4月11日の収録のとき
朝日新聞の取材がありました。
写真左、チームVisionの古田彰一さん
その右隣、同じく小山佳奈さん。
古田さんは新聞記者とコピーライターの比較を
こんな言葉で表現しました。
たとえば円を描くとき
そのまま円を描くのが「事実を伝える人」
周りから描写を始めて、
時間をかけてたったひとつの円を 完成させるのが
「コピーライター」
そのままVisionの原稿になりそうです。
記者の山家さん(上の写真)は
いまどきパソコンを使わない珍しいタイプ。
Visionの声VieVieさんは
読む姿も雰囲気たっぷり…
*この取材の記事は
4月19日の朝日新聞の朝刊に掲載されます
2009 年 4 月 のアーカイブ
Visionが記事になります
中村直史 09年4月12日放送
マーク・トウェイン
100年以上も前、
ミシシッピ川に
ひとりの水先案内人がいた。
船の扱いに長けていた彼は、
言葉の扱いにも長けていた。
やがて作家へと転身。
多くの名言を残すこととなる。
もやい綱をほどき、安全な港から船を出し、
その帆に貿易風を受けよ
探検し、夢を見、発見するのだ
文豪マーク・トウェイン。
彼はいまでも
人々を目的地へと
導いている。
島崎藤村
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
島崎藤村の「初恋」は、
人を恋することを知った少年の
はかない気持ちに満ちている。
恋は、人に人生の喜びを教えるが
同時に癒えることのない悲しみも刻みつける。
気がついたら、春になっていました。
恋をしましょう。
柳家小さん
落語は不思議だ。
何百年も受け継がれた話を繰り返し聞いて、
何がおもしろいのだろう。
5代目柳家小さん(やなぎや こさん)の落語は、
間違いなくおもしろかった。
「間」がたまらないのだ。
小さんの「間」には、語られない言葉がつまっていた。
生きるということの滑稽さや温かさに満ちていた。
いま寄席に出かければ、
小さんの弟子たちを見ることができる。
名人、小三治(こさんじ)、
柳亭市馬(りゅうてい いちば)
かの天才、立川談志。
それぞれの個性で
観客を魅了する彼らであるが
その声、そのしぐさの中に
小さんは生きている。
落語家はただ
落語を受け継ぐのではない。
人間を受け継いでいるのだ。
マーラー
その曲のラストには死が待ち受けている。
グスタフ・マーラーが亡くなる1年前に書いた
交響曲第9番。
死と向き合い、闘い、最後には受け入れる。
静かに、壮絶に、死へと突き進む曲。
最終章の長いピアニシモは、
生と死のはざまを思わせる。
そして演奏が終わっても
しばらく続く無音。
それは死んだ者たちが
消え失せてしまったのではなく、
ちゃんと自分のそばにいることを
確信できるやさしい無音だ。
指揮者ブルーノ・ワルターは
この曲の終わりを
「青空に溶け込む白い雲のように」と表現した。
その曲のラストには死が待ち受けていて
恐れることはないのだと言っている。
ハービー・ハンコック
何がかっこいいのかを知りたければ、ハービーを聴くといい
ジャズをつくり、
ジャズを壊し、
世界を驚かし続けてきた音楽の冒険家、
ハービー・ハンコック。
彼の挑戦は、
いつも「受け入れること」からはじまった。
違ったジャンルの音を。
違った考えの人々を。
彼はこんなコメントを残している。
私は演奏するとき、一生懸命にならないよう努力しています。
ただ、心を開こうと思うだけです。
そうすれば、何が起きてもオープンに受け入れられ、
進んでその瞬間に起きていることの
自然な流れの一部になりたいと思うようになります
ハッピー・バースデー、ハービー。
今日は、ハービー・ハンコック69回目の誕生日。
ガガーリン
48年前の今日。
「ボストーク1号」で
世界初の有人宇宙旅行に成功したパイロット
ユーリイ・ガガーリンは
こんな言葉を残していた。
地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、
薄青色のまるい光にかこまれていた
要約すると
「地球は青かった」という有名な言葉になりますね。
今日は人がはじめて宇宙を旅した日です。
川崎宗則
先日閉幕を迎えたWBC、
ワールドベースボールクラシック。
前回につづきメンバーに選ばれるも、
出番の少なかった選手がいた。
ソフトバンクホークス、川崎宗則(かわさき むねのり)。
ようやくスタメン起用された大会終盤の試合後、
「久々の試合でしたが?」という問いに、こう答えた。
僕は、ベンチの中ですべての試合に出ていました
おめでとう、
WBC日本代表。
チームワークという言葉が
古臭くも恥ずかしくもないことを
あなたたちは教えてくれた。
与謝野晶子
それは明治30年代のこと。
たった31個の言葉が
押さえつけられていた
女性の感情を
大胆に解き放った。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
詠み人、与謝野晶子。
彼女の歌には
女性として生きる喜びがあり、
そして覚悟があった。
「そぞろごと」という詩は、
こんな叫びで終わっている。
人よ、ああ、唯(ただ)これを信ぜよ
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる
4月10日から16日は、女性週間です。
小山佳奈 09年4月11日放送
中原中也 十六歳
おもしろいじゃないの。
長谷川泰子が中原中也に言った、そのひと言で
中也は恋に落ちる。
田舎から身ひとつで出てきて、
文学という魔物と対峙しようとしている少年にとっては、
誰かひとりでも
「おもしろい」と認めてくれる人がいれば、
人生は確かな輪郭を持つ。
あゝ 恋が形とならない前、
その時失恋をしとけばよかつたのです。
気づいたときには、もう遅い。
それが、恋。
中原中也、16歳の春。
中原中也 十七歳
桜の咲く御所を横目に今出川通りを東へ進み、
河原町にぶつかるその角、
古びた木造アパートの二階に、
中原中也とその恋人、長谷川泰子は、
小さな居を構えていた。
春風です。
よろこびやがれ凡俗!
アスフアルトの上は凡人がゆく。
顔 顔 顔。
下宿の窓から春を見おろしていた
中原中也17歳。
恋人と初めて迎える春でした。
中原中也 十八歳
その日は夕方から雨になった。
中原中也と長谷川泰子が暮らす高円寺の家に、
中也の親友、小林秀雄がやってきた。
その人は傘を持たずぬれながら軒下に駆け込んでき ました。
私はハッとしました。
その人は雨の中から現れ出たようで、
雨にぬれたその人は、とても新鮮に思えたのです。
すぐに二人は恋に落ち、
長谷川泰子は中原中也の元を去る。
その日に、雨さえ降っていなければ。
その日が、4月でなかったならば。
4月は案外と雨が多い。
中原中也、18歳の春。
中原中也 十九歳
デビュー作というものすべてが、
一瞬の初期衝動で生み出されるものと思ったら、
ちょっとちがう。
どんな天才であっても、
デビュー作には特別な想いがあり、特別に骨を折る。
中原中也が、初めて文壇に発表した詩、「朝の歌」は
わずか14行に3ヶ月以上の月日をかけている。
ひろごりて たいらかの空
土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢
恋人は去った。
友人も去った。
故郷も去った。
それでも気がつけば、たったひとつ
詩、という名の夢が残った。
中原中也、19歳の春。
中原中也 二十三歳
僕が死んだらあいつに見せて欲しい
そう言って、中原中也が友人に渡した分厚い原稿用紙の束は
別れた恋人長谷川泰子への愛の詩だった。
女よ、美しいものよ、私の許にやっておいで。
どんなに私がおまえを愛するか、
それはおまえにわかりはしない。
未練のある男は、女々しいが
未練のない女は、男らしく
気づいても気づかないふりをする。
中原中也、23歳の春。
中原中也 二十八歳
今この瞬間を生きることしか考えてこなかった中原中也が、
未来というものの存在に気づいたのは
はじめての子供を持ってからだった。
自分の未來と子供の未來を合わせれば
何か大きな仕事ができそうだ
その子がたった2歳で急逝することを知らず….
喜びに満ちていた
中原中也28歳の春。
中原中也の声
4月生まれの詩人、中原中也は、
亡くなる直前、こう言った。
今に分かるときが来ますよ
喧嘩っ早くて、
酒を飲むとすぐ大声で、議論をふっかける。
中也は激しい気性ばかり注目されて
魂の底にある悲しみに気づいてもらえなかったことが
多かったけれど。
それでも死の翌年には
たった一人の理解者だった小林秀雄の手で
最後の詩集「在りし日の歌」が
出版されている。
今にわかるときが来ますよ
中原中也の声が聞こえますか。
Vision 放送時間
Vision の放送時間帯は
土曜日と日曜日の夕方から深夜にかけて
定時の時報の前の数分間です。
たとえば、土曜日なら1回めの放送が17時54分の
ニュースや交通情報の後になります。
日曜日は16時54分の
ニュースや交通情報の後が1回めです。
土曜日7回、日曜日8回、
日付が変わるまで放送されます。
保持壮太郎 09年4月5日放送
カート・コバーン
10代でギターを握ったかつての少年たちにとって
ロックか、ロックじゃないかは、
ほとんど唯一と言ってもいい価値基準だった。
たとえば信長はロックだけど
家康はロックじゃない。
リンカーンはロックだけど
ベンツはロックじゃない。
みたいなことを、
本気で語りあったりしていた。
そんな1994年の4月5日。
グランジロックのカリスマ、
カート・コバーンが自ら命を絶った。
ニール・ヤングの歌詞を引用した
短い遺書をのこして。
じわじわ消えていくより、ぱっと燃え尽きたほうがましさ。
あの悲しみが、
ロックだったのか、
ロックじゃなかったのか。
あのころの少年たちは
もう結論を出しただろうか。
正岡子規
彼のポジションは、
キャッチャーだった。
彼は、
遠く米国からやってきた
そのベースボールという
風変わりなスポーツに
心底熱中していた。
彼は、
そのスポーツを深く愛するあまり
自らの名を、“野球”と書いて
“のぼーる”と称することにした。
のちに“野球”は、
ベースボールをさす日本語となった。
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
正岡のぼーること、正岡子規。
彼の愛したベースボールが、
ことしも海の向こうで開幕する。
リチャード・P・ファインマン
悲しみはいつも、ふとしたもので。
ノーベル賞物理学者
リチャード・P・ファインマンは、
若き日に、最愛の妻アーリーンを亡くした。
でも彼は、
わざわざ感傷にひたるなんてことはせずに、
アーリーンは死んだよ。ところで例のプロジェクトはどうなった?
そう言うと、
あとは仕事に没頭していた。
ただ、ある晴れた日に
オークリッジの街を歩いていて、
ショーウインドウの
うつくしいドレスにふと目をとめたとき
ああ、アーリーンの好きそうな服だな。
と思った。
たったそれだけのことだったけれど、
彼の涙をあふれさせるには充分だった。
気づくことは、ときに悲しい。
ジョン・レノン
事実。
世界はとても不平等で。
そこには、持つものと、
持たざるものがいる。
たくさんのまずしさが、
誰かのたるんだ身体を
支えているなんてことも
さしてめずらしい話ではない。
けれども、
かつてジョン・レノンは言った。
英国王室主催のステージ、
女王陛下の目の前で。
貧乏な人は拍手をしてください、
お金持ちの人は宝石をジャラジャラさてください、
それでは次の曲『Twist And Shout』です。
そのとき、
たしかに世界は平等だった。
アルベルト・アインシュタイン
ものごとの真理を
見つめるという意味において。
物理学者のまなざしは、
ときに、文学者のそれに似ている。
アルベルト・アインシュタイン。
彼は、
相対性理論の “相対性”とはいったい何ですか?
と、たずねられたとき、こう答えた。
熱いストーブの上に
1分間手を乗せてみてください。
まるで1時間くらいに感じられることでしょう。
ところが可愛い女性のとなりに
1時間座っていても、
それは1分くらいにしか感じられない。
それが、相対性というものです。
そんなアインシュタインの妻、エルザは
同じ問いかけに、こう答えている。
相対性?相対性のことは、よくわからないけれど、
アインシュタインのことなら、何でもわかっていますよ。
なるほど、と
みんなが思った。
長嶋茂雄
科学的で、論理的で、現実的な世の中で
人はいつでも奇跡に飢えている。
おこるはずのないことを期待している。
1958年4月5日 後楽園球場
偉大なる例外が、この日はじまった。
4打席連続空振り三振。
長島茂雄、鮮烈なプロデビュー。
アンドリュー・ワイルズ
春ともなれば、
教室には、
数学を学ぶハメになった
子供たちのしかめっツラが並び、
そのうちの一人が、
決まって質問をする。
それは、いったい何の役に立つんですか。
かのフェルマーの最終定理が、
ついに証明されたときも
新聞記者の口をついてでたのは
やはりそんな質問だった。
フェルマーの定理は、いったい何の役に立つんですか。
すると、偉業をとげたばかりの
若き数学者アンドリュー・ワイルズは、胸をはって言った。
この定理は、はるか将来にも何の役にも立たないだろう。
でもそれでいい。私の数学が応用の奴隷に成り下がるなんて、
私には耐えられないことだから。
ワイルズらしい、美しく明快な解答だった。
マイルス・デイビス
純粋なものはつよい。
純粋であることは
とてもとてもむづかしいことだけど。
モダン・ジャズの帝王マイルス・デイビスが、
かつて白人ピアニスト ビル・エヴァンスと組んだとき、
一部のリスナーはこんな批判した。
なんで白人なんかとツルむんだ。失望したぜ。
でも、マイルスの答えはとてもシンプルだった。
イカした演奏をするヤツなら、肌が緑色だって俺は雇うぜ。
そして彼の最高傑作のひとつ、
「カインド・オブ・ブルー」は生まれた。
佐藤延夫 09年4月4日放送
アンドレイ・タルコフスキー
“水は動きを、深さを、変化や色彩を、反映を伝えます。
これは地上で最も美しいもののひとつです”
ロシアに生まれた映像詩人、アンドレイ・タルコフスキーは
人間の意識を、水や水滴で表現しました。
1972年の作品、「惑星ソラリス」。
それは、海そのものが理性を持つ惑星。
1983年の作品、「ノスタルジア」の中で主人公は言います。
「芸術を理解するには、国境をなくせばいい。」
そういえば彼の故郷には、
ロシアの母なる川ヴォルガが流れていました。
川に国境なんて、ない。
サマセット・モーム
「月と10ペンス」で有名なイギリスの小説家、サマセット・モームは
10歳のとき一家離散の憂き目に遭い、
孤独な幼少期の中で、作家になることを決意します。
作家活動を始めると、旅行好きであることを利用され、
戦争では軍部の諜報機関に配属。
のちに病気でスパイ活動をやめると
ようやく自由の身に。
アメリカ、タヒチ、日本、中国、シンガポールなど
世界中を旅してまわりました。
のちに彼はこう語っています。
“ 人生とは面白いものです。
何かひとつを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです ”
なるほど、そうでしたか。
川端康成
“ 別れる男に、花の名をひとつ教えておきなさい。
花は毎年、必ず咲きます ”
ノーベル賞作家、川端康成の言葉です。
もしもあなたが、別れる相手に後ろ髪をひかれる、
あるいは、ささやかな復讐心を持っているなら、
ぜひ試してみてください。
その花が咲く季節になると、
彼はあなたのことを、きっと思い出すでしょう。
でも、セントポーリアや、ストレリチアを教えるのは、
いささか意地悪かもしれません。
なぜって
一年中咲く花ですから。
レイモン・ラディゲ
“ ふたりの幸せは、砂の城だった。
ぼくは、満ち潮ができるだけ遅くやってくるように願っていた ”
コクトーに見いだされた若きフランスの小説家、
レイモン・ラディゲの作品「肉体の悪魔」。
第一次世界大戦のさなか、
魅力的な年上の女性マルトと恋に落ちる15歳の「ぼく」。
この小説は自身の体験を元にしたとも言われています。
40歳のような視点を持つと言われたラディゲは、
「肉体の悪魔」を発表した年、
腸チフスに罹り、20歳の若さでこの世を去りました。
“ 死が悲しいのは、生命と別れることでなくて
生命に意義を与えるものと別れることである ”
確かにそうですね。
アルチュール・ランボー
早熟の天才詩人と言われる
アルチュール・ランボー。
18歳のときに、詩人ヴェルレーヌとパリで出会い、
ブリュッセル、ロンドンなどを放浪。
2年後、関係が悪化したヴェルレーヌに別れを告げると、
拳銃で左手首を撃たれてしまいます。
“ 僕は自分の空想と追憶を
埋葬しなければならなくなった ”
新作「地獄の季節」を出版したのち、
ランボーは、完成した本を焼き払い
詩人としての自分と決別します。
わずか21歳だったのに。
ジェーン・グドール
東アフリカ、タンガニイカ湖のほとりに
ゴンベの森があります。
イギリスの動物学者ジェーン・グドールがこの地に立ったのは
26歳のとき。
彼女は、長い月日をかけチンパンジーと交流し
顔を見分け、ひとりひとりに名前を付けました。
“ 長い間、自然の森の中で暮らしていると
本当は「死」というものがないんだ、ということがよくわかってきます。
あるのは命の循環だけなのです ”
今、ゴンベの森に行ってもジェーンに会うことはできません。
森林とチンパンジーを保護するため
世界中で講演活動を行っています。
バーナード・ハーマン
ヒッチコックに数多くの楽曲を提供した
アメリカの作曲家、バーナード・ハーマン。
彼はヒッチコックの記念すべき50本めの映画の制作中に
監督と激しく対立し、
生涯、袂を分かつことになります。
映画のタイトルは「引き裂かれたカーテン」
使われなかったハーマンの音楽を
ためしにつけてみた映像特典つきのDVDが
数年前に発売されたようです。
アガサ・クリスティー
イギリスの推理作家、アガサ・クリスティーは
24歳で空軍将校と結婚し、
38歳のとき離婚。
亭主の浮気に腹を立て、
置き手紙を残し、失踪騒ぎを起こしています。
その2年後に一緒になったのは、14歳も年下の考古学者。
彼女は、嬉しそうに語っています。
“ 考古学者は、どんな女性にとっても最高の夫です。
妻が歳をとればとるほど、より一層、興味を持ってくれるから ”
レオポルド・ストコフスキー
ロンドンに生まれ、アメリカで活躍したオーケストラ指揮者、
レオポルド・ストコフスキーは
音楽活動の傍ら、メディアにも積極的に進出しました。
ディズニー映画への出演のほか
オーケストラで初の電気録音を行い、のちにステレオ録音にも挑戦。
本業の演奏スタイルも独創的でした。
決してタクトを振ることのなかった彼は、
口癖のように、こう語っています。
“ 1本の棒よりも、10本の指のほうが
遥かに優れた音色を引き出せる ”
納得できる言葉です。
聖徳太子
今から1400年以上も前、
推古天皇の時代。
淡路島に、ひと抱えもあるほどの香木が流れてきました。
その木片を火にくべると
なんとも良い香りがしたので
朝廷に献上したそうです。
その香木で聖徳太子が観音像をつくったとも言われています。
手を合わせると、香りでも癒してくれそうです。
4月には、お香の日という記念日があります。
Vision始動
J-wave の週末の夕方、番組と番組をつなぐ
すきま家具のようなショートプログラムがあります。
土曜日は17時55分から18時までの間の何分か
あとは23時55分の最終まで7チャンスあります。
日曜は16時55分から8チャンスです。
4月から「Vision」と名前をあらため
新メンバーの執筆陣でお送りすることになりました。
ここにはそのオリジナル原稿と
音声の一部を掲載しています。
チームVisionのメンバーをアイウエオ順で紹介します。
江口順也、小山佳奈、佐藤延夫(事務局)、中村直史、
名雪祐平、古田彰一、保持壮太郎。
目下この7名で構成されていますが
自薦他薦、メンバーを募集中でもあります。
ひとりが1日分を担当するので
7~8本書かねばならず、タイヘンなのであります。
番組Vision、そしてチームVisionを
よろしくお願いいたします。