2009 年 6 月 のアーカイブ

五島のはなし⑦

「読んでだら、すごく行きたくなったよ」という多数の声にお応えして
(ほんとはそんな声ないですうそついてすみません)、
今日は「五島(福江島)への行き方」をご紹介します。

ラクなのは飛行機。羽田→福岡経由→五島福江空港
もしくは羽田→長崎経由→五島福江空港で、
乗継がよければ羽田からたった2時間半。ぎりぎり通勤圏です。
五島福江空港は、前回お伝えした鬼岳のすぐ脇です。
長崎港からの高速船もあります。ジェットフォイルといいます。これが約80分。
ゆっくり行くならフェリーで、こちらは長崎港から4時間くらい。

いちばんのオススメは、福岡の博多港から出ている深夜フェリー「太古」。
夜中の12時に博多を出て、五島の島々に立ち寄り、
終点の福江港に着くのは朝の9時。
長旅ですが、ベッドもありますし、
なんといっても飛行機の3分の1・・・くらいだったかな?の料金。
夜明けごろに甲板に出ると、
うっすらと島々が見えて「帰ってきたー」って感じで、
帰ってきたーと思うのは出身者だけだろって感じですが、
そうじゃない人にも、超思い切って書きますが「心の故郷に帰ってきたー」って感じで、
とにかく見ごたえがあります。

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鬼岳だっ



PeleTears_large

鬼岳の動画を発見。貼っておきますね。
鬼岳は日本ではめずらしい火山涙の産地だそうです。
火山涙はマグマが飛び散って固まったガラス質の球です。
ひとつ欲しいです。(厚焼玉子)

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五島のはなし⑥

「で、五島の福江島には、何があんの?」という質問にいくつか
答えを用意するとしたら、その4番目くらいに出てくるのが
鬼岳(おにだけ)です。

福江の市街地からあまり遠くなく、あまり高くなく、
あまり木も生えていない山です。
名前から察するに、鬼が住んでいるのでしょう。

小1から高3まで、年に1~3回、
遠足はずーーーーーーーーーっと鬼岳でした。
なのにまわりで「え~もうあそこはいいよ~」という声を聞いたことがありません。
恐るべし、鬼の魔力。

さらにこの山は、遠足の次の日ふもとの町(福江)に
雨を降らせるとして、とても限られた人の間で有名でした。
それが鬼ではなく子どもの仕業だと聞いたのは私が小6のころ。
いわく、遠足で山に登った大勢の子どもが、そこら中におしっこをする。
おしっこはやがて大量の水蒸気となり、山の上に雲をつくり、雨を降らせるのだと。

何年か前ひさびさに鬼岳に登ったら
きれいに整備され、天文台までできていました。
もうそこらへんにおしっこする子どももいないのでしょう。

鬼岳から見下ろすと海がきらきら~っとしてて、
それを見るのを楽しみにしている人が多いですが、
わたしは逆に海からこの山ののぺ~っとした姿を見上げるのが好きです。

鬼岳

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小山佳奈 09年6月14日放送

kyoto


湯川秀樹

いじわるな人のことを
京都の人は「いけず」という。

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹。
京極小、京都一中、京大と根っから京都育ちの彼は、
科学者としての心得を聞かれて
こう答えた。

 科学者というものは、
 女の足の指を舐るようなところがなくては
 あかんのです

戸惑う相手に、
ほくそ笑む湯川。

なるほど彼は科学者の前に
「いけず」な京都人だった。

pisa


ボナンノ・ピサーノ

彼は焦っていた。
「大聖堂建築」という、
国家プロジェクトを担った矢先。
あろうことか、建物が傾き始めた。

欠陥工事の建築家。
世紀を超えた汚名を残すところ。

しかし彼には運があった。

その後の学者たちが
それぞれの時代のありったけの科学で傾いた塔を支え、
今では立派な世界遺産、
「ピサの斜塔」となった。

ボナンノ・ピサーノ。

歴史上もっとも、
幸運な建築家である。

hideyo


野口英世

偉大なる医学者、野口英世。
彼は、偉大なる借金王でもあった。

田舎から留学費だと
金を借りては毎夜の放蕩。
死後80年がたった今でも
未払いの督促状が舞い込むという。

彼はいま、
お金を貸してくれた人たちへ頭を下げに
日本中を飛び回っている。

1000円札になって。

ほら、
あなたのお財布にも
折り曲がった野口英世が。

citynewyork


ロバート・メープルソープ

 自分の名声を見届けるまでは死ねない。

ニューヨークのロングアイランドで生まれた
ロバート・メープルソープは、
カメラを右手に、野心を左手に、
70年代のアートシーンを
一気に駆け上った。

パトロンの金と人脈は
惜しみなく使う。
有名になりたくて何が悪い。

メープルソープの写真は、
だから今でも、
残酷で完璧だ。

degas


パティ・スミス

例えばある女の子に
憧れの人がいたとする。
愛人でもいいからその人に近づきたい、
匂いを嗅ぎたい。

パンクロックの女王、
パティ・スミス。

彼女は元々グルーピー。
ストーンズにあこがれ、
ボブ・ディランに恋をし、
ジミヘンを愛した。

そして、
少女は憧れの世界に愛され、
自ら憧れの人となった。

女の子って、
時々そういう生き物。

maruyama


丸山薫

梅雨。

空にのしかかる雨雲が
あなたの顔をそんなにもくもらせるなら
丸山薫の詩を読もう。

 汽車に乗って 
 あいるらんどのやうな田舎へ行かう

彼がアイルランドを訪れたことは
一度もない。

想像力だけで出来た言葉は、
新たな想像力を無限に呼べる。

 日が照りながら雨のふる
 あいるらんどのやうな田舎へ行かう

color


ディック・ブルーナ

赤、青、黄、緑、茶、グレー。
たった6色と単純な線で出来たうさぎが、
今日も世界中の子どもたちを虜にする。

ミッフィーを50年描き続ける
ディック・ブルーナは、
今でも1枚のミッフィーを描くのに
100枚のミッフィーを描くという。

単純が一番、難しい。

恋も人生もなんだって、
複雑にしたがるのが
人間だから。

lamo


中島らも

中島らもは、言う。

 僕は、楽園だなんて話は信じない。
 そこに好きな人たちがいるところ、
 守るべき人がいてくれるところ、
 戦う相手のいるところ。
 それが楽園なのだと思う。

つまり、
たいていの人にとって、
いま必死で生きているこの場所こそが、
楽園なのだ。

さぁ、明日からまたがんばろう。
おやすみなさい。

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五島のはなし⑤

五島の福江島には
「日本一美しいと言われる、と言われる砂浜」があります。
なぜこんなまどろっこしいかというと、
「日本一美しいと言われる」といろんなところに書かれてますが、
実際に「日本一美しい」と言ってる人にも文にも
出会ったことがないからです。そうすると、私としては
「日本一美しいと言われる、と言われる砂浜」になります。

ちなみにヤフーで「日本一美しいと言われる砂浜」と
検索してみたら、真っ先にヒットしました。

名前は高浜海水浴場。
たしかにきれいです。
ぜひ冬の夕暮れに、恋人と別れ傷いた心で一人このビーチに
立ってみてください。世の中の理不尽な美しさに圧倒されると思います。
(恋人と一緒に、理不尽じゃない美しさに浸るのもアリです)

「日本の海水浴場55選」と「日本の渚100選」にも選ばれています。
・・・しかし「日本の〇〇選」って誰が決めてるんでしょう?国かなあ。
環境庁の人たちが日本中のビーチを巡って
「ねーここ、渚100選に入れてもよくない?」なんて
ワイワイやってるとしたら、何ともうらやましい仕事です。

高浜海水浴場

高浜海水浴場

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江口順也 09年6月13日放送

window


ビル・ゲイツ   

毎週月曜日には、
ビル・ゲイツの言葉を噛みしめたい。

 自分が出したアイデアを
 少なくとも一回は人に笑われるようでなければ、
 独創的な発想をしているとはいえない。

そして、火、水、木、金と、
結局なにかを生み出すことができなくても、
また次の月曜日には、
同じ言葉を口にしたい。

いつかきっと、その仕事に、その日々に、
大きなWindowが開くことを信じて。

tv


マーシャル・マクルーハン   

テレビにとって、映画のスクリーンにあたるものは何か?
この問いに、何と答えるべきか。

ブラウン管? いや、液晶画面?

ところがマクルーハンの答えは、まったく違った。

 テレビの場合、映画のスクリーンにあたるものは視聴者である。

彼は、テレビという巨大な大衆メディアに映し出されるのは、

ふつうの人々、

つまり私たち自身の、夢や欲望、生活や人生が
コンテンツだと言い切ったのだ。

近頃、テレビがつまらない、という声をよく聞く。

それって、だれのせい?

プルースト


マルセル・プルースト

人はときどき、タイムスリップする。
ふとした匂いを嗅ぐことによって。

埃っぽい雨の匂いに、なにかを思い出したり。
公園の芝生の匂いに、いつかを思い出したり。

そんな体験を、「プルースト現象」と言うそうだ。

家マルセル・プルーストは、
生涯の大半をかけて、

記憶喪失の主人公が、
紅茶に浸したマドレーヌの匂いによって
過去を思い出す。

という長編小説を書いた。そのタイトルは、

 『失われた時を求めて』。

プルースト自身は、
どんな過去にタイムスリップしたかったのだろう。

彼は、その人生の最後に、
ママ!と叫んで、
息を引き取った。

tomie


山崎富栄

うどん屋の屋台で、
小説家のオサムに恋をした夜。

サっちゃんは日記にこう書いた。

 戦闘開始! 覚悟をしなければならない。

それは、戦さのような日々の始まりだった。

血を吐きながら執筆するオサムに寄り添い、
秘書として、恋人として、母として、看護婦として、
サッチャンは彼を支え続けた。
男が、よそで設けた私生児への養育費すら、
自分の貯金をはたいて、毎月こっそりと支払った。

そして、61年前の今日、
1948年6月13日。
その恋は、終戦を迎える。

太宰治と、その愛人サっちゃんこと、山崎富栄。
入水自殺。

 幸せな死に方をして、ごめんなさい。

と、遺書に残した彼女は、

勝ったのだろうか、負けたのだろうか。

more


リバー・フェニックス

あんなに大勢の女の子を
一度に泣かせた男は、
いなかったんじゃないか。

リバー・フェニックスのことだ。

 死体置き場の中で、いちばん美しい死体になりたい。

なんてカッコつけて、
雑誌のインタビューに答えていた彼は、
その後本当に、23の若さで、
死体置き場に転がった。

友達のナイトクラブで、
友達にすすめられたドラッグを、
断り切れなくて。

あとはただ、
泣きじゃくる女の子を前に
困り果てた男の子たちが、
世界中の国にいたことを
覚えている。

carnegie


アンドリュー・カーネギー

かつて、
経済には
ロマンがあった。

人生の前半をかけて、
莫大な金を稼いだ、
アメリカの大富豪カーネギー。

彼の人生の後半は、
持てる財産のすべてを
社会のために使い切ることに
費やされた。

その理由が、ロマンチックだ。

 金持ちのまま死ぬなんて、もっとも恥ずべき死に方だ。

いま、カーネギーがいたら、
この経済危機に、
何て言っただろう。

sky


レイ・クロック

マクドナルドの創業者、
レイ・クロック。

そのビジネスエピソードには、
凄味がある。

よく彼は、夜中にライバル店のゴミを漁り、
仕入れや消費のヒントを探したという。

そこから名づけられた、
自伝のタイトルは、

『成功は、ゴミ箱のなかに。』

どうやら、
空を見上げて
ただ成功を夢見ていても、
いいことなんて
なさそうだ。

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五島のはなし④

昨日深夜の帰り道、うんこを踏みました。
つかれきった精神状態でうんこを踏むのはつらいものがあります。
そういうときは、幼いころ兄に言われた言葉を思い出します。
「うんこを踏んでもいいように、俺たちはクツをはいているんだ」
この言葉にいままで何度救われたことか。名言です。
ありがとう、兄ちゃん。

さて、五島列島には大きく5つの島がありますが
(無人島から海に突き出た岩礁みたいなのもあわせると
144あるのだそうです)、そのひとつに奈留(なる)島があります。

奈留島にはいま奈留高校という高校がありますが、
かつては福江島(私の出身地です)にある
五島高校(私の出身校です)の分校でした。

分校だったので、五島高校の校歌はなじみが薄く、
ならばオリジナルの校歌を、と思い立った女子生徒がいました。
(あ、ちなみにこれ、いまから35年位前の話です)
その女子生徒は、とあるラジオの深夜番組に投稿、
当時人気があった番組のパーソナリティに校歌の制作を依頼しました。
依頼を引き受けたパーソナリティは、島に思いをはせ、ひとつの曲をプレゼントします。

「瞳を閉じて」

風がやんだら 沖まで船を出そう
手紙を入れた ガラスびんをもって

遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度届くように
今海に流そう

霧が晴れたら 小高い丘に立とう
名もない島が 見えるかもしれない

小さな子どもにたずねられたら
海の碧さをもう一度伝えるために
今瞳を閉じて
今瞳を閉じて

作詞、作曲、荒井由美。
フォークソングだからという理由で校歌にはならなかったそうですが、
いまも奈留高校の愛唱歌として歌い継がれています。
高校の前には、ユーミン直筆の歌碑もあります。
歌碑の除幕式のため、初めて奈留を訪れたユーミンは
自分の思い描いていた景色がそのままあることに驚き、泣き出してしまったそうです。
とってもいい曲です。知ってる人も多いと思いますが、一度聴いてみてください。

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五島のはなし③



磯男(いそおとこ)のことは、けっこう小さいときから聞いていたのですが
本当にいるかどうか半信半疑でした。
変わった人が多かった五島でも、海岸の磯にひとり住んでいるという
磯男の話はなんとなく信じられなかったんです。
だって、まず名前が民話っぽくて。

そんなある日、仲のいい友人と
あぶんぜ(溶岩でできた海岸の名前)にカニ釣りに行きました。
しばらく没頭していたのですが、あるとき友人が「ほら!」と指差す。
見れば、岩陰から乱れた長髪の裸の男が現れ、
ごつごつした溶岩の上をすべるように駆けていく。
明らかに一般人(この表現が正しいかどうかわからないが)ではない。

おおっ!ホントにいるんだ!磯男さん!
その生き方は(いや、正直、生き方なんてなんも知らないですけど、想像で)、
現代社会へのアンチテーゼのようでもあり、めっちゃワイルドで、かっこよくって、
もう見た瞬間から、さんづけでした。

砂浜がきれいとか、教会がたくさんとか、魚がうまいとか、
五島を紹介する言葉はいろいろあるのですが、
「磯男がいる」、これだけで十分と思っています。

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五島のはなし②

厚焼玉子さんに「もちろん毎日書くのよね」とプレッシャーをかけられた。
が、そんなにネタ満載の島ではないのが、五島という島の悩みである。
とかく中途半端なのである。

沖縄のような暖かさはない。屋久島のような大自然って感じでもない。
リゾートでもない。とっても遠くはないが、気軽に行ける近さでもない。
そりゃ、みなさん別の島に行くでしょう、と思ってしまう。

一時期、自分の性格の中途半端さ(熱しやすく冷めやすい、コツコツがんばれない)は、
島人のDNAに息づくものではないかと考えた。
根拠もある。

かつて、五島は遣唐使が大陸に渡る際の最後の寄港地であった。
逆に大陸からきた船にとっては、最初の日本領土である。
都で「唐に行きたい人っ!」という問いかけに「行きます行きます!」と
まっさきに手を挙げながら、五島に着いたとき「あ、おれもう、ここが唐ってことでいいや」
と降りてしまった人々。そして大陸から日本を目指し、五島についた瞬間
「ここが日本じゃん、もう長旅はいいや」と降りてしまった人々の、
その子孫が私(五島の人々)なのではないか。

ちなみに、空海も唐に渡る前五島に立ち寄り、
ゆかりのお寺とか、石碑が立ってます。
石碑には空海の言葉が刻まれていた気がしますが、覚えてません(中途半端)。

・・・でも、いいとこなんです、五島。

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五島のはなし①

Team Visionの中村直史です。
突然ですが、この場を借りて五島列島のことを書きます。
日本で「島」といえば、沖縄の島々、奄美、屋久島、
伊豆大島、佐渡、壱岐、対馬といったところがメジャーで、
五島は「五島?」って感じです。
この「?」を少しでも減らしたいんです。
最初にそう感じたのは、僕がまだ中学生のころでした。

親戚の結婚式で福岡に行ったとき、僕を繁華街の路地に
連れ込んでカツアゲしたツッパリのお兄さんがいました。
「ワイどっから来たとや?」と聞かれ
「ご、ご、五島です」と答えたら、「五島?」と言われたのです。
悔しかったです。初めての大都市でナイフを突きつけられ、
1万2千円とられたあげく、ふるさとに「?」をつけられる屈辱。
あのときは恐怖で言えなかったけど、
あのツッパリがこのブログを読んでるとしたら
(ぜったいなさそう)、毅然とした態度で伝えたい。

「五島は長崎の西およそ100キロ、東シナ海に
5つの島が並ぶことからその名がついた列島です」

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