トルストイ
鈍感は最大の罪である。
そんな言葉を残したトルストイ。
鈍感な人間に、
「鈍感は最大の罪である」と言ったところで、
響くはずはないけれど。
彼らにうんざりしている人たちの
傷をうめることはできる。
あきらめて鈍感なふりをすることを、
踏みとどまらせることもできる。
傷を癒しながら、戒めにもなるなんて。
文豪が残した悪口は、気が利いている。
谷川俊太郎
答えのない質問は、大人をひるませる。
どうして、人は死ぬの?
死ぬのはいやだよ。
目をうるませながら問いかける娘に、たじろぐ母親。
詩人・谷川俊太郎は、こんなアドバイスをした。
ぼくだったら、
ぎゅーっと抱きしめて、一緒に泣きます。
言葉で答えられない問いかけには、
肌のぬくもりで応えればいい。
ひとりで抱えきれない不安を、
抱きしめてくれる人がいれば、
答えがなくても生きていける。
ジョン・ワラック
この人とは話しても無駄だ。
わかりあえるはずがない。
そう思い込むのは勘違いだと、
教えてくれる人がいる。
シーズ・オブ・ピースを立ち上げた、
ジョン・ワラック。
彼は、パレスチナ系アラブ人と、イスラエル系ユダヤ人の
ティーン・エージャーを話しあわせる。
僕の父さんは、おまえたちのおかげで、死んだんだ。
僕の兄弟は、君たちイスラエル軍に、殺されたんだ。
何日も何日も、憎しみをぶつけあう。
すると、ふと気がつく。
お互いが、同じことを、言っていることに。
お互いが、同じように、傷つけあっていることに。
愚かなのは、憎しみを持ちつづけ、
殺し合いをやめないことだ、と気がつく。
悪魔だと思っていた敵も、
おなじ人間だと知った子供たち。
彼らは、平和の種として、自分の国に帰っていく。
ムソルグスキーとバラキレフ
「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家たちを
率いていたバラキレフ。
ムソルグスキーにも、
クラシックの形式を教えこんだ。
しかし、ムソルグスキーが書き上げた曲
「禿山の一夜」は、音楽理論から逸脱していた。
バラキレフは、改作を求める。
ムソルグスキーは、自分に嘘がつけない。
私はこの作品をまともだと思っていますし、
そう思うこともやめません。
理論よりも直観を信じる、ムソルグスキー。
孤独と闘いながら、150年残る、作品をうみだした。
ムソルグスキー
むきだしの魂をぶつける
ロシアの作曲家ムソルグスキー。
心のなかに手をつっこんで、かき乱すような旋律。
腹の底に響いてくる、重くるしい和音。
その音楽は、耳ざわりだけれど、人を惹きつける。
しかし、クラシックの理論をこえた音楽は、
無学と非難され、音楽家としては認められない。
しだいにアルコールに溺れていく彼を
覚醒させたのは、友人の画家の死だった。
ガルトマンの遺作、一枚一枚から、
ムソルグスキーは強烈なインスピレーションをうける。
楽想と旋律がほとばしり、
それを書きなぐる時間さえもどかしい。
わずか3週間で書き上げられた組曲「展覧会の絵」。
およそ100年後の、1970年。
イギリスのロックバンド、ELPが
この曲をアレンジして演奏すると、世界中がわいた。
ムソルグスキーのむきだしの魂は、
クラシックよりもロックのほうが相性が良い。
リムスキー=コルサコフ
武骨な天才ムソルグスキーと、
器用な天才リムスキー。
ふたりは、無二の親友だった。
批判されたムソルグスキーの曲「禿山の一夜」を
リムスキーがアレンジすると、名作といわれた。
それは、ムソルグスキーが亡くなった後、
彼の名前を残すための、苦肉の策だった。
彼が生きていたら、
楽譜に手を入れることを、許さなかっただろう。
ダイヤの原石のような天才、ムソルグスキー。
つややかに磨きあげる天才、リムスキー。
生きているうちに、ぶつかることを恐れずに。
ふたりでひとつの作品を創ったら、
どんな音楽がうまれたのだろう。
宮地勇輔
空気なんて、読まなくてもいい。
時代なんて、読めるはずがない。
農家のこせがれネットワーク代表の
宮地勇輔は、時代の追い風をうけている。
農業ブームなんて想像できなかった頃に、
会社をやめて夢を語る、彼の先行きは不透明だった。
それでも自分の道を歩きはじめたら、
時代のほうから近づいてきた。
狙うと溺れてしまう時代の波は、
無心な人のほうが、のりやすい。