漂流する男の話 浜田彦蔵 1
13歳のとき、何をしていただろう。
中学1年生か、2年生。
楽しいような、つまらないような。
どこか、もやもやした毎日を過ごしていたかもしれない。
江戸時代の漂流民、浜田彦蔵の場合は・・・
偶然乗り込んだ船が難破し、太平洋を漂流。
2ヶ月後、アメリカの船に救助される。
食事は、バターをたっぷり塗ったパンに、塩漬けの牛肉。
あまりに手厚いもてなしを受け、彦蔵は思う。
こいつらは俺を太らせて、食うのではないか。
漂流する13歳は、ハードボイルドだ。
漂流する男の話 浜田彦蔵 2
お前の来ているものを全部脱げ
アメリカ人の船乗りが、身振り手振りで伝えている。
江戸時代の漂流民、浜田彦蔵、13歳。
いよいよ自分は食われるのだと覚悟した。
アメリカ人、今度は頭を指差し何か言っている。
訳も分からず頷くと、いきなり丁髷を切られた。
日本人が髷を落とすのは、命を捧げることに等しい。
さすがに、もう食われるとは思わなかったが
彦蔵は、言葉の通じない辛さを噛みしめた。
この世に、悔しさに勝るモチベーションは、ない。
彼が自在に英語を話せるまで、1年もかからなかったのだから。
漂流する男の話 浜田彦蔵 3
江戸時代の漂流民、浜田彦蔵の旅は続く。
サンフランシスコ、
ハワイ、
香港、
マカオ、
そして再びサンフランシスコへ。
ある日、彦蔵は偶然にも、自分と同じ境遇の漂流民に出会う。
名を重太郎(しげたろう)といい、救いを求めていた。
日本語で彼の胸の内を聞き、英語で船長に通訳したとき、
自分の生きる道が見えたと、のちに語っている。
きっと、光が射し込んだのだろう。
ごく限られた人にしか見えない、まばゆい光が。
漂流する男の話 浜田彦蔵 4
フランクリン・ピアース。
ジェームス・ブキャナン。
エイブラハム・リンカーン。
3人の大統領と面会した日本人は、政治家ではない。
伊藤博文、木戸孝允が
お忍びで会いに来たのも、政治家ではない。
漂流民、浜田彦蔵だった。
偉い人になるよりも、
会いたい人になったほうが、
世の中を動かせそうだ。
漂流する男の話 浜田彦蔵 5
幼いころは、浜田彦太郎という名前だった。
それが浜田彦蔵になり、
アメリカでカトリックの洗礼を受け、
ジョセフ彦(Joseph Hico)と名乗る。
帰化して日本へ戻ると、
アメリカ彦蔵と呼ばれた。
日本で初めて新聞を発行し、
のちに「新聞の父」として歴史に名を刻む。
もし彼が生きていたら、今日という日を誰よりも祝うだろう。
7月4日、アメリカ独立記念日を。
彦蔵は、ボルチモアの農場で飲んだミルクの味を生涯、忘れなかった。
漂流する男の話 仙太郎
江戸時代、
ペリー率いる艦隊に
ただ一人、乗船を許された日本人、仙太郎。
彼は、仲間のアメリカ人に、こう呼ばれていた。
「サム・パッチ」
なにかあるたびに「心配、心配」と呟く仙太郎の声が、
アメリカ人には「サム・パッチ」に聞こえたそうだ。
かっこいいあだ名には大抵、
かっこ悪い理由がある。
漂流する男の話 音吉
13歳のとき船が難破し
太平洋を彷徨いながら14歳になる。
名も知らぬ島に辿り着き
原住民に助けられたと思いきや、
イギリス船に売り飛ばされる。
マカオから船に乗り
喜び勇んで日本に帰る寸前、
江戸湾で砲撃を受け
ついでに鹿児島でも門前払いされ、
マカオに舞い戻る。
それが江戸時代の漂流民、音吉(おときち)の人生。
故郷の地を踏むことは二度となかったが、
日本から流れ着いた多くの同胞たちに
救いの手を差し伸べている。
プロの漂流民とは、彼のことを言う。