2009 年 11 月 15 日 のアーカイブ

薄景子 09年11月15日放送

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山田洋次と黒澤明

78歳にして現役。映画監督、山田洋次は、
48作品に及んだ「男はつらいよ」終了後も次々と新作にとりかかる。
「好奇心がある限り、映画を作り続ける」
彼の信条に大きな影響を与えたのは、晩年の黒澤明監督だった。

それは、山田監督が黒澤監督の別荘に訪れたときのこと。
できたてほやほやの、「まあだだよ」の脚本を
読むかい?と言われ、山田監督は大興奮。
部屋にこもって一心不乱に読みふけていると、
すーっと扉があいては、黒澤監督が覗きにくる。
「どこまでだい?」「ここまでです」
短い言葉のやりとりを何度か重ねた後、
ここぞという瞬間を見計らって
黒澤監督はラジカセのスイッチを押した。

流れてきたのは、イタリアのカウンターテナーの美しい歌声。
「その辺からな、この音楽が入るんだ」
敬愛する監督の無邪気な笑顔が、後輩の脳裏に焼きついた。

いくつになっても映画少年のままだった大巨匠。
世界のクロサワが残したのは、
偉大なる映画史と、永遠の映画少年たち。

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熊埜御堂由香 09年11月15日放送

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センセイと乙羽さん

 老人だけがでてる映画なんてウケるかしら・・・

女優、乙羽信子は、不安だった。

夫である新藤兼人監督が、
老いをいかに生きるかをテーマにシナリオに書き上げた
「午後の遺言状」

80歳の新藤監督、主演女優は89歳の杉村春子。
70歳の乙羽信子も出演する予定だった。

新藤監督もまた不安だった。
撮影がはじまる直前に、乙羽信子は、肝臓がんの手術をする。
余命は1年か、1年半か、といわれた。

病状をはっきりしらない本人を前に、
映画の製作を進めるべきか新藤監督は悩んだ。
そして、だした答え。

 僕らは40年以上、映画を通じで行動を共にしてきた「同志」だ。
 別れにのぞんで、何をすべきか、
 彼女の女優としての最後の場をととのえるべきだ。

スタッフだけの完成試写をしてから、乙羽信子は静かになくなった。
出会ってから、別れるまで、
ふたりは、どんなときでも、お互いをこう呼び合った。
センセイ、乙羽さん。

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字幕屋の妙

「君の瞳に乾杯」

映画「カサブランカ」の名台詞だ。
いや、字幕屋「高瀬鎮夫」の名字幕といったほうが正しい。
もともとは
Here’s looking at you, kid
「お嬢さん、君を見つめて乾杯」というような意味だ。

字幕は1秒につき3〜4文字。
制約が、言葉を磨き上げ、
日本中を魅了する台詞を残した。

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押井守と宮崎駿

「映画を発明する」
といい、実験的なアニメに挑む、押井守。

「映画の奴隷になる」
といい、子供にも愛されるアニメを追及する宮崎駿。

日本アニメの力を世界に知らしめた、ふたり。
押井は宮崎を「宮さん」と呼び親しくしていた。
会うと、話がとまらないくせに
周りが喧嘩かと心配するほど意見があわない。

押井守が若い人に希望を伝えたいと「柄にもない」ことを言って
撮った映画がある。「スカイクロラ」
インタビューで押井は言った。

 宮さんみたいに、正座してオレの話をきけって言うんじゃなく、
 後ろからそっと語りかけることなら、僕にもできる気がしたんだ。

反発しあいながらも、意識する。
このふたり、似たもの同士の親父と息子みたいだ。

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石橋涼子 09年11月15日放送

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岡本喜八

映画監督 岡本喜八は、
撮影現場でじっとしているのが嫌いだった。

ディレクターズチェアに座らないので、
見学者に「監督はどちらですか?」と
尋ねられたこともある。
そのときはとぼけた顔をして照明監督を指差した。

彼は、自身のこだわりを、こう語った。
「一流は嫌い。自由がきかないから。僕は二流がいい。」

超二流監督を自称する岡本の作品は
いつでも、古い常識をぶち壊すパワーに満ちていた。

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古澤憲吾

「なんでもいいから、キャメラを回せ!」
それが、映画監督 古澤憲吾の口癖だった。

派手な身振り手振りで演技指導をし、
フィルムが空でもカメラを回させた。
思いつきで撮影しているかのような演出に
真剣に悩んだ女優には、
「なにも考えなくていいんだ!」
と叫んだという。

ハイテンションでほら吹きで、自信家で、間違いなく変人だけど
妙にポジティブな古澤監督のキャラクターは、
そのまま、
植木等が演じる日本一の無責任な主人公となって
60年代の日本に元気を与えた。

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水谷八重子

新派を代表する女優、初代 水谷八重子。

彼女は新人のころ、岡鬼太郎(おか おにたろう)という劇評家に
「こんな女優は一生大根で終わるだろう」と新聞に書かれた。
その悔しさから、切り抜きを
定期入れに入れて何十年も持ち続けたという。

大スターになった八重子は
 基本を大切にしなければ舞台に上がる資格はない
と言い続けた。

悔しさも、芸のこやし。
それが本物の女優。

06-Jacques


.ジャック・プレヴェール

詩人であり、脚本家でもあった
ジャック・プレヴェール。
映画『天井桟敷の人々』の名シーンは、
彼が書いた詩的なセリフから生まれた。

「次は、いつ会える?」
「近いうちに。縁があればね」
「しかし、君、パリは広いよ」
「愛するもの同士には、パリも狭いわ」

学校嫌いだったプレヴェールが
ことばを学んだのは劇場やカフェだった。
ある批評家はこう言った。

 彼は街から来たのだ。決して文学から来たのではない。

エンドロールでのプレヴェールの肩書きは、
いつでも「脚本とセリフ」だった。

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