武満徹・段ボールの鍵盤
いつしか大河となり
海へ出ることを夢見る
一滴の湧水のように、
その段ボール紙は、夢を見ていたのかもしれない。
戦争が終わり、
焼け野原からようやく
人々が立ち上がろうとしていたころ。
男は段ボール紙でつくった鍵盤を
ピアノ代わりに作曲していた。
食べるものも着るものも
限られていたけれど、
想像力には限りがなかった。
私の物言わぬ鍵盤からは、ずっと沢山の音がなり響いていたように思います。
作曲家、武満徹。
ピアノも持たず
音楽学校にも通ったことのない
小さな作曲家が世界を驚かす、
その始まりのこと。
武満徹・作曲の作法
表現をする人は
幸せになっちゃいけない、
とある人が言った。
名だたる芸術家たちが
自らの苦しみをもとに
名作を生み出した事実も数多くある。
が、武満徹は違った。
幸せでないと、作曲なんかできません。
だから、武満の作曲は、
妻に「ごめんね」というところから始まる。
前の日の夫婦げんかさえ、
心にひっかかったままでは
仕事にとりかかれなかったのだ。
武満徹・突然のピアノ
豊かさは、お金ではなく、
気持ちで決まると僕らは知っている。
ときどきそれを忘れてしまうのが、残念だけれど。
段ボール紙でつくった鍵盤を手に、
作曲家を夢見た若き武満徹。
彼のもとに、ある日突然
本物のピアノが送られてきた。
送り主は、作曲家、黛敏郎。
武満の噂を聞き、自分の苦労と重なった。
ピアノは、武満を奮い立たせた。
それから何十年もたった1991年のサントリーホール。
音楽賞受賞のステージで
そのピアノの話になったとき、
武満は突然下を向き、泣きだしてしまった。
苦しい時代を、
豊かに過ごした人たちがいた。
忘れたくない。
黒田三郎
紙風船
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように
詩人、黒田三郎さんは
言葉を喜ばせるのが上手な人でした。
喜んだ言葉たちは、
お返しに、とばかり
人を喜ばせてくれます。
コナン・ドイル
1893年、事件が起きた。
イギリスで最も有名な男が殺されたのだ。
被害者の名は、シャーロック・ホームズ。
彼の死は、
ロンドン中に衝撃を与えた。
抗議行動が起こり、
プリンス・オブ・ウェールズが、
出版社に手紙を送った。
死に追いやったのは、作者コナン・ドイル。
自ら生み出した世紀のヒーローに
すべての時間を奪われ、
いつしか、殺しの計画を立てていた。
小説には描かれなかった、
もうひとつのストーリー。
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南方熊楠
履歴書を前にすると、
あの人のことを思い出す。
そして、敵わないと思う。
あまりの敵わなさに、うれしくもなる。
趣味の欄。
彼ならどう書くだろう。
草花、キノコ、コケ、土、星、化石、人間、
動物、宗教、エトセトラ、エトセトラ。
ミスター森羅万象、南方熊楠。
実際に彼が書いた履歴書は、
長さにして、7メートル70センチ。
ああ、敵わない。
子どものころ
山の草花に夢中になり、
2,3日帰らなかった。
村人たちは神隠しだと言ったが、平気な顔で帰ってきた。
ついたあだ名は「天狗ちゃん」。
やっぱり、敵わない。
おーい、ニッポンのみなさん。
ぼくらにはすごい先輩がいるぞ。
「なんだかこのごろつまらない」
なんて言ってると、はずかしいぞ。
永井荷風
何を恥ずかしいと思うかが、
その人の才能なのだという。
彼は、歯の欠けた
その顔を恥ずかしいと思わなかった。
家庭を顧みないことも、
ケチと呼ばれることも、
ノゾキ趣味さえも、
恥ずかしいとは思わなかった。
奇人、永井荷風。
ただ、
誰かが書いた様なものを書くのは、
恥ずかしかった。
アーネスト・ヘミングウェイ
「草食系男子」なんて言葉を聞いたら、
ヘミングウェイは笑うだろう。
彼は「男」であろうとした。
生きざまも。小説のテーマも。そして文体も。
なすべきことは、一文たりと疎かにせず正確な文章を書くこと。
たがわず顎に一撃くらわす文章を。
男どもよ。
ヘミングウェイという名の、肉を喰らえ。
余分な脂肪はなく、
噛みごたえがあり、
血の滴る肉を。