私は行かなきゃならない
私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
もう火はかなりまわって家の中が真っ赤だし
二階の屋根の、黒光りする瓦と瓦の隙間から
白い煙が空に向かって噴き上げている。
ここにいても熱いのに、
燃えている家の中はさぞ灼熱だろう。
でも私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
午前三時の祇園花見小路。
お座敷を済ませて
やっと布団に入ったら障子の向こうがぱあっと明るくなって
もしかしたら火事とちゃうやろかと
隣で寝息をたてていたあの子を
揺すぶって揺すぶって揺すぶって起こして
階段を駆け下りて裸足のままやっと外に出て
おお来たかと先に逃げたみんなに労られている最中に
「姐さん、姐さん」と声が聞こえた。
声は家の中からだった。
私は行かなきゃならない。
どうしても行かなきゃならない。
あの子は九州から来た子で
舞妓ちゃんになっても言葉がちょっとおかしかった。
それをみんなが注意したし、私はときどきからかった。
そうだ、私は意地悪もした。
おかあさんが着せてくれる着物も帯も簪も
いいものを私が取った。
いけずなお客さんのお座敷から先に帰ったこともあった。
だから私は行かなきゃならない。
意地悪をしたから。
玄関の戸の開け閉めをうるさく注意したから。
親孝行がしたいというあの子の口癖を聞いていたから。
夜中に布団がひくひく震えて
声を出さんように泣いているのを知っていたから。
処刑される人を黙って見守る群衆のような無責任な同情で
あの子が焼かれて死んでいくのを見ていることが
どうして私にはできないんだろう。
姐さん、姐さん。
学校なら先輩と後輩の関係が
ここでは姐さんと妹分になる。
縁という名で呼ばれる偶然としきたりで
がんじがらめに結びつけられた私とあの子だから
姐さん、姐さん。
あの声に応えなかったら
私はこの町で妹を見殺しにしたと噂される。
だから私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
姐さんと呼びつづけるあの子を抱きかかえ、
燃え落ちる屋根の下できっと死ぬんだ。
小さい頃に死んだら空へ昇るときいたその空は
青空かと思っていたのに
いまは火事の炎で赤く染まって空まで熱そうだ。
出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/