薄景子 09年8月22日放送
母と娘の書-金澤翔子
娘は右上がりに書くということが
理解できなかった。
母はプールに行く坂道を
いっしょに何度も上り下りし、
右上がりを体で教えた。
ダウン症の書家、金澤翔子。
競争を知らない彼女の書には、
邪念のかけらもなく。
見るだけで涙を流す人がいる。
お金の多い少ないも、ジャンケンの勝ち負けもわからない。
社長さんも、ダンボール暮らしも、みな同等。
庭に咲いた白い花に手を合わせ、深々と頭を下げる。
いつの日か、将来の夢をきくと、
「三日月になりたい」と
片言で言う。
ただそこにあり、まわりに照らされ、
優しく光る月のような人。
千人にひとりの、染色体が一個多い赤ちゃんに
かつて絶望した母は、今こう言う。
千人にひとり、選ばれてこの世に降り立った
女の手-フジ子・ヘミング
悪い夢をみている、と彼女は思った。
一流のピアニストとして認められるはずのリサイタル。
その直前、耳が聴こえなくなった。
ポスターが街に貼られる中、
演奏会はキャンセル。
「私の出番は、天国にしかないだろう」
そう、長い間思っていた。
フジ子・ヘミング。
その半生は、波乱つづき。
一時は聴力を失い、国籍を失い、
生きていくために、病院で掃除婦をして過ごした。
その経験が大切に思えることが、いつか必ずあるのよ
美しい手をしたピアニストがあふれる中、
フジ子の手はゴツゴツしている。
労働をかさねた、その手でしか弾けない音は、
一音一音、生きものように鳴る。