ首、ぬらりひょん…
あなたは世界中にどれくらいの
妖怪がいると思うだろうか?

漫画家であり、
妖怪研究の第一人者水木しげるによれば、
世界各地の妖怪はほぼ共通していて、
およそ1000体に集約できるらしい。
それを「妖怪千体説」と言う。

確かにドラゴンやトロル、
河童や魔女などは、
世界中のどこの昔話にも出てくる。

「妖怪はできる限り創作すべきではない」
そう語る水木しげるは
アメリカインディアンやアボリジニ、
アフリカのドゴン族など、
世界中の民族を訪ね、スピリチュアルな文化に触れて
妖怪のフィールドワークを行ってきた。
そんな彼が言うのだから、
「妖怪千体説」は説得力が違う。

ある時訪れたマレーシアのジャングルで
自らが描いた「水木しげるの妖怪画集」を持参したら
「知っている」「見たことがある」と
現地の人々が、日本の妖怪に次々と反応したという。

世界中にいる妖怪たちは
異なる文化がつながるヒントを
私たちに、教えようとしているのかもしれない。

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澁江俊一 15年3月8日放送

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戦場の怒り

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるが最も思い入れがあると語る作品は
妖怪ではなく、戦時中の人間を描いた
「総員玉砕せよ!」である。

妖怪漫画家として世に出るはるか前、
若き日の水木しげるは、
兵隊として南太平洋にいた。
毎日、徹底的な鉄拳制裁をくらい、
ついたあだ名は「ビンタの王様」。

昭和19年の春、ゲリラ兵の襲撃で
見張りに立っていた水木を残して
分隊の仲間たちが全滅した。
ふんどし一丁でジャングルをさまよい
命からがら部隊に戻ると、
「なぜ死ななかったのか」と上官に激しく責められた。
さらにマラリアを発症し、爆撃で左腕を失う。

あまりにも簡単に人が死んでゆく。
今では考えられないような
理不尽な苦しみが次から次へとやってきた。

 ぼくは戦記物を描くと
 わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。
 多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。

あらゆる人間を壊していく戦場で、
それでも水木は目をそらさず、すべてを見ていた。
見えない妖怪を見つめる眼差しも、
その時に養われていたのだ。

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澁江俊一 15年2月14日放送

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Hil
あまりにも理不尽な

江戸時代きってのストーリーテラー、
近松門左衛門の最大の問題作、
女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)。

1721年に人形浄瑠璃で初演されたが
まったく評価されぬまま時は過ぎ、
約200年後の明治42年に歌舞伎で再演され
大ヒットとなった。

観客の感情移入をまったく許さない
悪人中の悪人が、主人公の与兵衛だ。
放蕩の限りを尽くし、義理の両親に暴力をふるい
油屋を営む家から勘当された与兵衛は、
さらに借金を重ね、同じ油屋の人妻お吉(おきち)を頼る。
ただ一人、与兵衛を理解しようとする美しいお吉に
何度も金を借りようとしたあげく断られ、
与兵衛はついに、彼女を殺してしまう。

クライマックス。
油と血にまみれ、滑りながらお吉を追い回す
殺害シーンは、まさに油の地獄。

殺しの動機は、金か、恋か、それとも?
それすらも、見る者にゆだねるこの物語に
近松は、どんなメッセージを隠したのだろうか。

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澁江俊一 15年1月17日放送

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的中してしまった警告

日本の地震学に
多大な影響を与えた男、
今村明恒(いまむら あきつね)。

明治29年の三陸大地震の際、今村は
津波の原因が海底の地殻変動だと発表する。
今では当たり前の説だが、
当時は誰にも受け入れられなかった。

明治38年、今度は
東京で50年以内に大地震が起こると警告。
それが大々的に新聞に掲載されると
社会問題を引き起こしてしまう。

「ホラ吹きの今村」と中傷された彼だが
大正12年、警告どおり関東大震災が発生。
その直後、記者たちの質問に
しばらく同じ規模の地震は起こらないと断言。
それも見事に的中した。
世間は一転して今村を「地震の神様」と呼んだ。
震災当日の彼の日記には、こう書かれている。

 わたしの警告は、非難され嘲られていたが、
 それが現実に起きてしまう、
 なんという不幸なことであろう。

自らの名誉より、
地震から人々を救うことを
今村は強く望んでいたのだった。

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澁江俊一 14年11月16日放送

141116-03

絶望をどう生きるか。

許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。

オーストリアの精神科医
ヴィクトール・フランクル。
彼は結婚してわずか9ヶ月後に
ユダヤ人であるという理由で
強制収容所へ入れられる。

家族と別れ、身ぐるみはがされても
彼は医者としての使命を捨てず
収容所での出来事を冷静に見つめた。
理不尽すぎる状況で
囚われた人々が何に絶望し、
何に希望を見出したかを観察するために。

戦後、彼が出した本のタイトルは「夜と霧」。
今も読み継がれる世界的ベストセラーだ。

どんな状況でも、
人はそこに意味を見出せる。
意味があれば、
絶望は乗り越えるべき苦悩に変わる。

苦しい時は思い出そう。
そこにはきっと意味があると。

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澁江俊一 14年11月16日放送

141116-05
カマスキー
裁判長が贈る歌

許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。

電車内で足が当たったと口論の末
4人の少年が一人の男性を暴行し死亡させた。
その裁判で実刑が下された後
裁判長はある歌を引き合いに出して、

この歌のせめて歌詞だけでも読めば、
なぜ君たちの反省の弁が
人の心を打たないか分かるだろう。

と、少年たちに語った。
その歌とはさだまさしの「償い」。

ただ一度の過ちで
配達中に交通事故を起こし、
許されるはずもないと思いながら
遺族に送金を続ける若者の歌である。

7年目、その若者のもとに
夫を失った妻から初めて手紙が届く。
その最後には、こう書かれている。

 どうかもうあなたご自身の人生を
 もとに戻してあげて欲しい。

償うことも、許すことも、
ほんとうに難しい。
だからこそそれができる人に
人は胸を打たれるのだ。

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澁江俊一 14年9月21日放送

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WalkingGeek
宮沢賢治と宇宙

今日9月21日は、
宮沢賢治の命日である。

ぼくはこれまで、
 
いろんな人の悪口を言ってきましたけど、
 
言わなかった人っていうのは、
 
宮沢賢治ぐらいです。

そう語った思想家、吉本隆明。

科学者であり、
宗教家でもありながら
賢治はそのどちらでもなく
さらなる高い理想をめざした。

 正しく強く生きるとは
 銀河系を自らの中に意識して
 これに応じて行くことである 「農民芸術概論」より

賢治のまなざしはいつも、
遥か宇宙にあったのだ。

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