佐藤延夫 09年5月2日放送

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岡本一平 偶然

偶然。

その言葉は、どこか曖昧でありながらも、
不思議な説得力を持つ。

大正時代の漫画家、岡本一平は
偶然にも、ひとりの娘と出会う。

大貫かの子、のちの岡本かの子である。

肉感的な立ち居振る舞い。
その反面、
ときおり見せる、あどけなく可憐な仕草。

一平はやがて、かの子の虜になっていく。
かの子は、多くの男を虜にしていく。

偶然と運命は、いつも折り重なって存在するのか。

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岡本一平 恋愛

恋愛。

その関係は、いつでも対等の立場であるはずがない。

手紙のやりとりから始まった
岡本一平とかの子の恋。

かの子の筆遣いは大胆にして
生きた感情を包み隠すことなく、ぶつけてくる。

あらためて一平は、かの子の魅力に引き込まれていった。
したためる言葉も、変わっていった。

“これは僕が落とした涙の跡です”
“かわいそうだと思って、会ってくれ”

一平はすでに、かの子の奴隷になっていた。

服従。それも恋愛の、ひとつの形。

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岡本かの子 才能

才能。

ときにそれは、努力では覆いきれないほどの力を持つ。

画家の卵として、細々と仕事を続ける岡本一平。

妻のかの子は、すでにその限界を察知していた。

“一平は人間としては誠に面白いかはり、到底一生凡俗以上に
 なり得ないと見極めが付いたやうに感ぜられます”

兄に宛てた手紙には、そう綴られていた。

一平が、洋画家ではなく、漫画家として脚光を浴びるのは、
ほんの少し、先の話になる。

“お父さんは、絵が下手だねえ”

のちにそう言ったのは、長男の太郎。
岡本太郎だった。

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岡本一平 立場

“総理大臣の名前は知らなくとも
岡本一平の名を知らぬ者はいない”

洋画家から漫画家に転向した岡本一平は
世間にそう言わしめるほどの売れっ子になっていた。

そして1921年の今日、5月2日。
日本初の物語漫画「人の一生」の連載を始める。

“この仕事は、僕にとって、僕の生涯を掛けた芸術の一大投機です。”

その後、一平は「第二の夏目漱石」と評され、
絶対的な地位と名声を手に入れる。

しかし妻かの子との関係は
もはや修復できないほどになっていた。

新しい立場と、消えゆく立場が揺れていた。

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岡本かの子 奇妙

奇妙。

それは一般的な常識や概念とズレが生じたものを指す。

たとえば岡本一平とかの子の夫婦関係は、
奇妙と言わざるを得ない。

一平のほかに、
かの子が愛した男たちは皆、岡本の家で暮らしていた。

早稲田大学の学生、堀切茂雄。

二十年にわたり
身の回りの世話を買って出た恒松安夫。

かの子の手術を執刀した医師、新田亀三。

三人とも、亭主である一平の許可のもと、
半生をかの子に捧げた。
いくつもの奇妙な愛が、岡本家を包んでいた。

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岡本一平 変化

変化。

それはときに、思いもよらない結果をもたらす。

昭和13年の春、意識不明となった岡本かの子は、
翌年、帰らぬ人となった。

夫の一平は、こう語っている。

“ああ、何で人生にはこんな酷い出来事が構へられてあるんだ”

そんなとき、一平の体を気遣う娘がいた。
かの子の兄の忘れ形見、鈴子だった。

一平は、鈴子に心惹かれ、結婚を願い出たが
認められる筈もなかった。

かの子が亡くなった、その秋の出来事である。

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岡本太郎 巴里

巴里。

岡本太郎は、18歳から29歳まで、
この地で暮らしている。

ある日、ラ・ボエッシー街の画商でピカソの絵を見たとき
太郎は、溢れ出る涙を、抑えることができなかった。

“これこそ、自分が突き詰める道だ”

私生活では、生涯独身を通している。
両親の影響を受けたのかと思えば、そうでもない。

“世界中にこんなに沢山すばらしい女性がいるのに、一人だけ指定席に。
 あとはシャット・アウトなんて。そんなことできない。フェアーじゃない”

彼が生涯の伴侶にしたものは、
芸術だけ、だったのかもしれない。

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