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澁江俊一 13年2月9日放送


Amarand Agasi
チョコと漫画家

 「すみません、急病人がチョコを食べたがっているんです!」

そんな強引な理由で
深夜にお菓子屋を起こし
わざわざ売ってもらうほど
チョコレートを愛していた
漫画家・手塚治虫。

手塚の代表作「ブラックジャック」に
こんな話がある。

2月14日。
心臓の奇病の手術がうまくいかず
打ちひしがれるブラックジャックに
ピノコが渡すハートのチョコレート。
しかし「ハートなんぞいま見たくもない!!」と言われ
ピノコはがっくり…

そのラストシーン。
「ピノコ、バレンタインデーってなんだっけ?」
とつぶやくブラックジャック。

その言葉に安心したピノコは
まるでチョコレートのように
甘くとろけた顔をするのだ。

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澁江俊一 13年2月9日放送



チョコと映画監督

「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」
俳優の本当の魅力を惹きだす演出で知られる
映画監督ラッセ・ハルストレム。

斬新なカメラワークや
予想を裏切るストーリーではなく
人の心が動く瞬間を追いかける映画づくり。
その人生観は、彼の映画に登場する
ある飲み物にとてもよく現れている。

映画の名は「ショコラ」。
昔々フランスのとある村に
まだ見ぬお菓子「チョコレート」を広めるため
やってきた女性ヴィアンヌがつくる
唐辛子入りホットチョコレート。
ピリッとした刺激と、とろける甘さの絶妙なハーモニーは
かたくなな村人の心を、たちまち溶かしてしまう。

人生は甘いだけじゃない。だからいい。
それがラッセ・ハルストレムが思う幸福なのだ、きっと。

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澁江俊一 13年2月9日放送



チョコと遊女

記録に残る日本最初のチョコレートは江戸時代、
寛政九年、西暦なら1797年。
長崎は丸山の遊女が
オランダ商人からもらった品物の目録に
「しょくらあと六つ」という文字がある。
これが実はチョコレートなのだ。

しょくらあと。
これはこれで、素敵な響き。

同じ寛政九年に書かれた
『長崎見聞録』によれば、
「しょくらあと」は
お湯に削って入れ、
卵と砂糖を加え、泡立てて飲む。
当時は“薬”だったらしい。

長崎の遊女は、
どんな病をわずらっていたのか。
もしかしたら、恋、かもしれない。

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澁江俊一 13年1月26日放送


Max chang
海の向こうで愛されている日本人 八田與一

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

日本統治時代の台湾で土木課の技師として活躍した
八田與一(はったよいち)は
15万ヘクタールの田畑を旱魃から救うため
公務員の身分を捨て
1920年から10年にわたってダム建設の指揮をとった。

台湾の嘉南(かなん)平野に広がる
烏山頭(うさんとう)ダム。
上空から見るとサンゴの枝のように広がるダムの湖面は
今も美しく風景に溶け込んでいる。

卓越した設計技法だけでなく、
危険な現場にも足を踏み入れ、
作業員の労働環境を向上し、
事故の慰霊は日本人も台湾人も分け隔てなく行った
八田與一の業績は台湾の教科書でも紹介され
その命日には烏山頭ダムで慰霊祭も行われている。

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澁江俊一 13年1月26日放送



海の向こうで愛されている日本人 浅川巧

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

浅川巧(あさかわたくみ)。
兄の伯教(のりたか)とともに
日本の植民地だった朝鮮に暮らし
土地の人々や、山々の木や草に、深い敬意を払った。

その清らかな目は
李朝の白磁や、家具・民具のなかに
当時、朝鮮の人々さえ気づかなかった美しさを発見し
日本に紹介した。

日本軍の行いに心を痛め、
朝鮮の人々が、その美しい文化に、
自ら目覚めることを願いながら、
41歳の若さで亡くなった巧の墓は
今もなお、韓国にある。

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澁江俊一 13年1月26日放送



海の向こうで愛されている日本のヒーロー キカイダー

海の向こうで愛されている
日本のヒーローを
知っているだろうか。

1972年に日本で放映されながら、それ以上に
ハワイで絶大な人気を集めた「キカイダー」。
再放送されるたび世代を超えてファンは増え
2002年ハワイ州知事により4月12日が
「ジェネレーション・キカイダー・デイ」に
制定されるまでになる。

石ノ森章太郎(いしのもりしょうたろう)がデザインした
左右非対称で、頭の一部から
中の機械が見える斬新なヒーローは、
日本の視聴者から気持ち悪いとクレームが殺到。
しかしキカイダーが持つ「不完全な良心回路」と
そこから生まれる苦悩は、ハワイの人々の心に、
今も大きな勇気を与えている。

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澁江俊一 13年1月26日放送


rajkumar1220
海の向こうで愛されている日本人 西岡京治

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

1964年、農業を指導するため、
ブータンを訪れた西岡京治(にしおかけいじ)。
日本の技術を無理に押し付けず
現地の状況を見つめながら住民と対話を繰り返し
最少の費用で、最大の効果を目指した。

大根をはじめ、数々の野菜を紹介し、
並木植えにより米の収穫を増やし
多くの水路や田んぼ、道路をつくった西岡は、
2年の予定を延長し、28年もの間ブータンに貢献。
国王から最高の栄誉である「ダショー」の称号を授与された。

西岡が惜しみなく与えた知識は
世界一幸福な国に、
今も多くの実りをもたらしている。

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