カーネル・サンダース
彼の人生は
波乱に富んでいた。
消防士、車掌、タイヤのセールスマン。
さまざまな職についたが失敗。
29歳で事業を興したものの倒産。
3度目の倒産で
一文無しになった彼が思いついたのが、
フライドチキンの
フランチャイズビジネスだった。
彼は65歳になっていた。
けれども彼は働きつづけた。
人間は働きすぎてだめになるより、
休みすぎてサビつくほうがずっと多い。
カーネル・サンダース
いまだに彼は、
雨の日も、風の日も
街角で微笑みつづけている。
西村真琴
ROBOTという言葉の語源は
チェコ語で“労働”を意味する。
ロボットというものには、
もともと“人間の労働を肩代わりするもの”
という発想が少なからず含まれていた。
1928年、大阪。
東洋で初めてのロボットが発表された。
けれども、
そのロボットができたことは
ただ
“ほほえむ”
ことだった。
開発を担当した西村真琴は、植物学者。
“労働”という意味から
解き放たれたロボットは、
その後この国で、
独自の進化を歩むことになる。
ウィンストン・チャーチル
偉大なる政治家、
ウィンストン・チャーチル。
第二次世界大戦下では
首相兼国防相をつとめ
戦後、ミズーリで行った
「鉄のカーテン」演説では
東西冷戦の到来を予言。
文才にも秀で、
ノーベル文学賞も受賞した。
ただ、
彼のもっとも偉大なる業績については、
wikipediaには乗っていない。
彼は、こう語った。
私の功績の中でもっとも輝かしいことは、
妻を説得して私との結婚に同意させたことである。
ユーリ・ガガーリン
地球にキャッチコピーを
つけるとしたら
あなたはどんな言葉を選ぶだろう。
人類初の
宇宙飛行を体験した
ユーリ・ガガーリンは、こう言った。
地球の色は、優しく光る淡い水色で、
暗黒空間へとつづく境目は、
とてもなめらかな曲線で美しい。
地球の影からでたとき、
地平線はまた違ったようにみえた。
地平線には、明るくオレンジ色にひかる帯があり、
その色は、再び、淡い水色に、そして濃厚な黒色に変わった。
その表現は、
あまりに綿密だったので
誰かが勝手にこう略した。
地球は、青かった。
あれから半世紀。
これ以上のキャッチコピーを
わたしたちは知らない。
トーベ・ヤンソン
心覚えていますか。
生まれたときのことを。
覚えていますか。
泣くこと、食べること、歩くことを
ひとつひとつ
身につけていった日々を。
覚えていますか。
そのあと起きた
もしかしたら人生で
一番すばらしい出来事を。
フィンランドの作家、
トーベ・ヤンソンは、
彼の腐朽の名作のひとつ
「ムーミンパパの冒険」に
こう書いています。
わたしは、ひとりめの友だちを見つけたのでした。
つまり、わたしは、ほんとうの意味で生きることをはじめたのでした。
そう。
僕たちは、
あしたも誰かと
生きている。
ジミ・ヘンドリックス
ロックの歴史は、
僕らの中で、
少なくとも2度変わった。
一度目は
ジミ・ヘンドリックスが登場したとき。
そして二度目は
ジミ・ヘンドリックスがこの世を去ったときだ。
たった4年間のきらめきが、
あまりにもまぶしすぎて。
僕らは
彼に“史上最高のギタリスト”なんて
チープな呼び名をつけて
なんとか前にすすむことにした。
モハメド・アリ
たらればの話をしよう。
もしもあなたが
ボクシングの
世界チャンピオンになったら、
という話だ。
ファイトマネーで、
豪邸を買うのもいい。
知名度を活かして、
政治家になるのも悪くないだろう。
カシアス・クレイという青年がいた。
彼はそんなたらればに、こう答えた。
チャンピオンになったら、
古いズボンを穿き、
汚い帽子をかぶって
髭をはやすんだ。
そして僕であるということだけを
愛してくれそうな素敵な
オンナノコをみつけるまで
道を歩きつづけることにするよ。
そして彼は、
偉大なるチャンピオン
モハメド・アリとなる。