山本高史 2010年6月26日ライブ



タケシ

ストーリー 山本高史
出演 山本高史

                     
 両親はきちんと見えてるようだから、オレが生まれつき目が見えないというのは何かのはずみだ。な-んにも見たことがない。そうして17年間生きてきた。
「不自由な思いをさせて」と親に悲しそうな声で泣かれたりしてきた。もちろんオレが自由だとは思わない。でも自分のできることはすべてできる。ギターも弾けるしね。チャーハンくらいならひとりで作れる。いいことと悪いことを自分なりに判断もできる。自分のできないことが多いことを不自由と呼ぶのならば、ぼくもそうだが目の見える人も不自由ってことだろう。同じだ。目は見えないが耳や鼻はその分優秀らしい。小学2年生のとき友達の家のかすかなガス漏れに気づいたこともある。自分としてはお利口な犬のお手柄みたいでちょっと嫌だったが、命拾いした仲間たちにはそれからしばらく「ゴッド」と呼ばれた。目が見えなくて耳と鼻が少しいい人生がどういうことか、他人の人生と比較のしようがないのでオレにはわからない。いいも悪いもオレにはこれしかないんだから、満足も不満足もない。もしオレの目が見えていても、きっとそういうことだろう。

 ある日大ニュースがあった。オレの目が見えるようになるらしい。医学の輝かしい進歩だ。両親はオレの手をとって、泣いていた。オレは生まれつきのことだから慣れっこになっていたのか、もしくはこれはこれで問題もなかったので見えることを激しく望んだことはなかった。しかしいいニュースに違いない。わくわくもする。これを喜ばなければ何を喜ぶべきか、って感じ。入院して手術して成功した。あっけなかった。手術前は「怖くないですよ」とか「痛くないですよ」と吉田先生や看護師の岡本さんにむしろ脅された。目の中にメスという名の刃物を入れるらしい。しかしオレはメスというへんな名前のヤツはおろか自分の目ん玉も見たことはないのだ。見たことないもの同士で彼らの言う恐怖をどう組み立てていいのかも想像もつかない。そんな感じも含めて手術はあっけなく終わった。岡本さんが言うには、吉田先生は名医で経過は順調だということだった。岡本さんは可愛い声の人で、ハタチだと言っていた。オレはまだ17だから働いている女の人がみんな年上なのはしょうがない。体温とか血圧とかでカラダを触られると、正直どきどきした。包帯というヤツで目の回りはぐるぐる巻きだったが、病院の中を普通にあちこちうろうろもできたし、もともと見えないからね、入院生活もイヤな感じじゃなかった。

 そしてメインイベントにしてクライマックス、目の包帯を取る日がやってきた。オレとしては何が見えるということよりも、見えるという感覚はどういうものなんだろということでアタマがいっぱいで、でも想像してみたところでわかるわけなくまあい
いか程度の気分でいたが、母親や岡本さんのほうが興奮していることは声のトーンでわかった。テレビの感動ドキュメンタリ-にありそうな話なのだ。そのうちオレのまわりで、オレが最初に見るべきものは何であるかということが議論が始まり、オヤジが「やっぱり自分の姿だろう、自分の存在をはっきり自覚できるから」と言い、なんだよちょっと待てよオレはそもそもここに存在しているではないかということを口にしようとしたが、まわりの連中は一気に納得したみたいでオヤジは満足げに咳払いをした。「じゃあ始めます」とカウントダウンしかねないようなウキウキした声で岡本さんがオレの包帯を取った。「さあゆっくり目を開けてだいじょうぶだよ」という吉田先生の声でオレが自分の目で生まれて最初に見たものは、壁にかかった板だ。つるんとしている。これが鏡というヤツか。ものや人を映すものと聞いたことはあるがもちろん見るのは初めてだ。映すとはこういうことか。そしてつまりその鏡という板にへばりついているヤツがオレということになる。これが鼻か。穴はこういうふうに開いていたのか。以前から目と鼻の位置関係はほぼつかんではいたものの、正確にはこういうふうになっているのか。試しに口を開いてみた。なんだこの肉の色。なるほどそうかこういうのを色というのだな。その奥は見えない穴だ。こんなところに食べ物を放り込んでいたのか。食べ物ってのは何なのかね。何だったのかね。固かったり軟らかかったり乾いていたり濡れていたり。そう思いながら、オレはガッカリしたし疲れた。オレは自分がこんなに物体だとは思わなかった。食べ物と同じ物体だ。固かったり軟らかかったり乾いていたり濡れていたり、何なのかねオレ。外の世界のないオレには想像力しかなかったから、でも想像力は無限につながっていってオレを飽きさせることはなかったから、自分は大きいも小さいも固いも柔らかいもなく表わしようもないくらいとてつもないものだと思い込んでいたけど、目の前のこの物体じゃあなあ。…醒める。タケシという名前はコイツこの物体につけられた名前だ。オレじゃない。それにしても鏡。おまえ何映してんだ?ほんとおまえつまらねえヤツだな。オレは鏡を叩き割りたい衝動を押さえるように目を閉じた。すっごく落ち着いた。


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