中村直史 09年7月18日放送
©Naoko Hoshino
星野道夫、旅の始まり
1970年ごろ、
ひとりの男子学生が、
神田の洋書専門店で一冊の本を手にしていた。
一枚の航空写真に目を奪われる。
写っていたのは、アラスカ、シシュマレフ村。
行ってみたい。
いてもたってもいられず、
その村の村長に手紙を書いた。
半年後返事が返ってきた。
「あなたの訪問を歓迎する」。
写真家、星野道夫。
運命のような旅の始まり。
彼はアラスカを見つけ、
アラスカもまた、星野道夫を見つけた。
©Naoko Hoshino
星野道夫の写真
アラスカの自然を撮り続けた
写真家、星野道夫。
彼の写真はすごいのだけれど、
どうすごいかを言葉にするのは難しい。
「動物って美しい」でも、
「自然ってたくましい」でも、
「地球は生命に満ちあふれてる」でも、
核心からは遠く。
そう思っていたら、
ある風景を前にしたときの
彼の感想が残っていた。
ただ、「ああ、そうなのか」という、ひれ伏すような感慨があった。
星野さん、
これは、あなたの写真を前にした
僕らの気持も的確に言い表しています。
©Naoko Hoshino
星野道夫の友
「類は友を呼ぶ」
は本当なんだと思う。
星野道夫には、素敵な写真家の友人がいた。
「類」は、写真家の意味ではない。
素敵な、の方だ。
英語も話せず、
はじめてのアラスカ暮らしに
とまどっていた星野道夫夫人に、
その友人は短いアドバイスを贈った。
寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。
離れていることが、人と人とを近づけるんだ。
アラスカで
生きていく者に、
これ以上の言葉があるだろうか。
©Naoko Hoshino
星野道夫の視線
自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。
そしてぼくが魅かれるのは、
自然や生命のもつその脆さの方です。
星野道夫は、かつてそう語ったことがある。
大自然を切り取った
圧倒的な彼の写真に、
切なさを感じてしまうのは
その視線のせいかもしれない。
©Naoko Hoshino
星野道夫の言葉
星野道夫の写真を見ていると、
詩人、萩原朔太郎の言葉を思い出す。
詩の表現は素朴なれ、詩のにおいは芳純でありたい。
星野道夫の写真は、その一枚一枚が詩だ。
動物、山、湖、草、花。
要素は素朴、だが、そこから立ち上ぼる感情が濃い。
写真だけではない。
原野の秋色は日ごとに深みを増し、
さまざまな植物が織りなすツンドラのモザイクは、えも言われぬ美しさです。
快晴の日が続き、ある冷え込んだ夜の翌日、
あたりの風景が少し変わっていることに気付くでしょう。
一夜のうちに、秋色がずっと進んでしまったのです。
北風が絵筆のように通り過ぎて行ったのです。
写真の解説文というより、
遠くに住む詩人から届いた
手紙のようだ。
©Naoko Hoshino
星野道夫と人々
写真に写った人間の表情は、
写すものと、写されるものの
気持ちの距離を伝える。
ネイティブアメリカンの古老。
カムチャッカの子ども。
チンパンジーと戯れるジェーン・グドール。
星野道夫の撮った人々の顔はやさしい。
人と出会い、その人間を好きになればなるほど、
風景は広がりと深さをもってきます。
やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいです。
人とも世界とも
親密な距離をとれる
稀有な人だったと思う。
©Naoko Hoshino
星野道夫の最後
1996年、夏、カムチャッカ。
川を上る鮭の大群。
待ちうけるヒグマ。
何万年も繰り返されてきたであろう自然の営み。
その中で。
星野道夫は、逝ってしまった。
「それは、そういうことなのだ」と、彼の声が聞こえる気がする。
そう、悲しむべきことではない。
ただ、たまらなく切ないだけで。
その感情は、
彼の写真が呼び起こすものと、
似ている気がする。
撮影:星野道夫
協力:星野道夫事務所