保持壮太郎 09年7月26日放送
フランツ・クサーヴァー・モーツァルト
きょう7月26日は、
モーツァルトが生まれた日。
ただし、
わたしたちがよく知る
モーツァルトではなく、
彼の息子、
フランツ・クサーヴァー・モーツァルトの。
偉大なる父と同じ道を歩み
モーツァルト2世を名乗るハメになった
作曲家の苦悩は想像に難くない。
ただ、彼の墓石にはこうある。
彼の父の名をここに記す。
父への尊敬は、
彼の人生そのものだったから。
カアラン・ケイ
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ありません。
いつまでたっても
鳴らないケータイの画面を
ぼんやりと見つめながら
僕はなぜだか
計算機科学者の
アラン・ケイの言葉を
思い出していた。
テクノロジーというのは
あなたが生まれたときに
存在しなかった全てのものだ。
つまり
土曜日の夜の
この孤独も、
たぶん、
ひとつのテクノロジーで。
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ジョシュア・ノートン
1859年、
サンフランシスコの新聞紙面で、
ジョシュア・ノートンという名の男が
こう宣言した。
大多数の合衆国市民の要望に応え
朕ジョシュア・ノートンは、
この合衆国の皇帝たることを自ら宣言し布告す。
そしてノートン皇帝による
アメリカ統治がはじまった。
通りに街灯をつけるべし。
広場にクリスマスツリーを。
オークランドとの間に橋を建設せよ。
新聞紙面上で発せられる勅命の数々。
サンフランシスコ市民は突然現れた
このふうがわりな皇帝を
なぜか愛してやまなかった。
20年後、彼の葬儀には
3万人が参列したという。
当時の新聞記事にはこうある。
彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰をも追放しなかった。
彼と同じ称号をもつ者で、この点において彼以上の者はいなかった。
ジョルジュ・デュアメル
自らを伝説の騎士だと勘違いし
できそこないの兜で、
ロバに打ちまたがり旅にでた男。
やがて彼は
ラ・マンチャの丘に立つ風車を
獰猛な巨人と思い込み、
槍をかまえて突進してゆく。
小説ドン・キホーテに描かれた
主人公のエキセントリックな行動を、
フランスの作家、
ジョルジュ・デュアメルはこう評している。
ドン・キホーテは、自らの狂気をはっきり知っていた。
だとすれば、
僕たちの世界の滑稽さにも説明がつく。
その大量消費がめざすものは?
そのマネーゲームがめざすものは?
その戦争がめざすものは?
すべては、ある種の狂気をはらんでいる。
ドン・キホーテの物語は、今もまだつづいている。
カール・マルクス
世界を語ろうとするとき、
自らの足もとのことは
おざなりになるもので。
ゆえに恋愛小説家は
ときに幸せな恋愛を
あきらめなければいけないし、
医師たちは人類の健康増進のために、
自らの健康を犠牲にする。
「資本論」を記した
経済学者カール・マルクスもまた、
その例に漏れない。
学生時分の彼が
一年で浪費した
700ターラーという金は、
当時、ベルリンの市会議員の年収に
匹敵する額だったし。
叔父から3,000マルクもの
遺産を相続したときも
翌月には、たった40マルクの金を
借りるべく友人に泣きついている。
そして
マルクス経済学は、
彼自身の経済的な問題に
明確な答えを与えぬまま、
いまも世界の経済を語りつづけている。
スタンリー・キューブリック
人類が月に行ったなんて嘘だ。
月面着陸のあの映像は、
NASAがスタンリー・キューブリックに頼んで
スタジオで撮ったものなんだよ。
そんな話を
どこかで聞いた。
もしも、
その話が本当だとしても。
完璧主義者の
キューブリックのことだから
NASAがつくった
スタジオセットの完成度なんかに
満足できるはずもなく。
結局、
月面で撮影することに
なったんじゃないかな。
そうに違いない。
ミック・ジャガー
ひとつを選ぶということは、
いくつもの可能性を
捨てることでもあるから。
人生はときどき悩ましい。
一人の青年がいた。
もっか彼の悩みは就職だった。
国税局に入るか。
それとも、
プロのミュージシャンになるか。
彼が、
後者を選んでくれたことを、
僕たちは感謝せずにはいられない。
Happy Birthday Sir Michael Philip “Mick” Jagger.
きょうは彼の
66回目の誕生日。
スタンダール
作家や詩人として
生きることの不幸は、
死ぬときにあるのでは
ないだろうか。
なにしろ“辞世の句”である。
最期に何を言いのこしたか。
その読後感だけで、
人生すべてが
語られたりするのだから。
おいそれとは死ねない。
フランスの小説家
スタンダール。
彼ももれなく
そんな苦悩をかかえていた。
おかげで彼は
59歳で死ぬまでに
毎年遺言を書き直す
はめになったという。
そんな彼の墓石には
こう刻まれている。
生きた。書いた。恋した。