さて、今までカンヌの周辺情報や、
カテゴリーをピックアップしてコラムを書いてきましたが、
今回は「僕にとってのカンヌ2012」を書こうと思います。
ひとことで言うと、「失意のカンヌ」でした。
「カンヌは出品して行かなければ意味が無い」
たぶん、広告業界でカンヌを意識した事がある人なら、
かならずこのコトバに遭遇します。
日本の大手代理店やプロダクションは、
不景気といってもまだ余裕があるのか、
わりと若手でも「視察」「研修」の名のもとに社費でカンヌに行けたりします。
僕も初カンヌはそうでした。
出品しないで行くと、スクリーニングやセミナーに参加したり、
社外の人とふれあったりというのがメインになります。
前述しましたが、それも十分な意義がある行為です。
僕も初めての参加はそうでした。
ですが、やはり制作者である以上、
自分のつくったものが、諸外国人の目にさらされ、ジャッジされる、
という緊張感は何とも言えない経験であると思います。
そして、日本でウケているCMの多くが、まったく無反応であったり、
ブーイングの対象になっていることに愕然とするのです。
2012年、僕は「ぜに屋本店」というCMを出品しました。
あまり自分で言うのもいやらしいですが、
アドフェストでグランプリを穫ったので、
「もしかしたら学生の頃から憧れていたあのカンヌも・・・」
と思ってしまったのは、今思えばムリのないことでした。
自分が行く事は即決したのですが、
「こんなチャンスはもうないかも!」と、
若干テンションが暴走して、
監督の岸さん、プロデューサーの佐々木さん、
音楽監督の松尾さんたちを誘いまくって、
カンヌに呼んでしまいました。
アドフェスのときはまったく油断していて、
(正直、出品した事自体を忘れていた)
別件の撮影でトルコから帰った朝に受賞の知らせを聞いて、
その日の深夜便で羽田からタイに向かったので、
チームの誰も来れずに一人で登壇しました。
(質庫 ぜに屋本店CM・英訳版 ↑ )
なので、今度こそいいことがあったら
チームで分かち合いたかったんです。
さらに、僕のハイテンションが伝染した営業が、
ぜに屋の社長さん夫妻をカンヌにアテンドすることになってしまいました。
ちょっと大事です。
カンヌの日程が進み、
結果を待つうちに、自分の感情はともかく、
色んな人を動かしてこれで何も残せなかったらどうしよう、
と、ソワソワしてかなり落ち着かないモードになりました。
(写真② フィルムの日本勢は惨敗)
そして発表。
結果は無情なものでした。
自分のCMはもとより、
日本勢はインターネットフィルム以外は、
ブロンズにすら一つも入らず。
フィルムクラフトも日本は全滅。
インタラクティブ系カテゴリーの華々しい成果と裏腹に、
日本のフィルムは厳しい評価を突きつけられたのでした。
リストを見ながら、ボーっと会場に座り込んでいたのを
よく覚えています。
(写真③ ボーっとしている自分)
アジアでグランプリを穫っても、
ヨーロッパでは相手にされないのか・・・、
などとひと昔前のサッカー日本代表のような無力感を
抱えて会場の階段で呆然としていると、
岸監督や佐々木Pが僕のもとにやってきて言いました。
「明日は、クールダウンのために会場を離れよう」
脱力をした僕をCMの最後のようにおんぶするイメージで、
仲間達は僕を救ってくれたのです。
翌日。
一行は街でレンタカーを借り、
カンヌ周辺へと小旅行に出かけました。
行った場所はこんな感じです。
○コートダジュールの海岸→とても美しく、走るだけで気持ちがよかった。
(写真④ コートダジュールの美しい海岸線)
(写真⑤ 思わず気取りたくなる空気感)
○グリマルディ城(ピカソ美術館)→お城が美術館になっています。
ピカソ好きは必見。
(写真⑥ 雰囲気のある古城)
(写真⑦ ピカソ翁が出迎えてくれます)
○エズ→かつての切り立った要塞に、街が出来ていて、レストランが多数存在。
夜はかなりロマンチック。別名「鷲の巣」。
(写真⑧ リアル「天空の城 ラピュタ」)
これはとても楽しい旅でした。
結果発表まで張りつめていた緊張感がゆるんだ
こともありましたが、みんなつとめて明るく振る舞ってくれて、
本当に助かりました。
旅の最後の方でちょっとしたトラブルに巻き込まれ、
けっこうヒヤヒヤしましたが、
みんなそれなりに英語がしゃべれたので何とか切り抜けて帰還。
そしてカンヌに戻った翌日、営業から電話が入り、
ぜに屋の社長さんが夕食のお誘いがあるとのこと。
バツが悪いですが、監督共々ご一緒にすることになりました。
お店は「ムーラン・ド・ムージャン」というカンヌ近郊の
村にある高級レストランでした。
(写真⑨ た、高そうなレストランや・・・)
「入賞できずにすいません」
と平謝りする僕に、
「今まであれだけ結果を出してくれて、
ここまで連れてきてくれたんだから感謝していますよ」
と逆にお礼を言われてしまいました。
やはり、社長とは器の大きな人がなる職業なのだな、と
あらためて感じました。
(写真⑩ 社長夫妻を囲んでの会食)
かくして、僕のカンヌの狂想曲は終わり、
国内外で11の賞を穫ったCMが唯一逃したのが、
カンヌという結果となりました。
「近づけば遠のく、離れようとすると近づいてくる、それがカンヌだ」
かつて誰かから聞いた言葉が、いつまでも耳の奥に響いていました。
前のコラムで書いた、
おすすめしない「エスケープカンヌ」を実行してしまったわけですが、
あまりに、カンヌで辛い事があったら、憤ることがあったら、
一日くらい気分転換することをお勧めします。
「PKを外す事ができるのは、PKを蹴る勇気を持ったものだけだ」
という言葉があるように、
出品した人間にしか得られない悔しさや喜びがカンヌには、
あると思います。
僕はまだカンヌの喜びを知りませんが、
「失意のカンヌ」を糧として、
いつかそこにたどり着けるまでコツコツ頑張ろうと思います。
次回は最終回です。