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澁江俊一 14年4月27日放送

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考える哲学者

今日、4月27日は哲学の日。

哲学、という言葉が持つ
抽象的でとっつきづらい空気を
考える、という言葉で、
すべての人のものにしようとした池田晶子。

哲学者ではなく、文筆家と名乗り
他の哲学者たちと一線を画した池田は
2007年、46歳の若さで世を去った。

彼女は決してやさしいだけではなく、
考えることをしない世の中に、
厳しい言葉も残している。

 地球人類は失敗しました。
 生存していることの意味を問おうとせず、
 生存することそれ自体が価値だと思って、ただ生き延びようとしてきた。
 医学なども、なぜ生きるのかを問わず、
 ただ生きようとすることで進歩した。

 人がものを考えないのは、死を身近に見ないからだと思う。
 一番強いインパクトは死です。人がものを考え、
 自覚的に生き始めるための契機は死を知ることです。
 精神の在り方が変わらなければ、
 世の中は決して変わりません。

死の瞬間、池田は何を考えたのか。
それを考えてみることも、私たちの宿題だ。

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澁江俊一 14年3月2日放送



受験生のための言葉

ああ、試験はいやだ。
人間の価値が、わずか一時間や二時間の試験で、
どしどし決定せられるというのは、恐ろしい事だ。
それは、神を犯す事だ。
試験官は、みんな地獄へ行くだろう。

太宰治の小説「正義と微笑(せいぎとびしょう)」の
主人公「僕」の言葉だ。
彼が慕う若き教師、黒田先生はこう語った。

 日常の生活に
 直接役に立たないような勉強こそ、
 将来、君たちの人格を完成させるのだ。
 何も自分の知識を誇る必要はない。
 勉強して、それから、
 けろりと忘れてもいいんだ。
 覚えるということが大事なのではなくて、
 大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
 カルチュアというのは、
 公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、
 心を広く持つという事なんだ。
 つまり、愛するという事を知る事だ。

迷いながら生きる16歳の主人公の心に
深く届いたこの言葉。
今日もがんばる受験生にも
届きますように。

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澁江俊一 14年3月2日放送



ロボットと受験

人工知能は今、
どこまで進化しているのだろうか。

人工知能と人間との戦いは
チェスでは人工知能が人間を上回り、
将棋でも日本を代表するプロ棋士だった
米長邦雄を破り、
人工知能が人間を超えたと言われている。

囲碁となると、
まだ人間の方が有利なようだが、
大学入試はどうだろう。

2013年、
「東ロボくん」という名の人工知能が
大学入試センター試験と
東大の2次試験の模擬試験に挑戦した。

結果は、東大は不合格。
しかし私立大学ならばけっこうな確率で
合格する点数を獲得した。

東ロボくん、
苦手な科目は
国語と英語だそうだ。

2021年までに
東大に合格できるよう
人工知能は今日も進化を続けている。

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澁江俊一 14年2月9日放送


glowingstar
東京の愛し方

東京は、
どんなふうに愛しても許される街。

日本を代表する写真家、荒木経惟。
花や人妻ヌードと並んで、
彼が永年撮りつづけるのが東京の風景だ。

1984年発行の、
特に愛されている写真集がある。
「東京は、秋」。
数年後に亡くなる最愛の妻、陽子と
東京を散歩するように撮った一冊だ。

妻:建物の裏側を撮るのが好きでしょ?
夫:裏側ってのはね、ディテールとか、染みとかがある。
  裏へ行くまで気づかなかったとか、そういうのがある。
  東京の裏側っていうか、それが見える。

どの写真にも
妻、陽子との何気ない会話がつけられている。
昔と今が混ざり合い、急激に変わり続ける街を、
愛する人と歩きながら、いつくしむように、
荒木はシャッターを押した。

いつかは別れる大切な人と、
こんなふうに歩いてみたくなる。
それが、東京。

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澁江俊一 14年1月12日放送


e_haya
大人の目線

20年以上、一言もしゃべらずに
その表情や仕草だけで
日本中の子どもたちを虜にした大人がいる。

1934年生まれの俳優、
高見 映(たかみ えい)。
彼はその名前よりも、
181センチの長身から名づけられた
この役名のほうがよく知られている。

「のっぽさん」

1970年から1990年まで続いた
長寿番組「できるかな」の名物キャラクターだ。
その、のっぽさんが最も嫌いだったもの。
それは「子ども目線」に立つ大人。

子どもの賢さや鋭さは
幼稚なレベルだと決めつけて、
ほどほどの力で接しようとする。
そんな大人を彼は、大人の手抜きとして何よりも嫌っていた。
そしてどんな時でも、どんな子どもに対しても
ひとりの人間として本気で接した。

どうせわからないと思わず、全力で説明する。
怒ってほしい時は、しっかり怒る。

子ども目線という名の上から目線にならず
子どもをちゃんと大人扱いできる
のっぽさんのような大人が、増えますように。

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澁江俊一 14年1月12日放送


ShuttrKing|KT
プラスな大人

いくつもの肩書きを持つ男、伊丹十三。
あえて一言でくくるなら「最高の大人」だろうか。

子育てをしながら、
育児とは何か徹底的に考え抜いて
育児本を出版したり、

義理の父の葬儀の日に
映画監督になる決意をし、
お葬式という映画を撮ったり、

映画の大ヒットで、
しこたま持っていかれた税金が
マルサの女のストーリーになったり。

自分の人生から目を背けない、
明るく深みのある眼差し。

俳優、エッセイスト、イラストレーター・・・
いくつもの肩書きに
強風下におけるマッチの正しい使い方評論家
を追加しようとした。
このチャーミングさが、伊丹十三なのだ。

実は俳優になりたての頃の芸名は
伊丹一三(いちぞう)だった。
マイナスをプラスにするために
漢字の一を十にして、
十三と名乗るようになったのだ。

今日を
誰よりも真剣に、
おもしろがる。

伊丹十三のような大人が、
増えますように。

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澁江俊一 13年12月15日放送



電話嫌いの作家1

日本の作家、夏目漱石と
「トムソーヤーの冒険」で知られる
アメリカの作家、マーク·トウェイン。
2人の共通点は、電話嫌い。

夏目家が電話を引いたのは、
漱石が朝日新聞に「行人」を
連載しはじめた大正元年12月。
加入台数は1000人当りわずか4台の時代だった。

せっかく引いた電話だが、漱石は気に入らない。
「鏡子夫人を呼んで欲しい」と言われると
「何の用だ、人の細君を呼び出して」とどやしつけ、
「モシモシ、夏目さんですか」とかかってきても
「知りませんよ」と怒って切ってしまう。

間違い電話ともなると、さらに大騒動になる。
交換手を呼び出し「なぜまちがったのだ、
理由を言いなさい、おおかた人を邪魔し莫迦にするのだろう」
と、くどくどとやり込める。
挙句の果て、うるさいからと受話器を外してしまう。
家族一同、ほとほと弱ったようである。

この頃、10年ぶりに
激しい神経衰弱に陥っていた漱石にとって
高価で便利な電話も邪魔者でしかなかった。

誰もが電話を持ち歩く現代。
もしも漱石がいたら、
どんな小説を書いただろう。

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澁江俊一 13年12月15日放送



電話嫌いの作家2

日本の作家、夏目漱石と
「トムソーヤーの冒険」を書いた
アメリカの作家、マーク·トウェイン。
2人の共通点は、電話嫌い。

電話を発明したグラハム・ベルは
トウェインにもぜひと勧めるが、
聞きたくもない音を聞かされ、
話したくもない人と話す、失礼な機械である、
と断られた。

しつこく勧めるベルに嫌気がさし、
トウェインはある文を新聞に発表する。
「ハートフォード市民には今年も全員に
クリスマスカードを贈るが、ベルには絶対贈らない」

数日後、
トウェインが病気で寝ていると、親戚の訃報が届いた。
葬式に出席できず落胆するトウェインのために
ベルは家と教会を電話でつないだ。

葬儀の出席者と心ゆくまで語らい、
電話の便利さを知ったトウェインが
「料金は払わせてほしい」と申し出ると、
ベルは、笑ってこう答えた。

「料金は結構ですから、私にもクリスマスカードをください」

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澁江俊一 13年11月24日放送



ふつうのOL

明日はOLの日。
1963年に初めて「OL」という言葉が
週刊誌『女性自身』11月25日号に載ったから。

日本の主婦を描き続けた漫画が
サザエさんなら
日本のOLを描き続けた漫画は
OL進化論だ。

1989年から連載が続く
長寿作品で、作者は秋月りす。
それまで男性が多かった
4コマ漫画界での
女性作家のはしりでもある。

移り変わる時代を捉える
鋭い切り口がありながら
読んでいる人を少しも傷つけない。
リアルで、共感できる
ふつうのOLたちの日常が
ほのぼのと描かれるこの作品。
手塚治虫文化賞も受賞している名作だ。

秋月は語る。
ふつうと、平均的は、違う。

そう、平均的な人間なんて、
どこにもいないのだ。
OL経験のない自分の
ふつうの感覚を信じて
秋月はこれからもOLを描き続ける。

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澁江俊一 13年11月24日放送



悪魔のOL

半世紀前のロンドンに
ファッションが誰より好きな
アナという少女がいた。

保守的な名門高校に、
制服のスカートを超ミニにして
通い続けたあげく、校長に激怒され中退。
アナは勉強に、まったく興味を持てなかった。

流行の服を身にまとい、
夜遊びを繰り返すアナには
大好きな服を仕事にしたいという夢があった。

大人になったアナは、
ファッション誌の編集の道へ。
たちまちのし上がり、保守的な雑誌だった
「ヴォーグ」の編集長として斬新な改革をおこない
最先端のトレンド雑誌に変身させた。
1600億ドルのファッション業界を
ひとりで動かしているとも言われている。

誰に嫌われようが、愛されようが
ファッションのために激務をこなす。
好きでもないことを仕事にするなど
彼女には考えられないのだろう。

2008年、アナ・ウィンターに
大英帝国勲章が授与された。
OLたちに大ヒットした映画「プラダを着た悪魔」の
モデルと言われているのも彼女である。

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