サウド
アジア人初の宇宙飛行士は、
サウジアラビア人だった。
スルタン・サウマン・アウ=サウド
彼は、宇宙から帰還すると、こう語った。
最初の一日は、みんなが自分の国を指していた。
三日めには、それぞれ自分の大陸を指さした。
五日め、みんな黙ってしまった。
そこにはたった一つの地球しかなかった。
もしかすると。
宇宙飛行士が日本人のときだけ
宇宙に注目するのは、
田舎っぽいことなのかもしれない。
一人の地球人として。
デニス・ロッドマン
全身に彫られたタトゥー。
緑色に染めた髪、真っ赤なマニキュア。
身長は、わずか2メートル1センチ。
NBAのバスケットボール選手のなかでは、低い。
審判への頭突き。
レスリングのようなラフプレー。
相手は激怒し、ファンは熱狂した。
そんなデニス・ロッドマンは、
たしかにヒールだったが、
哲学者のように、こう言った。
ただ行いを示せばいい。簡単なことだ。
シュートのこぼれ球を愚直に拾いまくり、
彼をスターへとジャンプさせた言葉だった。
田部井淳子
からだが弱い少女がいた。
運動会は、だいきらい。
ヨーイ、ドン!が恐怖だった。
でも、
走らなくても、歩くことはできる。
歩ければ、登ることができる。
どこまで登れるだろう。
少女は大人になって、
一歩ずつ、
一歩ずつ、
自分の高度を上げていく。
1975年5月16日。ついに、標高8848mにいた。
田部井淳子は、
エベレスト登頂に成功した
世界初の女性になった。
ジェーン・フォンダ
父の浮気に苦しみ、
母が自殺したのは、
ジェーン・フォンダが12歳のとき。
それからたった3カ月で再婚した父を
憎みつづけた長い月日。
やがて、二人は、映画『黄昏』で共演する。
親子の和解をえがくシーン。
実の父でもあるヘンリー・フォンダに、
ジェーンは、こう告げる。
I want to be your friend.
仲良くなりたいの。
憎しみとは。
相手のいちばんの理解者に
なろうとすることかもしれない。
棟方志功
ゴッホになりたかった男。
棟方志功
不遇な時代でも、
日本の画家への弟子入りを、
断固拒否した。
師匠についたら、
師匠以上のものを作れぬ。
ゴッホも我流だった。
師匠には絶対つくわけにはいかない!
1956年、ベネチア・ビエンナーレ
国際版画大賞受賞。
封建的な日本の美術界が、
ようやく彼を評価したのは、
それから数年も後のことだった。
グレン・グールド
天才は、
世界を独り占めしたがる。
ピアニスト、グレン・グールドは、
演奏中、片手が空くと、
その手でオーケストラを指揮してしまう。
とうぜん指揮者は激怒する。
帝王カラヤンでも、巨匠バーンスタインでも、
おかまいなし。
指揮癖を批判されても、こう言った。
手を縛って演奏することは、不可能だ。
正しい。
天才の癖ならば、
いったい誰が止められるだろう。
芥川龍之介
写真を撮られるとき、
人は2種類にわかれる。
笑う人と、
笑わない人。
芥川龍之介は、
笑顔の写真をほとんど残していない。
けれど、こんな言葉を残した。
人生を幸福にするためには、
日常の些細を愛さなければならぬ。
晩年のフィルムには、
こどもたちと一緒に、
芥川の笑顔が記録されている。