2009 年 11 月 のアーカイブ

厚焼玉子 09年11月29日放送

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秋の色1  金色の小さき鳥

11月はどんな色、と、訊かれたら
なんと答えればいいだろう。

庭の花はほとんど枯れた。
今年は山の紅葉を見ることもなかった。

でも…
ああ、そうだ、と与謝野晶子は思ったに違いない。


 金色の ちひさき鳥の かたちして 
 銀杏散るなり 夕日の岡に

大空に両手を広げたイチョウから
金色に輝く鳥が舞い降りて来る。
なんと華やかな秋の色だろう。

まだ間に合う。
冬の扉が開く前に
すぐそばにある秋を見に行こう。

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秋の色2 石鹸の泡つぶ

秋になって
草が色づくことを草紅葉(くさもみじ)という。

ヨモギ、エノコログサ、チガヤ、メヒシバ
青々と繁っていたときは雑草とひと言で片づけていたのに
秋の色に染まったとたん
思わず足を止めて、名前を知りたくなる。

そんななかに
ひとり秋の色にも染まらず花をつけている草を
北原白秋は見つけた。


 秋の草 白き石鹸(しゃぼん)の泡つぶの けはひ幽(かす)かに 花つけてけり

赤や黄色のなかに
消え入りそうな白い花を咲かせる草は
どんな名前を持っているのか知りたい。

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秋の色3  さびしき青

同じ景色のなかで
同じ季節を過ごしているのに

私は本当にあの人と同じものを見ているのだろうか。
あの人と寄り添っているのだろうか。

ふとそんなことを考えて寂しくなってしまうのも
冷たく乾いた秋風のせい。


 わが妻よ わがさびしさは青のいろ 君がもてるは 黄朽葉(きくちば)ならむ

若山牧水のさびしい心は青の色
そして妻は枯れた落ち葉の色。

冬の寒さがやってくる前に
すれ違った心と心をもう一度近づけて
あたためておきましょう。

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秋の色4 野菊のうた

露が凍って霜のようになったものを「露霜」という。
露霜にあたると花も葉も色あせてしまうけれど
それもまた美しいと思う心が日本人にはあった。

伊藤左千夫が「野菊の墓」のなかで
野菊にたとえた民子は
なにもかもあきらめて心を石のようにして
嫁に行ってしまうけれど
その嫁入り先での暮らしぶりについて
左千夫は何も書いていない。

ただ民子が亡くなった後の
みんなが後悔するさまを描くことで
民子が弱っていく様子が想像できるようになっている。

伊藤左千夫が歌に詠む野菊はかわいそうだ。


 秋草の いづれはあれど 露霜に 痩せし野菊の 花をあはれむ

露霜にあたって
花の色が褪せ、葉が茶色になっても
野菊は辛抱強く立っている。
枯れた枝の先に花を残していることもある。

忘れないで、という野菊の声が聞こえる。

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秋の色5 白壁の柿

緑の竹林、白い壁、赤い柿の実
会津八一が絵のような秋の風景に出会ったのは
平城京の西のはずれ、秋篠寺のあたり。

夏におとずれた奈良を
どうしてももう一度見たくなって
病気の躯をおして出かけた。

奈良のお寺の仏さまはいずれも古い友人のようなもの
病気の躯でも慈悲深く迎えてくださるだろう…

そんな気持で出かけた八一が見つけたのが
命が照り輝くような柿の実の色。


 まばらなる 竹のかなたのしろかべに しだれてあかき かきの實のかず

その秋の色はずしりと重い。

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秋の色6 白い芒

島木赤彦は柿の実の赤い色が好きだった。
赤彦ではなく柿人(かきびと)という名前を使ったこともあったし
その住まいは柿の陰と書いて「柿陰(しいん)山房」と名付けていた。

けれども、その庭に柿の木はない。


 芒(すすき)の穂 白き水噴くと見るまでに 夕日に光り 竝(なら)びたるかも

この芒の穂の上に垂れ下がる柿の色は
赤彦の心のなかだけにある。

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秋の色7 燃え上がる公孫樹

もしもイチョウの木がなかったら
秋はどんなにか寂しいだろう。

でも野生のイチョウは日本にはいない。
仏教とともに中国から持ち込まれ
人の手で植えられて広まったのだ。

イチョウの生命力はたくましい。
2億年も昔から地球に存在しつづけているイチョウは
恐竜とともに滅びることもなく生きながらえ
いまでは世界中に子孫を増やしている。
その寿命も2000年と気が遠くなるほど長い。

病を得た中村憲吉にとって
そんなイチョウはあまりにもまぶし過ぎた。


 燃えあがる 公孫樹(いちょう)落葉の金色に おそれて足を 踏み入れずけり

けれども
45歳で亡くなるまでに3000首を超える美しい歌を詠んだ
中村憲吉の生涯もまた
金色に輝いているのではないだろうか。

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坂本和加 09年11月28日放送



長く生きる① きんさん ぎんさん

赤ちゃんがかわいいのは、
ひとりでは生きていけないから。
そして、年を取れば取るほど、
ひとはまた、かわいくなる。

100歳でスターになった、
双子のおばあちゃん「きんさん ぎんさん」は、
それを証明してくれた。

けれど、2人は声をそろえて。
「若い頃は、もっと、かわいかった」。

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長く生きる② 鈴木大拙

年々増え続ける自殺者のニュースを聞いたら、
禅学者、鈴木大拙は何を思うだろう。

長く生きること。
それは、80や90になってはじめて、
わかることがあるということ。
だからあなたも、できるだけ長生きなさい。

著書を英語で書いて、
世界に日本の禅文化を伝えた、
鈴木大拙は、96まで生きた。


「大巧は拙なるに似たり」

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長く生きる③ 白川静

白川静は、漢字を愛し、
生涯をその研究に捧げたひとだった。

その偉業は「字」を知るための「書」と書く、
「字書」3部作を完成させたことで名高いが、
ユニークな学説を唱えたことでも知られる。

たとえば、「ラク・楽しいという字は、
神様を楽しませるために振った鈴から生まれた」。

漢字の成り立ちには、
いつも民族信仰があると考えた
白川静がいちばん好きだった漢字は、
「ユウ・遊ぶ」という字。

96歳で亡くなった漢字の神様は、
きっといまごろ、天国で遊んでおられる。

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長く生きる④ 親鸞聖人

他力本願という言葉は、
れっきとした、仏教の言葉。

極楽浄土に行けるのは、自分の力ではなく、
他力、つまり仏さまのお力であるという意味だ。

ほんとうはありがたいはずなのに、
違った意味で受け取られることが多い。

他力本願は、親鸞聖人のお言葉。
90歳で入滅し、その30年後に
弟子たちによりまとめられた「歎異抄」は、
「異なるを、嘆く」と書く。

歎異抄は、親鸞聖人のため息
そのものなのかもしれない。

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長く生きる⑤  まど・みちお

まだ読み書きを習い始める前の、
小学校にも上がっていない子どもたちに
いちばんなじみのある100歳の有名人。

それはきっと、詩人・まど・みちお、だと思う。

つくった詩は、数え切れない。
「ぞうさん」に、「やぎさんゆうびん」も。
日本人みんなが歌える童謡は、まどみちお、作。

最新刊は4年前に、出版された。
「おじいさん詩集だ」というけれど、
そこにあるのは、少年のようにチャーミングで、
おおらかな表現に満ちた、変わらぬ世界。

つい先日(11/16)、まどさんは100歳になった。

まどさん。どうぞお元気で。
このメッセージを「やぎさんゆうびん」で
お届けできたらと思います。

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長く生きる⑥ 杉田玄白

はかないもののたとえ、
カゲロウは、たった数時間で命を終える。
一方で、ひとはいつの時代も
不老長寿を願ってやまない。

江戸時代の医師、杉田玄白は、
長寿について、こう記している。


 長生きしても、たいして
 驚くようなことはないわけで、
 無理に長生きを願うのは、無益である。

当時から長寿で知られた杉田先生は、
よっぽど「長生きの秘訣」を聞かれるのが、
お嫌いだったらしい。

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長く生きる⑦ 宇野千代

イギリスで、400歳の貝が
みつかったというニュースが流れた。

女文士、宇野千代が生きていたら、
うらやましいわ、と言うかもしれない。
彼女自身、98まで生きたのに。


 なんだか私、死なないような
 気がするんですよ。(はははは は)

晩年の宇野千代、お気に入りの言葉。

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長く生きる⑧ 小倉遊亀

枯れることは、老いること。

けれど、枯れなくては
うまみを増さないものがある。
それは、梅干し、かつお節。

小倉遊亀(ゆき)は100歳をすぎてなお
絵筆をとり続けた日本画家だった。


 一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入る。

まだ日本画家になる前、小倉は
同じ日本画家の大家、安田靫彦(ゆきひこ)に
もらった言葉を矜恃に生きた。

作品の味わいは、枯れてこそ。

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五島のはなし(66)

みなさん一緒に歌ってください。


 愛しい気持ちを フェリーに乗せて
 お前を迎えに 越えた海
 男ごころの 高鳴りを
 ぶつけて砕ける波しぶき
 ここは 長崎 あぶんぜ 海のまち
 哀しい女の あぶんぜブルースよ

そう、杉直人が歌うあの有名な曲「あぶんぜブルース」は、
何を隠そう五島が舞台なのですっ。
・・・知ってます?あぶんぜブルース。

2番の歌詞を見ればきっとわかります。

♪ 
 未練 心に お前を試す
 馬鹿な男の 強がりを
 叱ってくれるか 鬼ん岳も
 浜木綿揺れます 泣いてます
 ここは長崎 あぶんぜ 恋のまち
 哀しい女の あぶんぜブルースよ

ここまで歌詞を見てもわからないあなたに
五島を語る資格はないっ!
たぶん五島を語るつもりなんて
ぜんぜんないと思うけどっ!

「あぶんぜ」は五島福江島にある、溶岩でできた海岸。
漢字で書くと「鐙瀬」です。
釣りをするもよし、ぼーっと景色を眺めるもよし、素敵な場所です。
ぜひ一度行ってみてはいかがですか。

あ、行く前にぜひ「あぶんぜブルース」を
覚えていってください。
この歌をあぶんぜで口ずさむと、
映画の主人公になったような気がしますから。

「あぶんぜ」と読むのです。

「あぶんぜ」と読むのです。

こういう海岸がつづく。撮影:キュート姉妹の姉の方。

こういう海岸がつづく。撮影:キュート姉妹の姉の方。

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梧桐のはなし(65)

しばらく更新しなかったら、
パソコンがもう「ごとう」を「五島」と
変換してくれなくなってました。

「梧桐」ってなんだ!
気になって辞書をひいてみたら、
「アオギリの別名」とありました。
・・・アオギリってなんだ!
ここで「アオギリ」を辞書で引くと、
「梧桐のこと」と出てくることが予想されるので
もう辞書はひきません。

うちのパソコンにも五島愛が芽生えたのでしょう。
五島のはなしをちょっとサボっただけで
こんな罰を与えてきやがります。

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バリ島見聞録(9)

前回は人々でしたが、今回はお供え物チェックといきます!

marriage_osonae2

祭壇に所狭しとお供え物が並べられています。

IMGP3077

IMGP2944

marriage_osonae04

marriage_pigs

これは何でしょう。。
よくよく見れば分かります。
こちらです。

marriage_pig

 
豚丸々一匹つかって、飾り付けをしています。
ギザギザのしろいリングも、豚の脂で作られています。
旗のようなものも、どこかの部位なのだそうです。

祭壇意外にもそこかしこに置かれています。

marriage_osonae03
 

布にかぶせられたカゴからはトリの鳴き声が、、

marriage_osonae09

 
marriage_osonae10

 
marriage03
 

marriage_osonae

 
marriage_kazari
 

marriage_kazari02

つづく!

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バリ島見聞録(8)

大分あいだを開けてしまいました。
理由は色々あるんですが、撮った写真が2ギガ(!)あったということがひとつ上げられます。
なぜ、こう多くなったというと、周りがバリ人ばかりで話せない、
という手持ち無沙汰感が手伝った部分もありますが、
ちょっとでも休んで眺めていると、今がシャッタチャンスだよ! 
と言わんばかりに写真とれと指示をだしてくるからであります。

選別にえらく時間がかかりました。
それでも膨大にあるので2.3回に分けて写真を多めにアップしようと思います。

marriage01

場所はクルンクン県の首都、スマラプラ。
ここの土地の王族というとバリ8王国の中の宗主という存在で一番位が高い王族でした。
期待が膨らみます。

門をくぐり、しばし歩くと
結婚の儀式が行われている会場が見えてきました。

zenkei

marriage_zenkei

右側に新婦、そして奥に柱に隠れていますが新郎が見えます。
左側の祭壇では僧侶であるブラフマがお祈りを上げています。
しかし、儀式という緊張感はあまりありません。
祭壇におばちゃんが座っています。

ぼそぼそとお祈りを上げているブラフマの声をかき消すかのように、
歌が会場に響き渡っています。

marriage_song

音楽も奏でられています。

marriage_music
(今は休憩中)

marriage_people

周りをみるとなんとなくだらっとしています。(あついからか?)
この状況が後2時間続きました。。。
つまり、ブラフマが2時間ひたすらお祈りを上げているのを
音楽に耳を傾きながらじっと見守っているだけです。
ロ(私)が10時に会場に入った時にはもう始まっていたわけで、
もっと長く続いていたのかもしれません。

ということで、その間に撮った人々の写真などを並べていきます。

marriage_women_people

marriage_people03

marriage_person03

marriage_women

marriage_person

marriage_kids

marriage_baby

marriage_kid02

つづく!

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江口順也 09年11月22日放送

04-socrates


ソクラテスの夫婦論

学生のころ、
教科書で習った哲学は、
さっぱりだったけど。

ひとつだけ気になる言葉があった。

 ともかく結婚せよ。
 もし良い妻を持てば、幸せになるだろう。
 もし悪い妻を持てば、哲学者になるだろう。

ソクラテスの名言。

あれは、どういう意味だったんだろう。
わが妻に聞いてみたら、

そこの洗濯物たためば分かるんじゃない?

と、返された。

今日は、いい夫婦の日です。

05-ny


世界一の権力者

NYのとあるパブで、Mr.Aが謎かけを出した。

世界でいちばんの権力者は?

そりゃぁ大統領だろうと、
Mr.Bは答えた。

するとAは、こんな小話をはじめた。

 ねぇあなた、同窓会でジョンに会ったの。

 彼はいま、何してるんだ?

 小さな会社勤めよ。

 キミは私と結婚してよかった、何しろ大統領夫人だ。

 違うわ、私と結婚してたら、彼が大統領だったわ。

腹を抱えて笑う、Mr.B。

と、Bの胸元で、携帯電話が鳴った。
Aの携帯にもメールが届いた。

 嫁さんからだ!

そう言って二人は、慌てて家へ帰っていった。

今日は、いい夫婦の日。

06-napoleon


ナポレオン&ジョセフィーヌ

 3つのキスを贈る。
 キミの心に、くちびるに、そして瞳に。

戦場からのラブレター攻撃で、
あこがれの女性を攻め落とした、
ナポレオン。

しかし、愛を勝ち取ってわずか二年。
妻への手紙は、こうも変化する。

 お前を憎む。
 夫のために、たった5行の手紙すら書こうともしない、
 薄情なお前を…

ナポレオン閣下、
男と女は、結婚してからが本当の戦いなのです。

今日は、いい夫婦の日。

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山口千乃 09年11月22日放送

01-john


John & yoko

ジョン・レノンが最後に遺した曲は
愛する妻にむけた、
とても優しいラブソングだった。

 GROW OLD WITH ME
 一緒に年を重ねよう。

ダコタハウスの寝室で、
この曲をヨーコに披露してから
たった一ヶ月後。
2人のラブソングは、銃弾の音にかき消された。

今日は、いい夫婦の日。
大切な人の声に、耳を傾けよう。

02-uemura


植村直己&公子夫人

冒険家、植村直巳。
命がけの挑戦を続ける中、
日本に残してきた夫人との唯一の連絡手段は、
手紙でした。

北極横断の532日間。
夫人にあてた手紙は、105通。

君の作ってくれたおしんこが食べたい。
と甘えてみたり、
迷惑をかけたけど、かんべんして。
と謝ってみたり。

最後は、いつも
元気で。
と、締めくくる。

何気ない言葉の中にも、
暗号のように
愛って隠れているんですね。

今日は、いい夫婦の日。

03-yubari


夕張夫妻

すべてを失ったとき、頼りになったものは、夫婦の愛でした。

北海道夕張市。

財政破綻で、
巨額の負債を抱えた田舎街に
たったひとつ残った財産とは。

シャッターが目立つ商店街で、
老夫婦が手を取りあって営むおまんじゅう屋さんに
答えはありました。

長年の愛です。

2007年、離婚率が日本一低いことに気づいた夕張市は、
夫婦円満の街を宣言。

市役所で交付される夫婦円満証をもらいに
全国から観光客が訪れ、
街は少しずつ活気づいてきました。

今日は、いい夫婦の日。

夕張市役所へは、駅から車で3分です。

07-ryo


龍馬とお龍

坂本龍馬は、
日本の歴史にだけでなく
夫婦の歴史にも革命をもたらした。

1866年、龍馬30歳。
背中に受けた刀傷を癒しに、
妻を連れて、温泉の旅へ。

ここから、日本人の新婚旅行が始まった。

今日は、いい夫婦の日。

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小山佳奈 09年11月21日放送

Kurosawaakira1

「黒澤明 ノート」

天才に努力されたら
凡人はふて寝するしかない。

だが決まって天才は
努力家だったりする。

映画監督、黒澤明は
膨大な量の本を読み
片端からノートに取る。


 創造とは記憶です。
 自分の経験や記憶が
 足がかりになるんであって
 無から創造できるはずがない。

おっしゃる通り。

やっぱり凡人は
ふて寝するしかない。

kurosawaakira2

「黒澤明 ビフテキ」


 ビフテキの上にバターを塗り
 その上に蒲焼きをのせたような映画

1953年。
映画監督、黒澤明が
誰も見たことのない日本映画をつくろうと
頭に描いたイメージはこれだった。

ビフテキが時代劇。
バターがアクション
蒲焼きが人間ドラマ。

そう。

日本映画史上最高傑作、
「七人の侍」は
構想の時点ですでに
誰もが満腹になる
準備はできていた。

kurosawaakira3

「黒澤明 主人公」


 主役だけが主人公ではない。
 どんな人間だって
 ある角度から見れば、
 そいつは主人公なんでね。

黒澤明は言う。

だから彼の映画には
どんな端役の百姓にも
名前と年齢がある。

だから存在感のある役者を
キャスティングする。

人生に端役なんてない。

kurosawaakira4

「黒澤明 出会い」

映画監督にとって
つくることだけが才能ではない。
出会うことも才能。


 鎖につながれた猛獣がいる。

黒澤明は通りすがりのオーディションで
異様なものを見つけた。

「笑ってみて」と言われて
「おかしくないので笑えません」。
憮然と答えるその猛獣の名は、
三船敏郎。

一度はオーディションに落ちた三船を
黒澤が拾い上げた。

その瞬間、
黒澤映画の半分は
出来上がった。

kurosawaakira5

「黒澤明 三船」

時には狂った獣のように。
時には無邪気な子犬のように。

黒澤映画に出てくる三船は
縦横無尽に跳ねる、駆ける、笑う。
時にはカメラも追いつけない。

その予測不能の動きが
黒澤映画に命を吹きこむ。

黒澤はこう言っている。


 映画は時間の芸術であり、
 時間とは“動き”である。
 “動き”がなければ映画は成立しない。


kurosawaakira6

「黒澤明 スピーチ」

1990年、
映画監督、黒澤明は
史上3人目となるアカデミー特別名誉賞を受賞した。

映画人生62年目を迎えた80歳の黒澤は、
その壇上でこう言った。


 ぼくはまだ、映画がよく分かっていない。

ひとついえることは
黒澤は映画に関していえば
世界一、強欲で貪欲な監督である。

そしていまでも
黒澤の大きすぎる背中を
世界中の若者が追いかけている。

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五島のはなし(64)

「野良猫の 多き町にぞ よき人の 住んでる気がして にゃーごにゃご」

万葉集にこんな歌が収められているのを
ご存知でしょうか。
・・・知りませんよね。そんな歌ないし。

五島は野良猫が多いです。
猫にとっては魚が手に入りやすい
まさに楽園~キャッツ・パラダイス~だと思うんですが、
五島の猫たちがこれを読んだら(読んでたらぜひ教えてね)、
「俺たちには俺たちの苦労があるっ」と
抗議の声を上げるかもしれません。

「猫の気も 知らずに人は のほほんと いい気なもんだよ にゃーごにゃご」

かの有名な動物写真家、岩合光昭さんの写真集
「日本の猫」にも五島・福江島の猫が登場しています。
その写真集のあとがきに、
「私は日本中の猫を写真に収めながら、
猫たちと会話をしつづけた。するとどうだ。日本中の猫たちが
あこがれるパラダイスがあると言うではないか。聞けば五島という島である」
なんてことは一言も書いてませんでしたが、
そんなことを勝手に想像しました。

下の写真1は五島歴史資料館の入口。
よくみると猫がいます。
五島の歴史について語ってくれそうです。
(撮影はすべて素敵姉妹のお姉ちゃんの方)

 

写真1:歴史資料館

写真1:歴史資料館

写真2:資料館の写真のアップ

そしてまた猫

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