「草花になった人/藤原定家」
死ぬほど好きだ。
という言葉はよく耳にするが
死んでも好きだ。
という人はあまりいない。
歌人、藤原定家(ふじわらのていか)。
長く仕えた式子内親王(のりこないしんのう)への恋心は
死してなお収まることなく
式子の墓に「かずら」となって巻きついた…
こんな物語が元になって
木や岩にしがみつき這い登る植物に
「定家葛(ていかかずら)」という名前がついた。
冬になっても葉は緑のままで
からみつく相手がいないと
地面さえ覆いつくす定家葛。
面倒なのに逃れられない。
そんな恋心を見るようで、
少し、恐い。
「草花になった人/武蔵坊弁慶」
何十本もの矢を体に受けても
決して倒れなかった男。
死ぬときも仁王立ちのままだったという武蔵坊弁慶。
その弁慶が、
じつはいまも生きつづけているという。
野山やご近所の庭で。
不死身の弁慶にあやかった「弁慶草(べんけいそう)」
分厚い葉を持ち、
切られてもなかなか枯れず
土にさせばぐんぐん新しい根を生やす。
勇ましく。たくましく。
弁慶は、野原のかたすみや、鉢植えの中から、
「負けるなよ、日本人」
と語りかけているのかもしれない。
「草花になった人/平敦盛」
北国の、夏でも涼しい高原に
赤い頬をした
美しい少年がうつむきぎみに立っていた。
薄紅色の袋のような花を背負ったその花の名前は
「アツモリソウ」という。
16歳の初陣で、
潔く敵方の武士に
首を差し出した笛の名手、平敦盛(たいらのあつもり)。
何百年もの時をへた今も、
毅然とした姿で
逃げも隠れもせず
高原の風に吹かれている。
「草花になった人/熊谷直実」
城を捨て、船で逃げようとする平家の軍勢を追う
ひとりの武将がいた。
「敵に背を向けるつもりか、我の名は熊谷直実(くまがいなおざね)」
その声を聞いて引き返したのはまだ16歳の少年、
名だたる平家の武将のなかでも
とりわけ血筋正しい貴公子で笛の名手、平敦盛。
まだあどけなさの残るその顔を見て
熊谷直実は同じ年の息子を思い出す。
助けたいと申し出る熊谷に、
少年はただ「切れ」と言った。
何百年もの間、
人々の涙を誘った平家物語の一場面。
熊谷直実と平敦盛は、
「クマガイソウ」と「アツモリソウ」という野草の名前になった。
茶会ではこの2つの花が
一緒に活けられるという。
戦のない世界で、
ふたり静かに語り合っているのだろうか。
「草花になった人/静御前」
静御前(しずかごぜん)が囚われの身となり、
義経の兄、
頼朝の前で舞を舞わねばならなくなったとき。
彼女は、義経への一途な想いを歌った。
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
早春に咲く
「一人静(ひとりしずか)」という植物は
静御前がそのときかぶっていた烏帽子(えぼし)に似ている。
実は生きながらえたという
伝説の多い義経。
どこか隠れた里山で、
彼のために舞う
この花を見ただろうか。
「草花になった人/紫式部」
花は白みを帯びているのだけれど
実を結ぶとなんとも艶っぽい紫色になる。
そんなわけでつけられた名前が「紫式部」。
秋を代表する植物のように思われているのも
きっとその名前のおかげだ。
ところで、紫式部を小さくしたような植物に
小式部(こしきぶ)がある。
誰が名付けたのだろう。
小式部は紫式部ではなく和泉式部の娘なのに。
「草花になった人/千利休」
「利休草(りきゅうそう)」という植物がある。
なにげない草だけれど、
茶室に活けたとたん、
すっと存在感を出す。
利休が見出したわけでも、
利休が名づけたわけでもない。
なにしろ利休草が中国から渡来したのは江戸時代。
利休はその存在も知らずに亡くなっている。
でも、その繊細な姿が気に入られ
どうしても茶室に活けたいと思う人があらわれて
茶花にふさわしい名前をつけてもらった。
利休草。
茶道の世界でこれ以上いい名前はない。
遅れてスタートしたくせに
トップを走っているランナーのようだ。