開高健と山の上ホテル①
山の上ホテルは、
神田駿河台の高台にございます。
小さな、文化人のホテルです。
開高健先生も、よくいらっしゃいました。
散歩のついでに、ふらっと。
あのかた、釣り師としても有名ですが
書いておられるほど
釣りはお上手ではないようでした。
釣りの話をするときは、両手を縛っておけ。
これは、開高先生が
お好きだった、ロシアのことわざです。
石本恭子と山の上ホテル②
山の上ホテルは、
昭和29年にオープンした、
客室100前後の小さなホテルです。
当時、一機しかなかったエレベーターは
まだ手動で、石本恭子という
オペレーターが操作しておりました。
言葉遣いは美しく聡明、長身で上品な顔立ち。
淑女と呼ぶにふさわしく、
忘れがたい印象を残す女性でした。
ただ、それだけの話なのですが、
「旅館や料亭は、文化そのものであり、
そこで働く人たちもまた文化だ」と
言ってくださったのは、山口瞳先生でした。
丸谷才一と山の上ホテル③
丸谷才一先生が
山の上ホテルにお泊まりになるときは、
たいてい別館の623号室です。
山の上ホテルの、この部屋だけ、
カーテンが完全な暗幕になっているんです。
丸谷先生は夜型ですから、
明け方に眠るにはちょうどよかったのでしょう。
山の上ホテルは、作家の先生方が
何日間もカンヅメになる場所です。
そして、たくさんの丸谷文学もまた、
ここで生まれました。
けれど丸谷先生は、こんな風に言っています。
作品が完成するのは、
読者が読んで感心したときです。
池波正太郎と山の上ホテル④
池波正太郎先生は、
執筆と言うより休息のために、
よく山の上ホテルにお見えになりました。
池波先生は、お部屋で
よく画を描かれていました。
座卓が汚れないようにと、
ビニールカバーを持参されて。
几帳面で、洒落た粋人というのは、池波先生のことです。
ホテルに何枚か飾っております、
先生の水彩画は、お人柄そのものです。
山の上ホテルのレストラン⑤
山の上ホテルには、
作家の先生方をはじめ、
多くのお客様が例外なく好んだ
天ぷらの名店があることでも知られています。
創業者、吉田俊夫が仕入れまでみるほどの
食通だったせいもあるでしょう。けれどなにより、
吉田は、大通りにある鰻屋や鮨屋より
裏通りで見つかるような「天ぷら屋」が好きでした。
天ぷら職人に共通する、外連のない、
律儀で地味なところが。
今年の、全米のレストランガイド
サガット・サーベイにも載ったそうです。
「天ぷら 山の上」は、いまや
日本食の看板レストランです。
吉田俊夫と山の上ホテル⑥
山の上ホテルは
今でも文藝春秋や中央公論に
小さな広告を載せています。
山の上ホテルの広告は、
文案もデザインも、みんな自前です。
会社勤めから
ホテルの創業者となった吉田俊夫は、
広告もしかり、初々しいサービスや、
素人っぽさにこだわっておりました。
願わくは、ここが有名になりすぎたり、
流行りすぎたりしませんように。
三島由紀夫の寄せた言葉を矜恃として
当時のパンフレットに載せたのも、吉田です。
今もまだ、知る人ぞ知るホテルであることが
それを証明してくれています。