2009 年 9 月 のアーカイブ

五島のはなし(44)

同じ五島・福江島出身の妻が、
幼い頃に祖母から歌ってもらってた
子守唄がありまして、それを書き起こすと

〇〇ちゃんば ぶんぶくに やったなら
ちょっぱげも なんも ながらかし
これから なんで くんでのもか
ギーッココン バーッココン
ギーッココン バーッココン

(〇〇のところは、子どもの名前が入ります)
となります。
訳すと、

〇〇ちゃんを 水汲みにやったら 
ちょっぱげも 何もかも (川に)流してしまい
これから 何で (水を)汲んでのもう?

ってとこでしょうか。
ギーッココン バーッココンは
子どもを(あやすために)揺らす動作に合わせた音だと思います。
この歌の中の「ちょっぱげ」は、
僕も聞いたことがない言葉だったので
「五島雑学辞典」で調べてみたら、載ってました。

ちょっぱげ : 瓢箪をくりぬき、容器にしたもの。
         サイズの小さなものは、ひしゃくとして用いた。

ということが書かれてあります。さらに、

「五島では、ちょっぱげに赤飯を入れて河童にあげていたが、
 なぜか河童はいつも河の底まで持っていくことができなかった。
 そこで人々は、河童がちょっぱげを恐れていることに気付き、
 泉や小川の水汲み場にちょっぱげを置くようにしたところ
 それから、河童にいたずらされることがなくなった」

とありました。
「という言い伝えがある」とかじゃなく、
河童は「いる」前提なとこがすごいですが、
実際五島のじいさんばあさんの中には河童を「いる」ものとして
話す人がいます。
僕も「昔はよく河童と相撲をとった」という話を聞いたことがあります。
まあ、いるっていうんだから、いるんでしょうね。

五島雑学辞典

五島雑学辞典

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Vision収録見学記(6)

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熊埜御堂―憧れの所作

収録の現場でうっとりさせられる所作がありました。

ディレクターのCさんが、
ガラス越しにDJブースのVieVieさんに送るその合図。

指揮者が、演奏の幕を開けるタクトを振るように。
そっと、でも、その場を確かに操る、
手を天にかざす仕草です。

最初は、なんだろ、あれは?と思っていました。

でもだんだんと、
ああ、あの手つきを合図にVieVieさんは
原稿の読み始めを判断しているんだな
と分かってきました。

つまり、それはQ出しの合図です。

私たちコピーライターがラジオCMをつくるスタジオには
キューボタンといわれるスイッチが機材に組み込まれています。

そのボタンを押すと
防音ガラスに隔てられたナレーターさんの目の前のランプが光って
「今から原稿を読み始めて!」という合図が
送れるようになっているのです。

まさにそれと同じやりとりが
ガラス越しに向かい合うCさんとVieVieさんの間では
かざした手とまなざしの交換で行われていました。

単に習慣の違いと言えば、それまでなんですが
そのQ出しの所作が、Cさんのダンディないでたちと相まって、
なんとも言えずかっこいい!!

次、私がラジオCMを演出・収録できる機会がきたら
かざしたその手で、Q出ししてみようかなー
なんて思いました。 (つづく)

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熊埜御堂由香 09年9月6日放送

元祖スイーツ男子


あの人の食 元祖スイーツ男子

スィーツ男子が流行だという。
スイーツ男子というのは甘党の男性だ。
甘いもの好きと、自然に言いやすい世の中になったのだろう。

けれども、甘党の真打ちは明治の昔にいる。
お汁粉を食べ過ぎて胃潰瘍を悪化させ
大量の血を吐いてもビスケットを食べたがり
臨終の床でもアイスクリームをせがんだ夏目漱石先生だ。

それでも自分では甘党だと思っていなかったので
こんなことをぬけぬけとおっしゃっている。

 あれば食うという位で、わざわざ買って食いたいというほどではない

甘党もここまでくると、ハードボイルドで男らしい。

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薄景子 09年9月6日放送

秋山豊寛


あの人の食 秋山豊寛

「これ本番ですか?」
世界初の宇宙飛行ジャーナリスト、秋山豊寛が、
衛星から発した第一声は有名である。

彼が地上400kmから見た
青い地球は、まさに「命の塊」だった。

そんな秋山が、宇宙の次に選んだ旅先は、農業。
現在、福島県で米や椎茸などの有機農業を実践している。

彼は言う。
 「人間が生物であることと、
 いちばん身近にある仕事が、農業だ」

命の塊であるこの星の、命をつなぐ食べ物をつくる。
農業ブームとは一線を画す、生きものとしての営みに
ジャーナリストの探求の旅は、果てしなく続く。

佐藤初女


あの人の食 佐藤初女

佐藤初女さんのおむすびを食べて、
自殺をとどまった青年がいる、という。
その理由は、「おむすびがタオルにくるんであったから」

彼女は、おむすびをにぎると、
ラップではお米が呼吸できないので
赤ちゃんをおくるみで包むように、
タオルでそっとくるんでおく。

そうして、「食」という命と
向き合っている。

標高400メートル、
岩木山の麓にひっそり佇む「森のイスキア」。
初女さんが「みんなのお家」と呼ぶここには、
声もしおれ、水さえのどを通らない人が、
心の重荷を下ろしにやってくる。

夜中にチャイムが鳴るときも
初女さんは身支度をして玄関にでる。
開けていいのか、一瞬の葛藤。
意を決して開ける扉は、彼女の心の扉なのだ。

受け入れられた旅人は、
やがて、ぽつりぽつりと言葉を発し、
初女さんのおむすびを食べ、
気づけば、自分で重荷を下ろして帰っていく。

佐藤初女、87歳。何をやっている人かときけば、
「食べることを大切にしています」

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石橋涼子 09年9月6日放送

向田邦子


あの人の食 向田邦子

向田邦子は、
ドラマ「寺内貫太郎一家」で
ささやかだけれど
確かなぬくもりのある
昭和の家族の生活を描いた。

朝食のシーンのト書きには、
毎回献立が書かれていた。

アジの干物に大根おろし、
豆腐と茗荷の味噌汁、
などなど

ある日、向田はメニューの最後にこう書いた。

ゆうべのカレーの残り

そこには、ドラマのワンシーンではなく、
昨日も今日も、明日も続く、
寺内家の生活が確かに描かれていた。

ロッシーニ


あの人の食 ロッシーニ

食いしん坊という存在は、
なんだか愛らしい。
食い意地が張っている、
というのとはちょっと違う。

「食べる」という行為を
心から愛し、無邪気に楽しんでいるから
ではないだろうか。

ロッシーニは本物の食いしん坊だった。
オペラ作曲家として人気も実力も絶頂の37歳で
「食」に専念する、という理由で
引退してしまったのだから。

大好きな料理を楽しむためにレストランをつくり、
大好きなトリュフを探すために豚を育て、
大好きなワインを楽しむためにレシピを考えた。

彼の音楽的才能を惜しんだワーグナーが熱心に説得しても
ロッシーニはラム肉の焼き加減を気にしてばかり。

そんな彼が心から涙を流したのは、生涯で二回だけだという。

一度目は、パガニーニの演奏を聴いたとき。
二度目は、トリュフがたっぷり詰まった七面鳥を
落としてしまったとき。

食に向かうとき、その人がどんな人間かがよく見える。

トーマス・エジソン


あの人の食 トーマス・エジソン

発明家トーマス・エジソンといえば、
電球を発明したこと。
よりも、

発電から送電までの
電気事業を整備したこと。
が、評価されている。

そんな天才エジソンがある日言い出した。

一日二食では健康に良くない。
一日三食にするべきだ。

こうして、アメリカ国民は健康のために
朝食を食べるようになった。

エジソンが発明したトースターで焼いた
こんがりキツネ色のトーストを。

モノをつくるだけでは売れないことを
彼は知っていた。
同時にマーケットもつくらないと。
エジソンは、本当の発明家だった。

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熊埜御堂由香 09年9月6日放送

森鴎外


あの人の食 森鴎外の秘密

家庭の中だけの、ちょっとマニアックな食の嗜好、
ひとつやふたつ、ひとにはあるものだ。

硬派な文豪、森鴎外の場合は・・・
ご飯に饅頭を割って載せ、煎茶をかける、饅頭茶漬け。

饅頭茶漬けは門外不出の家庭の秘密だったけれど
鴎外が死んだ後、
娘が書いたエッセイで世に知れわたってしまった。

お汁粉のようでおいしい、と娘は書いているが
天国の鴎外先生はどんな顔をしているだろう。

幸田文


あの人の食 父と娘の台所

幸田文(あや)は自分を「台所育ち」だと言った。

幼いころに母をなくし、
父、幸田露伴が家事全般を躾けた。

その台所仕事の手始めは、
文が7歳の頃から毎日の献立を記録する「だいどころ帖」
文が「とうふのおみよつけ」と、たどたどしく書けば、
露伴は、「味噌汁 つかみどうふ もみのり散らして」と
一言一句、きびしく直す。

露伴は文に言った。
 この帳面から音が聞こえてくるようにならなくちゃね

女学校に入って台所をあずかるようになった文は、
献立に迷うと、かつてつけていた「だいどころ帖」を何度も思い返した。

父の死後、文は食を題材にした小説やエッセイを数多く残したが
そのひとつにこんな短編がある。「台所のおと」

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佐藤延夫 09年9月5日放送

1

幾何学の時間/エウクレイデス

幾何学。
この言葉を聞くだけで
うんざりする人が、どれだけいることだろう。

幾何学の“幾何”というのは、
図形の性質を調べ、証明すること。

たとえば、
ひとつの円に内接する正五角形を作図し、
それが正五角形である理由を証明する。
なんとも難しい話だ。

幾何学は、人類の歴史そのものであり、
古代エジプトの哲学者エウクレイデスまで遡ることができる。

もう一度、勉強してみようかな。
学生たちの二学期は、もう始まっていますね。

1

国語の時間/新美南吉


これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんにきいたお話です。

こんな出だしで始まる物語は、
国語の時間に習った「ごんぎつね」。

作者は、新美南吉。
4歳のときに母親が亡くなり、
8歳で養子に出され、
その1年後、寂しさに耐えられず、実家に戻っている。

童話「ごんぎつね」を書いたのは、18歳のとき。
物語に出てくる兵十(ひょうじゅう)のモデルは、実在する人物。
ひとりぼっちで、いたずら好きな、ごんぎつねのモデルは、
あるいは、南吉本人なのかもしれない。

あのときの国語の教科書は、
まだ、机の中にあるだろうか。


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化学の時間/ラヴォアジエ

化学の実験には、お金がかかる。
それは今も昔も同じこと。

18世紀、フランスの化学者ラヴォアジエは
税金取り立ての暴力組織、徴税請負人の一員となり
実験資金を稼いだ。

そして発見したのが、質量保存の法則。
物質どうしが化学反応をする前後において、
その質量は変わらない、というもの。

ラヴォアジエは、フランス革命後、ギロチンで処刑されるが、
その間際、親しい人にこんな宣言をした。

 僕の首が切れても、可能な限り、まばたきをしてみせる

その実験への執念には、頭が下がる。


3

音楽の時間/グリーングリーン

ある日、パパとふたりで語りあったさ

明るいメロディで始まるこの曲は、
音楽の教科書の定番。
合唱コンクールで歌った人も多いのでは。

教科書に載っているのは、たいてい3番まで。
5番でパパが亡くなってしまうことは
あまり知られていない。

この歌を作曲したのは、
アメリカのシンガーソングライター、
バリー・マクガイア。

彼の曲には、そもそもパパなんて登場しない、ということも
あまり知られていない。


100

植物学の時間/牧野富太郎と寿衛子

生まれながらに好きだった。

日本にある植物のうち、
およそ1000種類の名前を付けた植物学者、牧野富太郎。
だが研究に没頭するあまり、家計は破綻した。

文句ひとつ言わず夫を支えたのが、妻の寿衛子。
借金取りが来ると家の前に赤い旗を掲げ、
富太郎に、今帰ってくるなと知らせた。

昭和二年、寿衛子が病に伏しているとき、
富太郎は、新種の笹を発見する。
それを、スエコザサと名付けた。
妻への深い感謝を込めて。

翌年、寿衛子は、亡くなった。
富太郎は、墓碑の周りにスエコザサを植え、
こんな句を刻んでいる。


 家守りし 妻の恵みや わが学び

生まれながらに好きだったもの。
生きながら、好きだったもの。


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算数の時間/ガウス

算数の問題です。
1から100まで全部足すと、合計でいくつになるでしょう。

この答えを瞬時に導き出したのは、
ドイツの数学者、カール・フリードリッヒ・ガウス。
わずか9歳のときのエピソードだ。

最小二乗法、
正十七角形の作図法、
整数論の確率など、
のちに彼は、近代数学に影響を及ぼす
さまざまな発見をする。

さらに24歳で小惑星を発見。
60歳でロシア語に挑戦。
晩年には心霊術にも手を出したという。

努力する天才ほど、強いものはない。

1から100までの合計、わかりましたか?
正解は、5050です。


4

費やす時間/学者たち

日ごろの努力が実を結ぶまで、いったいどれほどの時間が必要だろう。

それは学者たちの功績を見ればわかりそうだ。

数学の難問、
フェルマー予想を証明してみせたアンドリュー・ワイルズは
七年間、研究室に籠った。

キュリー夫妻が、ラジウムの抽出に成功するまで、八年。

メンデルは、ダーウィンの進化論を証明するために
エンドウ豆を225回も交配し、およそ1万3千もの種類を調べ上げた。
費やした時間は、八年。

桃栗三年、柿八年。
あながち、この言葉は間違っていない。

二、三年で諦めるなんて、気が早すぎる。

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Vision収録見学記(5)



Jからの展望090404


石橋涼子ー音楽のこと

収録中にメモしたフジ子・ヘミングの「トロイカ」を
CDショップで捜索中の石橋です。

音楽の話を私も少々。

Visionはラジオのショートプログラムであり、
ラジオCMではありません。
というわけで、使える楽曲の幅がとても広いのです。

スタジオ内には古今の名盤が山高く積まれていて、
この中のどの曲を使ってもいいのね!と思うと
興奮してワクワクそわそわモジモジします。

関係各位には言わずもがなの話ですみません。
それ以上に、一般の方にわかりにくい話ですみません!
音楽には色々と、そう、権利とか権利とか権利とかがあるんです。

保持(ホジと書いてヤスモチと読む)さんは、
CMでは使用不可能と言われるビートルズの音源を
使うためだけにジョン・レノンの原稿を書いたのだとか。
(いや、それだけじゃないと思いますけど)

私はエリック・サティの曲が好きなので、
この機会にリクエストしちゃおっかなーなんて思って
にやにやしていました。

そして思い出しました。
サティは死後50年経っているから、
音源によっては権利がフリーだ・・・

ディレクターさんが一生懸命MIXしている横で
そんなことを考えながら一人にやけたり、
がっくりしたり、気味の悪い百面相をしていました。

収録って楽しい・・・ (つづく)

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五島のはなし(43)

子どものころ言われて、
いまもなんとなくやっちゃいけないと思ってること
けっこうありませんか。
迷信だと思うのですが。

●夜に口笛を吹くとヘビが来る。
●靴下をはいて寝ると、親の死に目に会えない。
●夜にツメを切ってはいけない。
●新しいクツは夜のうちに玄関におろしておく。
●「し」という字が含まれる名前を赤い色で書いてはいけない。
●みみずにおしっこをかけるとオチンチンが腫れる。
●お盆明けの8月16日は地獄の釜のふたが開いているから海に入ってはいけない。
●家の中にいるクモを殺してはいけない。

僕が覚えているものでは、
ざっとこんなところでしょうか。
全部五島にいるころに聞いたものですが、
こういうのって、どのくらい地域差があるんですかね?

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五島のはなし(42)

この夏、実家から持ち帰ってきた
「五島の史話と民話」という小冊子の
第1ぺージ目に、五島の歴史年表が載っていました。
年表のいちばん最初に書かれていたのは、

695年(西暦)  深江、五社神社創立。

深江は僕の出身地である福江の昔の呼び名であり、
五社神社は僕が生まれたときからお参りしている神社です。
え!そんなに古い神社だったの?!と正直驚きました。

小さな神社です。
子どものころから、お祓いをしてもらうときにに鳴る太鼓が
なぜか可笑しくて、兄と二人わけもなく笑っていました。
不謹慎です。

そういうときは、神主さんが祈りを捧げる
祭壇(と言っていいんでしょうか)の向こうに広がる深い竹林を
見つめます。何かがいそうで怖いんです。
実際、たぶん、何かいるんでしょう。
1300年もの間、たくさんの人たちが、
いろんなことを祈ってきたと思うと気が遠くなります。

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