古田彰一 09年5月24日放送
スティーブン・スピルバーグ
母子家庭で育ったスティーブン・スピルバーグは、
映画「E.T.」を境にして、大人になった。
映画では、母子家庭で育つエリオット少年の前に、
父親の不在を埋めるかのようにE.T.が現れる。
それから実にラスト近くまで、
映画には母親以外の大人の顔が写らない。
エリオットがE.T.との別れを覚悟したとき、
はじめて大人たちの顔が見え始めるのだ。
それは少年が大人への一歩を踏み出す物語であり、
スピルバーグ自身が社会を受け入れるステップでもあった。
スピルバーグは、映画を撮ることで成長した。
彼にとって父親とは、彼自身の映画そのものだった。
バッハ
近代音楽の父、といえばバッハを指す。
バッハ以前の音楽には、主旋律と伴奏の区別がなかった。
あらゆる音が、同等に、入り交じって鳴っていた。
バッハが主旋律という概念を発明しなければ、
エルヴィスが恋を歌うことも、
ストーンズが反抗を叫ぶことも、
ジョンが平和を訴えることも、なかった。
すべての音楽を壊して、
すべての音楽を作ったバッハ。
彼は音楽史上、最大のロックン・ローラーだった。
シャルル・ボードレール
フランスの詩人、シャルル・ボードレールは、
意外とカジュアルな一行も残している。
「女と猫は呼ばないときにやってくる。」
さて、どう取るか。
1. 女に失礼である
2. 猫に失礼である
3. どちらもその身勝手さが好きである
4. どちらも呼んでも来ないし呼ばなくても来ない
たった一行でその人なりの人生観まで
呼び起こされてしまうところが、
なるほどくやしいがボードレール。
ちなみにボードレール本人は
女性に不自由しなかったダンディ詩人。
そこがまたくやしい。
アラン・ケイ
パーソナル・コンピュータという概念を考え出したのは、
科学者アラン・ケイである。
マウスによる操作方法、
ノートパソコンの誕生、
インターネットの発展。
なぜ60年代の昔に、
すべての予想をズバリ的中させることが出来たのか?
「未来を予測したければ、
未来をつくればいい。」
そこにはタネも仕掛けもなかった。
アランは、今日も未来を作り続けている。
アラン・スミシー
アラン・スミシーという映画監督がいる。
だが、アラン・スミシーという映画監督は実在しない。
彼が現れるのは、ハリウッドの映画会社と
監督とのあいだにトラブルが発生したとき。
つまり監督が降りてしまったときに
やむなくクレジットされる、架空の監督なのだ。
ハリウッドはこの事実を隠し続けたが、
人の噂は止められない。
とうとう2000年にアラン・スミシーの
存在を認めて、引退させた。
でも、アランは一人だけだったのか。
あなたが好きなあの映画監督も、
本当はこの世にいないのかもしれませんよ。
阿久悠
言葉は相手のためにある。
作詞家、阿久悠の歌詞には、
いつも行間が空けられていた。
聞いている人の気持ちが入るスキマが必要だ、
それが歌謡曲のコツなんだと、阿久悠は語った。
だが時代の流れは
歌謡曲から J-POPへと移ろう。
「歌謡曲は、みんなで思いを共有できる映画だ。
J-POPは、作り手の思いを吐き出すブログだ。」
晩年にそう語った彼は、少し寂しそうだった。
アーサー・C・クラーク
「じゅうぶんに進歩した科学は、魔法と見分けがつかない。」
「2001年宇宙の旅」で有名なSF作家、
アーサー・C・クラークはそう語った。
たしかに、100年前の人間がやってきて
いまのくらしを見たら。
私たちは魔法使いのように見えるだろう。
しかし進歩したのは便利さだけ。
人生の過ごし方や幸せの作り方なんかは
ちっとも進歩していない。
「人類は、まだまだ幼いのだ。」
クラークが語るように、人類は次のステージに行けるのか。
残念なことに、2001年をとうに過ぎているのに、
木星までの宇宙の旅すら、まだ実現していない。
アイルトン・セナ
その人の名を聞くと、その時代を思い出す。
F1ドライバー、アイルトン・セナは
日本のバブルに呼応するかのように現れた。
レースで勝利を重ねるセナに、若者たちは熱狂。
日本経済がそうであるように、
サーキットの宴も永遠に続くと思われた。
熱病のような興奮は、
ブラウン管に映し出されたたった一行の速報で凍り付く。
イタリア・イモラサーキット、午後6時40分。
高速タンブレロコーナーで、
アイルトン・セナはすべての走りを終えた。
ブラウン管の前で、若者たちは泣いた。
音を立てて、時代の底が抜け落ちたのがわかった。
それからほどなくして、日本のバブルもはじけてとんだ。