石橋涼子 09年11月15日放送
岡本喜八
映画監督 岡本喜八は、
撮影現場でじっとしているのが嫌いだった。
ディレクターズチェアに座らないので、
見学者に「監督はどちらですか?」と
尋ねられたこともある。
そのときはとぼけた顔をして照明監督を指差した。
彼は、自身のこだわりを、こう語った。
「一流は嫌い。自由がきかないから。僕は二流がいい。」
超二流監督を自称する岡本の作品は
いつでも、古い常識をぶち壊すパワーに満ちていた。
古澤憲吾
「なんでもいいから、キャメラを回せ!」
それが、映画監督 古澤憲吾の口癖だった。
派手な身振り手振りで演技指導をし、
フィルムが空でもカメラを回させた。
思いつきで撮影しているかのような演出に
真剣に悩んだ女優には、
「なにも考えなくていいんだ!」
と叫んだという。
ハイテンションでほら吹きで、自信家で、間違いなく変人だけど
妙にポジティブな古澤監督のキャラクターは、
そのまま、
植木等が演じる日本一の無責任な主人公となって
60年代の日本に元気を与えた。
水谷八重子
新派を代表する女優、初代 水谷八重子。
彼女は新人のころ、岡鬼太郎(おか おにたろう)という劇評家に
「こんな女優は一生大根で終わるだろう」と新聞に書かれた。
その悔しさから、切り抜きを
定期入れに入れて何十年も持ち続けたという。
大スターになった八重子は
基本を大切にしなければ舞台に上がる資格はない
と言い続けた。
悔しさも、芸のこやし。
それが本物の女優。
.ジャック・プレヴェール
詩人であり、脚本家でもあった
ジャック・プレヴェール。
映画『天井桟敷の人々』の名シーンは、
彼が書いた詩的なセリフから生まれた。
「次は、いつ会える?」
「近いうちに。縁があればね」
「しかし、君、パリは広いよ」
「愛するもの同士には、パリも狭いわ」
学校嫌いだったプレヴェールが
ことばを学んだのは劇場やカフェだった。
ある批評家はこう言った。
彼は街から来たのだ。決して文学から来たのではない。
エンドロールでのプレヴェールの肩書きは、
いつでも「脚本とセリフ」だった。