日曜日21時から、J-waveで放送中の東京コンシェルジュという番組の
森ビルのCMに坂本龍一さんが登場しています。
こちらからでも少々聴くことができます。
http://www.mori.co.jp/hillscast/
2010 年 4 月 のアーカイブ
坂本龍一さんの意見
チケットのデザイン
Tokyo Copywriters’ Street LIVE4 のチケットです。
まだ印刷ができておらず、デザインだけですが。
天才アートディレクター金井理明くんのデザインなので
多少遅くなっても、まあいいか…という観点ですすめております。
なんとか連休前には発売にこぎつけたいです。
発売前からチケットを申し込んでくださった皆さま、
すみません、もう少々お待ちください。
必ずご案内を差し上げます。
中村直史 10年03月18日放送
イグノーベル賞/マーク・エイブラハムズ
ノーベル賞と同じノーベルの
名を持ちながら
全く権威のない賞がある。
その名を「イグノーベル賞」。
創設者、マーク・エイブラハムズ。
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られる賞だ。
権威がないといっても
あなどれない。
だって
世界で最も人を笑わせ、
考えさせてくれる研究って
気になるでしょう?
イグノーベル賞/アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ
なぜリンゴは地上に落ちるのか?
万有引力を発見した
ニュートンのように
科学における発見は
「よくよく考えてみると不思議」
を解明することでなされてきた。
そう考えれば、
人々を笑わせ、考えさせてくれる研究
に与えられる「イグノーベル賞」も
すばらしい発見を後押ししている、と言える。
2006年、イグノーベル鳥類学賞。
受賞者はカリフォルニア大学の
アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ。
研究内容は
「なぜキツツキは頭痛を起こさないのか」
だった。
イグノーベル賞/井上大祐
人々を笑わせ、
そして考えさせてくれる研究に
贈られる偉大な賞
イグノーベル賞。
2004年には
日本人が「イグノーベル平和賞」を受賞した。
その人は、
カラオケの発明者
井上大祐(いのうえ だいすけ)さん。
授賞理由は、
「他人の上手くもない歌を聞かなければならないことで養われる寛容な気持ち」
を世界中に根づかせたこと。
受賞会場の観客はスタンディングオベーションで
井上さんを称えたが、本人はいたって謙虚で。
僕へのスタンディングオベーションじゃなくて、カラオケに対してやと思いますよ。
井上さん、
受賞スピーチの後には
ちゃっかり歌も披露した。
イグノーベル賞/ジャック・シラク
人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。
1996年、その平和賞は
フランスのジャック・シラク元大統領に
贈られた。
受賞理由は、
広島への原爆投下から
50周年にあたる年に、
半年で6回もの核実験を行ったこと。
ときに強烈な皮肉を込めるのも
イグノーベル賞のやり方。
イグノーベル賞/アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ
ジョゼ・カルロス・マルセリーノ
世界の歴史は
アルマジロによって
書きかえられている。
そんなバカな、
とも言えない話らしい。
ブラジルはサンパウロ大学の
アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョと
ジョゼ・カルロス・マルセリーノのふたりは
アルマジロの活動が遺跡発掘現場において
いかに遺物の順序を滅茶苦茶にするか、
またそのことで
どのように人類の歴史が書き変えられてしまうか
を調査した。
この功績により、
2008年、イグノーベル考古学賞を受賞。
あなたが知っている
世界の歴史にも
あのノソノソした生き物が
関与している。
そう考えたらワクワクしませんか。
イグノーベル賞/渡辺茂・坂本淳子・脇田真清
人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。
受賞した研究の数々を
「バカバカしい」と一蹴する人もいるけれど・・・
1995年のイグノーベル心理学賞を
受賞した渡辺茂・坂本淳子・脇田真清さんの授賞理由は
「ピカソとモネの絵画を見分けられるようにハトを訓練し、成功したことについて」
もしかすると
人間の、鳥に対する見方さえ
変えてしまうような
すごい話。
イグノーベル賞/中松義郎
突拍子もない研究に
エールを送りつづける
イグノーベル賞。
突拍子もないといえば、
代名詞みたいな日本人がいます。
ドクター中松こと、中松義郎。
と思ったら
やっぱり受賞していました。
2005年、イグノーベル栄養学賞。
「34年間、自分の食事を欠かさず撮影し、
食べたものが脳の働きや体調に与える影響を
分析し続けたこと」に対して。
・・・恐れ入ります。
引っ越しのお知らせ
4月下旬、このHPの改変にともない
URLがひとつになります。
いままで http://01-radio.sakura.ne.jp/guild/
上記からご覧になっていたかたは
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http://01-radio.com/guild/
重要なニュース
今月の下旬、このVisionブログはひそかに引っ越します。
いままでふたつのURLから見ることができていたのですが
それがひとつになります。
上記のURLをもう一度ブックマークお願いいたします。
五島のはなし(93)
昨夜、ぼくもとうとう
大人になってしまったのだな、
と思える出来事が。
どうも失禁してしまったらしいのです。
会社の先輩のお祝いの席で。
らしい、と書いたのは、いつそうなったか
まったく記憶がないからで、気づいたらそうなってたわけです。
大きくなっていろんな経験をしてきたけれど
失禁はなかった。もうこれでほんとの大人だ、と思ったですよ。
話は変わるけど、
ぼくの出身地である五島の酒の飲み方はけっこう激しいです。
「じゃあ、・・・に一杯やろかね」と言うと、自分のグラスを空け、
それを一緒に飲んでる ・・・さんに渡す。
渡された人は、そのグラスに酒をそそぐと、全部飲み干さなければならない。
という儀式が続きます。
五島に帰省しているときには、
久しぶりに帰ってきたということで
この「一杯やろかね」の対象となることが多いです。
元来酒に強くないので、べろんべろんになる。
それでも、失禁はなかった。
近ごろ、なんというか、
体と心のネジとかキャップがゆるんできている。
人間的に失禁してる。
(うまいこと言った気がする)
いっそこのままゆるみきって、
「あの人どうしようもないけど、まあしょうがないからほっとこ」
といわれる人間になりたい。
ゆるキャラになりたい。
そう願ってやまない37才の春。
小山佳奈 10年04月17日放送
山口小夜子
1972年。
切れ長の目におかっぱ頭で
パリのランウェイを颯爽と歩く
一人の日本人女性がいた。
彼女の名は、山口小夜子。
「ニューズウィーク」で
世界のトップモデル6人に選ばれ
小夜子のマネキンがロンドンの
ショーウィンドーを飾った。
しかし
彼女は言う。
「本当にやりたいことが
できるようになったのは
50を過ぎてからよ」
人生の濃度は
名声とも年齢とも
関係ない。
ニール・ヤング
001年9月11日。
世界を揺るがせたあの事件の直後
アメリカの大手ラジオ局が
放送自粛の曲目リストをつくった。
その中にはジョン・レノンの
「イマジン」も入っていた。
ほどなくして放送された
犠牲者追悼のチャリティー番組。
おもむろに登場した二―ルヤングは
一分の迷いもなくイマジンを歌った。
「想像してごらん
国や宗教が存在しない世界を」
世界中の戦闘機が
パトリオットミサイルの代わりに
このメロディーを積んでくれたなら。
阿久悠
作詞家、阿久悠について。
生涯で5000曲以上も書いた
怪物作詞家の別名は
「アナログの鬼」。
パソコンなんて無粋なものは使わない。
原稿用紙に100円のフェルトペンで
キュッキュッと小気味よい音を立てながら
一気に書きあげる。
「原稿は縦書きですから
読んでいる人は自然に頷くんです。」
たしかに彼の歌には
意味もなく頷いてしまう
強さがある。
「人間の心はアナログですから。」
バディ・ホリー
何ごとにもはじまりがあるように、
ロックにだってはじまりがある。
ロックの父といえば、
バディ・ホリー。
ボブ・ディランがギターをにぎったのも
ジョン・レノンが眼鏡をかけたのも
キース・リチャーズは3コードをおぼえたのも
みんなバディ・ホリーになりたかったから。
ありがとう。
あなたがいなかったら
世界はなんとつまらなかったんだろう。
渥美清
風天の寅さんこと、渥美清。
彼の本名は田所康雄という。
素顔の田所は風天どころか
よく本を読み、よく映画を観る勉強家。
何事にも緻密な計算を立てる
完璧主義者だった。
私生活は一切みせず
家族も家から出さなかった。
車寅次郎を知らない人はいない。
渥美清を知らない人はいない。
田所康雄を知る人はほぼ、いない。
だから寅さんは
あんなに朗らかで
少し寂しい。
桜を見ると
江戸川堤にたたずむ
寅さんの横顔を思い出す。
マーク・ボラン
TREXのマーク・ボラン。
彼は若いころオカルトに凝っていて
魔女と同棲をしていたという噂もあった。
魔女はひとつ予言をした。
「あなたは大成功をおさめるが
30になる前に血まみれになって死ぬ。」
マーク・ボランはその言葉どおり
30歳になる2週間前に
交通事故で亡くなってしまった。
おぼろにかすむ春の宵は
おぼろな話が気にかかります。
蛭田瑞穂 10年04月11日放送
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち①
ゴダール、
トリュフォー、
エリック・ロメール。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、
もともとは映画の批評家だった。
伝統的な映画づくりを否定し、
今までにない映画の在り方を主張した。
そうして実際、そのとおりに映画を撮ったのだ。
「有言実行」とは、つまりこういうこと。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち②
フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」。
その初代編集長、アンドレ・バザン。
彼はその雑誌に、
映画への情熱にあふれる若者たちを集め、
自由に批評を書く場を与えた。
のちに、その若者たちの中から、
ゴダールやトリュフォーといった
映画の歴史を変える監督があらわれる。
アンドレ・バザン。
彼こそが「ヌーヴェル・ヴァーグの父」である。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち③
1954年、フランスの映画批評誌
「カイエ・デュ・シネマ」に、
1本の評論が掲載された。
題名は「フランス映画のある種の傾向」。
執筆したのは21歳の若者、
フランソワ・トリュフォー。
評論の中でトリュフォーは伝統的な映画手法を否定し、
監督の作家性を押し出す「作家主義の映画」を主張した。
これがフランス映画界に波紋を起こす。
波紋はやがて大きな波へと変わり、
世界の映画人を飲み込むことになる。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」。
日本語で「新しい波」を意味する
映画運動はこうして始まった。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち④
処女作にはその作家のすべてがある。
映画監督フランソワ・トリュフォーの処女長編は
家族愛に恵まれない不幸な少年の物語。
両親に見捨てられ、孤独な少年時代を過ごした
トリュフォーの自伝的作品といわれる。
タイトルは“LES QUATRE CENTS COUPS”
邦題は、「大人は判ってくれない」。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑤
ジャン=リュック・ゴダールの
長編デビュー作「勝手にしやがれ」。
ゴダールはこの作品で、
さまざまな新しい試みをした。
脚本のない即興演出。
手持ちカメラによる大胆な街頭ロケ。
「ジャンプカット」と呼ばれる革新的な編集技法。
そして映画史に残る衝撃のラストシーン。
批評家アレクサンドル・アストリュックはこう語る。
それは爆弾のように炸裂した。
たった1本の映画で、
ゴダールは「明日の映画」を発明したのである。
「勝手にしやがれ」の封切りから今年でちょうど50年。
未だ古びて見えないのは、
フィルムに「明日」が映っているから。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑥
映画監督エリック・ロメールの
デビュー作「獅子座」。
その内容はというと。
事件はほとんど起こらない。
物語は淡々と進む。
興行的にも振るわなかった。
でも、それが彼のやり方。
ありきたりの手法を否定することで、
既存の映画に反抗した。
「獅子座」。
それはロメールが起こした、静かな革命だった。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑦
今年1月、
89歳で亡くなった映画監督
エリック・ロメール。
彼の映画はタイトルだけで
瑞々しい映像が浮かんでくるようだ。
「海辺のポーリーヌ」
「緑の光線」
「春のソナタ」
「夏物語」
ロメールが天国で、次の映画を撮るとしたら、
どんなタイトルになるのだろう。
坂本和加 10年04月10日放送
ポアンカレ予想と数学者① パパキリアコプーロス
数学の世界には、
魔物が住んでいる。
数学者、パパキリアコプーロスも
その魔物に人生を翻弄された。
パパは、最初に
ポアンカレ予想を解く。
みな、そう思っていた。
けれど、結局それは叶わなかった。
神経質で、
ひとと関わりを
持つことを嫌い、
結婚もせず、偏屈な変わり者。
墓さえどこにあるか、
わからないという。
パパの死後、
母国ギリシャの作家によって
一編の小説が生まれた。
パパをモデルにした、
ある数学者の、かなしい物語。
ギリシャでは、
ベストセラーになり、
映画化もされたという。
ポアンカレ予想と数学者たち② ストーリングス博士
ポアンカレ予想は、
メルヴィルの『白鯨』に登場する
巨大鯨に似ている。
数学者たちは、
いつの時代も
まさに命がけで
世紀の難問と
対峙してきたのだ。
その難問は
2006年に解決済みだが、
ストーリングス博士は
未だに認めていない。
正しく言うなら、
信じられないのだ。
若かりし頃、博士は、
こんな論文を発表している。
タイトル
「ポアンカレ予想の証明に失敗する人」。
ポアンカレ予想と数学者たち③ ハーケン博士
解けそうで、だけど、
どうしても解けないと
世界の数学者たちを
100年にわたり悩ませつづけた
ポアンカレ予想。
ハーケン博士も
そのひとりだったけれど、
途中から、180度、発想を変えた。
「ポアンカレ予想は、間違っている」。
その証明をしようとしたのだ。
格闘のつづく日々は、
正気を失いそうだったという。
けれど、三度(みたび)。
博士は発想の転換をする。
「こっちの難問なら、
午後を楽しく過ごせて、こんなにはかどる」。
ハーケン博士はそう言って、
別の、世紀の難問
「四色問題」を証明してしまった。
ポアンカレ予想と数学者たち④ サーストン博士
数学者たちは、
特別な世界で生きている。
そこで見つけた証明や定理を、
時に「エレガント」と賞賛する。
どう「エレガント」なのかは
凡人のわたしたちに、難しい。
たぶん聞いても、わからない。
そのくらい、数学は、
特別で特殊な別世界なのだ。
しかしサーストン博士は
数学で得た経験を
わかりやすくわたしたちに
伝えてくれる。
数学の本質は、世界をどういう視点で見るか。
物事を習うことは、物事を見ることです。
ポアンカレ予想と数学者たち⑤ アンリ・ポアンカレ
世界中の名だたる数学者たちが
その魅力にとりつかれ、
挑み続けたポアンカレ予想。
提唱者は、アンリ・ポアンカレ。
ニュートンやダヴィンチとならぶ、
19世紀の、知の巨人。
ポアンカレは、
じつに研究熱心な努力家だった。
ノートを持たない外出先で
思い浮かんだ数式を、
停車中の市電の車体に
書き込んでしまうくらいに。
そうでもなかったら、
世紀の難問は、
そう簡単には生まれない。
偶然は、それを受け入れる準備ができた
精神にのみ訪れる。
ポアンカレ予想と数学者たち⑥ グレゴリ・ペレリマン
むかし、東大の本郷キャンパスにある
三四郎池をなくそうという話があったとき、
猛反対をしたのは、
数学科の教員たちだったという。
数学者というのは、
「思索のための散歩」が好きなようで、
ポアンカレ予想を解いた天才数学者
ペレリマンも、ひどいときは40キロも
歩くことがあったらしい。
歩くことは、考えること。
最近、歩いていますか?