大島蓼太と桜
気が付けば、もう4月。
なんとなく、
無意識のままに
この季節を迎えてしまったと
少し心を痛めている皆さん。
次に目が醒めると夏になって、
秋は瞬く間に過ぎて
新しい年に変わっている。
またひとつ年をとっている。
そんな予感がしませんか?
時の流れにただ身を委ねていると
生き方まで雑になってしまいそう。
世の中は 三日見ぬ間に 桜かな
江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)の句です。
咲くのも早いし、散るのも早い。
人生もまた然り。
どうか今年の桜は、お見逃しのないように。
若山牧水と桜
旅と、酒と、桜を愛した歌人、若山牧水。
明治38年、宮崎から上京し
早稲田大学に入学した彼は、
ソメイヨシノばかりの光景にがく然とする。
牧水の桜は、故郷に咲くような山桜でなくてはならなかった。
だからこんな歌が生まれた。
母恋し かかる夕べの ふるさとの 桜咲くらむ 山の姿よ
文明開化が広がるとともに
東京から追い払われるように姿を消した山桜。
ソメイヨシノは、悲しくも美しい、新しい時代の象徴だった。
九鬼周造と桜
桜の名所は数あれど、
誰にでも心に残る桜があり
そのすぐそばには、
えてして大切な人がいるもので。
哲学者、九鬼周造(くきしゅうぞう)は
自身の随筆でこんな言葉を残しています。
いまだかつて京都祇園の枝垂桜にも増して
美しいものを見た覚えがない。
見れば見るほど限りもなく美しい。
それもそのはず、
九鬼が二度目に結婚した相手は、
京都の芸妓さんだったのですから。
加舎白雄、小林一茶と桜
夕暮れの桜は、
一抹の寂しさを伴うのでしょうか。
江戸時代後期の俳人、加舎白雄(かやしらお)は
向島の桜を見て、こんな句を残しています。
人恋し 火とぼしころを 桜ちる
放浪を続けた加舎白雄は、生涯独身を貫きました。
向島の白髭神社に行けば、今もその句碑を見ることができます。
また、深川に住んでいた小林一茶は、
こう吟じました。
夕桜 家ある人は とくかへる
花見をして家路を急ぐ人々と、
ひとりきりの我が身。
向島の桜は、夕暮れどきであれば
ひとりではなく、誰かと見に行くことをお勧めします。
でも、いま隅田川沿いを歩くと
桜並木よりも目立つのは、
建設中の東京スカイツリーだったりするのですが。
中村汀女と桜
今年は千鳥ケ淵か、飛鳥山か・・・
昼間の桜もいいけれど、
夜桜こそまた趣深い。
その理由は、中村汀女(なかむらていじょ)の句を聞けばわかります。
外にも出よ 触るるばかりに 春の月
大きくて柔らかな、春の月。
震えながらでも
夜桜を見上げてしまうのは、きっと
朧な空に優しいものがたくさん浮かんでいるからだ。
ロバート・フォーチュンと桜
ソメイヨシノの学名は、
プルヌス・エドエンシス。
翻訳すると、江戸桜。
命名したのは、スコットランド生まれの植物学者、
ロバート・フォーチュンだった。
でもソメイヨシノが広まったのは
明治時代になってから。
本当に江戸を桃色に染めた山桜は、
今や23区内ではあまり見ることができない。