2010 年 6 月 のアーカイブ

Tokyo Copywriters’ Street LIVE4

ご来場くださった皆さま
たいへんたいへんありがとうございました。

なんとか無事に終了いたしました。
満席になりまして、舞台の直接見えないスタッフ席も解放して
お客さまに入っていただきました。
あれもこれも皆さまのおかげです。
感謝のあまりどちらに足を向けて寝ればいいのやら
悩んでおります。

また、打ち上げも多数参加くださいまして
ありがとうございました。
どちらの会場もあまりに暗く、JZの舞台以外は
真っ黒な写真になってしまうので
お客さまの様子を撮影するのはあきらめましたが
ちょっと残念です。

下の写真はカウンターに立つ佐倉隊長(真っ黒ですみませ〜ん)

最後は出演者みんなで舞台へ

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八木田杏子 10年06月27日放送

ディアギレフの才能

1.ディアギレフの才能

才能がないと言われた人の、
才能を見つけだす方法がある。

ロシアの貴族の息子、
ディアギレフはそれを知っていた。


 何の才能にも恵まれなかった男。
 でも天職を見つけた。

多くの才能を集める仕事、
そして、その才能が活躍する場をつくる仕事。

ディアギレフの一生は、そのために捧げられた。

ピカソやコクトーなどの芸術家の協力を得て
芸術革命をおこすロシアバレエ団をつくった彼は、
世界初のプロデューサーかもしれない。

ディアギレフの意

2.ディアギレフの意

20世紀のはじめに、音楽、美術、文学
すべてに影響を与えたロシアバレエ団。

1921年に上演した「眠りの森の美女」は
端役のダンサーまで
金糸銀糸の刺繍に宝石を縫い付けた衣装を身につけた
超豪華版で
観客拍手はもらったものの
プロデューサーのディアギレフは、
多額の負債をかかえる。

ダンサーをホテルに泊めるために、
自分は使用人部屋で寝起きすることもあったディアギレフ。

パリの社交界では、ロシア貴族らしい振る舞いをして、
パトロンには弱音を吐かないディアギレフ。

一張羅だったビーバーの毛皮のコートが擦り切れても、
芸術への想いは擦り切れないディアギレフ。

世界中の才能が、
彼に惹きつけられたのも無理はない。

フォーキンの疑問

3.フォーキンの疑問

1898年にロシアの演劇学校を卒業したばかりのダンサー、
ミハイル・フォーキンは疑問を感じていた。

踊りのスタイルが、
なぜ曲のテーマや衣装と調和していないのだろう。
バレエの心理表現は、
なぜ、脈絡もない一定の型で表すのだろう。

誰かに答えを求めても
伝統に根ざした決まりごとに疑問を感じる人はいない。
自分の手で、答えを創るしかなかった。

1909年、フォーキンはロシアバレエ団に加わり
振り付け師としてあたらしいバレエに挑戦する。

レ・シルフィード、ダッタン人の踊り、火の鳥…
傑作が次々に生まれた。
中性的なニジンスキーの魅力と跳躍を活かした
『薔薇の精』を見た観客は息をのんだ。
同じくニジンスキーのペトルーシュカは
観客の魂を揺さぶったといまでも語り伝えられる。

この「ペトルーシュカ」でフォーキンは
はじめてのこころみをした。
主役たちの背後で踊る群舞と呼ばれるダンサーたちに
兵隊、警官、子守り、大道芸人などの役柄を与えたのだ。

新人のときに感じた疑問の答えを、
自分の手で創りだしたフォーキン。

バレエにおける民主主義は
フォーキンによってもたらされた。

ニジンスキーの跳躍

4.ニジンスキーの跳躍

クラシックバレエの天才ダンサー、
ニジンスキー。

彼の素顔は内気な青年だった。
おそらく「牧神の午後」と出会うまで
自分が振り付けや演出をすることになるとは
思ってもみなかったに違いない。

マラルメの詩とドビュッシーの曲
そしてニジンスキー振り付けの「牧神の午後」は
1912年、ロシアバレエ団によって上演される。

言葉の少ない青年が、心の内からたぐりよせる動きは、
バレエを壊しかねないものだったけれど
静まりかえった客席の何人かは
モダンバレエがいま生まれたことを知っていた。

ロシアバレエ団の春

5.ロシアバレエ団の春

「春の祭典」は
ロシアバレエ団が1913年にパリで上演した。

不可思議なリズムと、不協和音でつくられた音楽。
奇妙なポーズで、小刻みに飛び跳ねるダンス。

クラシックに慣れていた観客は、耳と目をうたがった。
これは芸術への冒涜ではないだろうか。
観客を侮辱しようとしているのだろうか。

観客は賛成派と反対派に別れて争った。
暴れる観客は警官が取り押さえたが
野次や足踏みや殴り合いの騒々しさで
舞台で踊るダンサーに音楽が聞こえないほどだったという。

今でも斬新に感じる『春の祭典』に、
100年前のパリは、パニックを起こし
翌朝の新聞には「春の虐殺」という見出しが載った。

けれども、
この事件はクラシックが窮屈になっていた芸術家たちにとって
いい刺激になったようだ。

ココ・シャネルも、そのひとり。

ロシアバレエ団の旗印に
ますます多くの芸術家が集うようになってきた。。

ストラヴィンスキーの騒音

6.ストラヴィンスキーの騒音

不協和音を好んで使う
27歳のストラヴィンスキーは、
才能がないと評されることがあった。

けれどもロシアバレエ団の支配人ディアギレフは
彼の才能を見抜き、「火の鳥」を依頼する。

ストラヴィンスキーが書き上げた曲は、
いかにもストラヴィンスキーらしい
独特のリズムと不協和音でできていたために
主役を務めるはずのバレリーナは、
「騒音みたい」と評して舞台を降りてしまった。

しかし、1910年『火の鳥』が上演されると、
観客は熱狂し、
前衛的な作品にもかかわらず人気演目になる。

新しい才能は、否定されるところからはじまるのかもしれない。

ピカソの恋

7.ピカソの恋

ピカソがデザインするバレエの衣装は、
人体の形や動きを無視した
キュビズム的造形物だったので
立っているだけでも大変なほどだった。

しかし、それが一変したのは
ピカソの恋だった。
そのお相手はロシアバレエ団のダンサー、オリガ。

リハーサルに通いつめて、
動くことでより美しく見える衣装を創りあげた。

1919年。
ピカソの恋から生まれた造形美は、
バレエの舞台から街へ広がり、
流行のファッションになった。



8.コクトーの再戦

社交界のプリンスだった、ジャン・コクトー。

ロシア・バレエ団を率いるディアギレフに、
こんな言葉をかけられる。


ジャン、僕を驚かせてごらん。

20代前半だったコクトーは、
インドをテーマにした
Le Dieu Bleu(青神)という台本を書いた。

しかし、『青神』は、
豪華な衣装とメンバーにもかかわらず、
10回に満たない上演で忘れ去られる。

その5年後。

コクトーは再び、舞台に戻ってくる。
いまこの時代に生きている人、音、動きを
バレエにした「パラード」

作曲にサティ、衣装にピカソを迎えて
1917年に上演されたパラードは
初日から激しい怒号につつまれた。

ついにコクトーはディアギレフをびっくりさせたのだ。

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坂本仁 10年06月26日放送


松本清張

彼は、生涯で何百人もの人間を殺した。
また数多くの犯罪者を見つけた。

犯罪者の心の闇に焦点をあて、
人間の本質を見事に描いた小説家松本清張。

空前の執筆量
相次ぐベストセラー
そして所得番付では作家部門のトップになったが
文壇での評価は本の売れ行きとは反比例する傾向にあった。

でも、清張は気にしなかった。

「小説が面白すぎると批評家のけいべつを買うようだ」

そう語ると、また次の作品を書きはじめた。


クリントイーストウッド

世界的な俳優・映画監督、Clint Eastwood。
彼の名はアナグラムで
「懐かしい西部劇」を意味する「Old West Action」になる。

西部劇のスターからダーティハリー、
そして、反戦、非暴力を訴える映画監督へ
老いてなお映画の世界を開拓する現代のカウボーイは、
人生という荒野の歩き方を次のように教えてくれる。

I don’t believe in pessimism.
If something doesn’t come up the way you want, forge ahead.
If you think it’s going to rain, it will.

「思い通りに行かなくても先に進もう。
 雨になると思ったら本当に雨が降るものだ」


スクリスチャン・ルブタン

この世でいちばん官能的な靴とは?
その答えは、今、きっとクリスチャン・ルブタンだ。

鮮やかなレッドソール。
大胆なカッティング。
その独創的な靴のつくり方をルブタンは次のように語る。

「デザインしているときに、
思い浮かべるのはヌードの女性なんだ。
一番良いのはショーガールだね。
彼女たちは裸でヒールを履いているから。
服は僕の志向を邪魔するんだ」

ファッションではない
ましてやドレスの付属品でもない
そんな視点から靴を見る時代が来ているのかもしれない。


ピエルルイジ・コッリーナ

ゴールを決められるわけでもない、
キラーパスを出せるわけでもない。
にもかかわらず、
世界中のサッカーファンから世界一と評された男がいる。

ピエルルイジ・コッリーナ。

イタリアのサッカー審判員だった彼は
的確なレフェリングで多くの重要な試合を担当し、
5年連続でFIFA最優秀審判員に選出された。

コッリーナが審判の定年規定の45歳を迎えた時、
サッカー協会は彼の功績を認め、
特例として定年後も審判を続けてほしいと依頼した。

しかし、彼は次のように言った。

「審判はルールを守らせる存在だ。
だからわたしもルールに従うさ」と。

イタリアの審判2万5千人のうち
セリエB以上で審判をつとめるのはたった35人
優れた審判員になるのは、もしかしたら
選手になるよりむづかしいのかもしれない。


ポール・ウェルストン

あなたは自分以外の人すべてを敵に回しても、
自分の信念を貫けるだろうか。

アメリカの上院議員ポール・ウェルストンは、
2002年のイラク戦争決議の際、
ただ一人反対票を投じた。

誹謗中傷が毎日のように彼を襲い、
臆病者と多くの人に揶揄された。

反戦活動の志半ばで
しかも選挙活動のさなかに謎の航空機事故という
無念の死を迎えたウェルストン。
今、彼を臆病者と言う者はいるだろうか。


水木しげる

漫画家水木しげるは代表作「ゲゲゲの鬼太郎」で
本来ならば恐ろしい姿をしているはずの妖怪を
不思議なほど人間臭く描いている。

ねずみ男、猫娘、砂かけ婆
一反木綿に子泣き爺

欠点も弱点も充分すぎるほど持ち合わせている妖怪は
とぼけたユーモアがあり、子供たちにも愛された。

さて、そんな妖怪たちを紹介する
水木しげるの「妖怪画談」にはこんな言葉があった。

春はあけぼの。夏は化けもの。

おとぼけとユーモアは
水木しげる本人の持ち味らしい。


シュリーマン

可能性が0に近いことに挑むときは
どうすればいいのだろうか。
考古学者ハインリッヒ・シュリーマンが
その答を教えてくれる。

シュリーマンは
ホメロスの叙事詩が単なる神話でないことを
発掘によって証明した人物だ。

子供の頃に読んで感動したホメロスの叙事詩。
その物語の中にあるトロイア遺跡の存在を証明するために
シュリーマンはまず商社マンになり、財産を築いた。

42歳になるとすべての事業から手を引いて
考古学者になるための準備をはじめた。
2年間の世界旅行、そしてソルボンヌ大学へ入学。

トルコのヒッパロスの丘に最初の鍬を入れ
トロイア発掘に乗り出すのはシュリーマン48歳のとき。
そして3年後、
トロイアと、それより1000年も古い古代エーゲ文明の遺跡も発見してしまう。

目的を持った人生の道は
ゆっくり確実に歩けばいい。
シュリーマンの人生がそう語っている。

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石橋涼子 10年06月20日放送

セオドア・ヘスバーグ

1.父の役割 セオドア・ヘスバーグ

父親の役割は何だろう。

いつもはどっしり構えて、
いざというときに体を張って家族を守る?
定期入れに家族の写真を入れ、
毎日汗水流して働く?

牧師であり哲学者でもある
セオドア・ヘスバーグは、こう語る。


 父親が子どもたちのためにできることで
 一番重要なことは、
 子どもたちの母親を愛することである。

お父さん、
たっぷりお母さんを愛して
父の威厳を示しませんか。

今日は、父の日です。

福沢諭吉

2.父親の楽しみ  福沢諭吉

明治の啓蒙思想家であり学者でもある
福沢諭吉。

昔の偉人と言うと、
家庭を顧みないイメージを抱きがちだが、
諭吉はとにかく子煩悩だった。
9人の子ども全員の育児日記をつけ、
毎晩、一番小さい子どもと一緒に眠った。

寝付きの悪い娘が夜中に目を覚まして
眠れないと泣きついたとき、
諭吉は、天井をさして言った。


 ごらん、お月さまがお部屋にきてくれたよ。

それはストーブの煙突のために開けられた穴が
外の明かりを受けて丸く光っていたのだが、
娘は、小さなお月さまに見とれているうちに
眠りに落ちた。

教育者としてではなく、父として。
諭吉を動かしたのは、理論より愛だった。



3.父から息子へ レオポルト・モーツァルト

音楽界一の教育パパとして有名なのは、
あのモーツァルトの父、
レオポルト・モーツァルト。

幼い息子が音楽の才能を備えていることに気付いた彼は、
自分の出世も人生も捨てて、
息子の才能を開花させることにすべてを捧げた。

しかし、神童モーツアルトの成長に伴って、
教育者として、プロモーターとして
レオポルトにできることは少なくなる。

成人した息子にできることは、
父としてのアドバイスだけ。
仕事の相談から、生活のこと、
世間知らずな息子への叱責まで。

恋に盲目になった息子には、
「お前の手紙はまるで小説みたいだ」
と書いてさとし、
失恋した息子は、父に宛てて
「今はただ泣きたい」
と手紙を送った。

後に偉大な作曲家となったモーツアルトが
後世に残したのは、膨大な名曲たちと
数百通にわたる、父との手紙だったという。



4.ふたつの光 ジェームズ・サーバー

シニカルだけどあたたかいユーモアたっぷりな
短編を得意とした作家、ジェームズ・サーバー。
彼が残した言葉。


 光には2つある。
 ものを照らす鮮やかな光と、
 おおい隠すギラギラした光と。

確かに近ごろ、夜はあるが、闇は少ない。

今は、一年でもっとも夜が短い季節。
今夜は電気の代わりにろうそくを灯して、
暗闇を楽しんでみませんか。

J-WAVEは100万人のキャンドルナイトを応援しています。

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熊埜御堂由香 10年06月20日放送

忌野清志郎

5.おもしろい夜 忌野清志郎


 やってみようじゃないか。おもしろい夜になりそうだぜ。

ロックミュージシャン・忌野清志郎は言った。
2003年、はじめての「100万人のキャンドルナイト」で、
東京タワーのライトダウンイベントに誘われ、すぐさまOKした。

NGOナマケモノ倶楽部が日本ではじめたこのイベント、そのきっかけは
あるアメリカ人から1通の「おもしろい」メールが届いたから。
件名は「ひとりひとり暗闇で手をつなごう」。

ブッシュ元大統領の石油エネルギー政策に抗議する
そのメールは世界中に転送された。
それは声高に環境保護を訴えるものではなかった。
夏至の日の夜、電気を消し、暗闇の時間を自分の感性で
楽しもうというメッセージ、だから世界に広がった。

そして今夜は8年目のキャンドルナイト。
静かな闇の中だから浮かんでくる気持ちが
誰の中にもあるはず。

清志郎も歌っていた。


 暗い暗い夜はいつでも
 甘い甘い夢が暖めてくれるさ。

ウィルヘルム・ブッシュ

6.父にならなかった男 ウィルヘルム・ブッシュ


 父親になることは難しくないが、
 父親であることは極めて難しい。

近代漫画の始祖と言われたドイツ人
ウィルヘルム・ブッシュは言った。

1865年にブッシュが発表した絵本、
「マックスとモーリッツ」は、
ふたりのいたずら小僧が主人公だ。
ブラックユーモアに満ちた内容で、
最後にはふたりは臼で潰されて、
アヒルの餌にされてしまう。

気難し屋のブッシュは生涯独身だった。
父親らしくあること、その難しさを
躊躇せずに、彼が父親になっていたら?
常識破りの面白い親父になっていたかもしれない。



7.父の存在 日本中のおとうさん

ある小学校6年生がこんな詩を書いた。


 おとうさんのあとに風呂にはいった。
 底にすこし砂があった。ぼくたちのために働いたからだ。

おとうさんが家族を守っている。
いつもは目に見えないその事実に、
思いがけず、気づく瞬間がある。

口に出して言ってみる。
おとうさん、ありがとう。
今日は、父の日。



8.出生の秘密 ジョン・ブルース・ドット夫人


 母の日はあるのに、どうして父の日はないんだろう。

1909年、アメリカ。
ジョン・ブルース・ドット夫人という女性が、
ふと思った。
前年に母の日が設立されたばかりだった。

ドット夫人の父は、男手ひとつで6人の子どもを育てた苦労人。
ひとり娘のドット夫人は特に可愛がられた。

亡き父のため、「父親を尊敬し、称え祝う日」の設立を聖職者同盟に嘆願。
そして、7年後の1916年に「父の日」は設立された。

けれど母の日は1914年には、祝日になったのに、
父の日は、なかなか昇進できず、約60年後の
1972年にようやくアメリカで祝日になった。

ひとり娘が父を想い、
苦節の末、誕生した父の日という祝日。
母の日の2番煎じか、
なんて、へそ曲げないでね、お父さん。

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小宮由美子 10年06月19日放送


アルゼンチンの人々

観客も、ピッチに立っている。

78年のワールドカップ。
地元アルゼンチンは、オランダとの決勝戦に勝ち進み、
スタジアムの熱気は最高潮に達していた。

しかし、試合終了間際に同点ゴールをゆるし、
手中にしかけていた優勝は、一気に遠ざかる。

沈む選手たちを鼓舞したのは弱冠34歳の監督、メノッティの言葉だった。

「回りを見渡してみろ。
 われわれは8万人、相手はたったの11人じゃないか!」

選手たちの顔に、輝きが戻り、
ベンチのあちこちから、自然に声があがった。

延長戦、アルゼンチンは2つのゴールを叩き出し、
オランダを圧倒。
国中の人々と、勝利の美酒に酔いしれた。


バッジョ

イタリアが生んだサッカーの至宝、
ロベルト・バッジョ。

彼がスーパープレイヤーだからこそ、
94年のワールドカップ決勝戦でのPKの失敗は、衝撃的だった。

98年、ワールドカップ準々決勝。
ふたたびPK戦にもつれこんだイタリア。
最初のキッカーとなったバッジオは、
4年前の悪夢を振り払うかのように、ゴールを決める。

だが、歴史は繰り返す。

最終キッカー、ディビアッジョが、PK失敗。イタリアは敗北した。

そのとき、誰よりも先にディビアッジョに駆け寄ったのが、バッジョだった。

 「PKを外すことができるのは、
 PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

成功も、失敗も知っているバッジョの言葉は
いまも重く響く。


スコットランドの人々

ワールドカップ。
数々のドラマが生まれる夢の舞台で、
人々に感動を与えるのは、勝者だけではない。

スコットランド・グラスゴーにあるパブ
『アイアンホース』の壁に掲げられたサッカーユニフォームには、
次のような言葉が書かれているという。

 スコットランド、
 我々のもっとも大きな誇り、
 それは決して倒れないことではない
 倒れるたびに起ち上がる、
 それが誇りだ

数々の激闘を繰り広げ、負けてもなお、挑み続ける。
その選手たちの姿こそが、
祖国の人々の魂をふるわせ、明日への力を与えている。


ワールドカップ。

ごく一握りの、選ばれた者だけにゆるされた最高の舞台。

そのピッチに立つ選手たちの矜持を、
かつてイングランド代表のストライカーだった、
アラン・シアラーの言葉があらわしている。

「イングランド代表の白いシャツは、お金では買えない」

祖国への誇りを胸に戦いに挑む、
すべての選手に、幸あれ。


ペレ

 「泣かないで、お父さん」
 
1950年、地元ブラジルが
まさかの逆転劇で優勝を逃した、ワールドカップ最終戦。
いわゆる、「マラカナンの悲劇」。

打ちひしがれ、涙を流す父親に、9歳の息子は、こう言ったという。

 「泣かないで、お父さん。
 僕が大きくなったら、ワールドカップをとってあげる」

8年後。
17歳になった少年は、本当にワールドカップの舞台に立ち、
5本のシュートを決めて活躍。
ブラジルをワールドカップ初優勝へと導き、
父親との、あの日の約束を現実にした。

少年の名は、ペレ。

その後、ブラジルを3度の優勝へ導いた、
サッカーの歴史に名を刻む英雄。

ワールドカップは、たくさんの夢物語を生む。

未来の英雄は、今年も
世界中の街のどこかで誕生しているかもしれない。

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RDOで「中村直史」を検索すると

RDOは、いままで番組を書いてくださったコピーライターの
番組と仕事を紹介するHPです。

そこで「五島のはなし」でおなじみの中村直史」を見てみましょう。
上のバーのArchivesの<コピーライターで探す>から
アイウエオ順にさがしていいですし
Archivesのページ左には検索の窓もあります。

無事にさがすことができたら
http://www.01-radio.com/archives/2980
下の写真のようなページになるはずです。

「Vision」「TCS」「CM一覧」など
さまざまなボタンがついています。
お好きなボタンをクリックしてください。
あいつはどんな仕事をしているのかしら、と興味を持ったときに
大変便利です。
Visionのメンバー全員が載っています。

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中村直史 10年06月13日放送



登場人物たち/ホールデン・コールフィールド
(JDサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』)

この小説の主人公は、自分なのではないか。
生きた時代も、場所も違う。
へりくつの多い困ったヤツなのに、
やっぱり自分と同じような気がしてしまう。

60年以上もの間、
世界中の人をそんな気分にさせてきた少年、
ホールデン・コールフィールド。
小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公だ。

ホールデン少年は、やりたい仕事について夢想する。
それはお医者さんとか、パイロットとか
そういったたぐいのものではない。

たくさんの子どもたちが駆け回る
広いライ麦畑で、ただただ、子どもたちを守る仕事。

僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、
その子をつかまえることなんだ。

2010年1月、「ライ麦畑でつかまえて」の作者
サリンジャーは、91歳でこの世を去った。
けれど、ホールデン少年は年をとることもなく、
世界中の人の心の中で生きつづけている。



登場人物たち/混沌
(中国に伝わる神話)

中国に伝わる神話に、
こんなお話がある。

地球がまだ赤ん坊だったころのこと。
「混沌」という名前の神さまがいた。

混沌の顔は
のっぺらぼうだったため、
これはいけない、と思ったほかの神さまたちが
目、鼻、口となる
5つの穴を、その顔に開けた。
すると、そのとたん、混沌は死んでしまった。

自然に手を加えてはいけない
と読み取るか。
自然に手を加える誘惑から逃れることはできない
と読み取るか。

混沌は、私たちに、
何を伝えようとしているのだろう。

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三島邦彦 10年06月13日放送



登場人物たち/パン屋さん
(レイモンド・カーヴァー『ささやかだけれど、役に立つこと』)

名前を持たない登場人物が、
世界を少し救ってくれることもある。

アメリカの作家、レイモンド・カーヴァーの小説
『ささやかだけれど、役に立つこと』。

そこに登場するパン屋さんが
子どもをなくしたばかりの夫婦にこう言った。


 こんなときには、ものを食べることです。
 それはささやかなことですが、助けになります。

パン屋さんは、作ったパンで、世界を助けている。



登場人物たち/ハムレット
(シェークスピア『ハムレット』)

生きるべきか。死ぬべきか。

悩み多き青年ハムレット。
シェークスピアが描いたこの有名な主人公は、
自分の身の振り方を悩んでいるだけではない。

劇中、ハムレットは旅芸人に演劇論を語る。
そのセリフの中には、
この『ハムレット』を演じる世界中の役者たちへの演出ともとれる言葉が
含まれている。


 動作をセリフに合わせ、セリフを動作に合わせるのだ。
 その際特に注意すべきは、自然の節度を越えないこと。
 何であれやりすぎれば、芝居の目的に反する。

自分がどう演じられるのかまで心配をする。
ハムレットの悩みは、深い。



登場人物たち/ヴラジミール
(サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』)

ドラマティックな仕事。
ドラマティックな友情。
ドラマティックな恋愛。

ドラマのような出来事なんて、そうめったには起こらない。

けれども、主人公が最初から最後まで退屈をし続けるドラマも、この世にはある。

ノーベル賞作家、サミュエル・ベケットは、最初から最後まで
暇をもてあます二人の劇を描いた。

それは、演劇の世界に、不条理劇という新しい概念をもたらす静かな革命だった。

演劇『ゴドーを待ちながら』。
主人公ヴラジミールとエストラゴンは、ただひらすら、ゴドーという人物を待ち続ける。
そして、ゴドーは結局最後まで現れない。

ヴラジミールは言う、


 運悪く人類に生まれついたからには、
 せめて一度ぐらいはりっぱにこの生き物を代表すべきだ。どうだね?

ヴラジミールとエストラゴン。
この二人の登場人物は、今日も世界のどこかで、
人類を代表して暇をつぶしている。



登場人物たち/ジュリエット
(シェークスピア『ロミオとジュリエット』)

数え切れない物語があって、
数え切れない登場人物たちがいる。
彼らは数え切れない恋をする。
けれど、恋する主人公の女性代表は、今も昔もジュリエット。


 おおロミオ!どうしてあなたはロミオなの?

 名前が一体なんだろう?
 私たちがバラと呼んでいるあの花の、名前がなんと変わろうとも、
 香りに違いはないはずよ。

恋におちると、人は哲学をはじめる。
どんなに若い二人でも。

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三國菜恵 10年06月13日放送



登場人物たち/源静雄
(藤子・F・不二雄『のび太の結婚前夜』)

夜、ひとりでいると、
さびしさがふっと訪れる。

源静雄(みなもとしずお)は、
結婚式を明日にひかえ、
自分と離れることをさみしがる娘にこう言った。


 少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさ。

娘に言っているのか、
自分に言っているのか、わからなかった。

次の日、娘は、おさななじみの、のび太くんと結婚した。



登場人物たち/安倍昌子
(いくえみ綾『私がいてもいなくても』)

人気漫画家・いくえみ綾(りょう)が描いた
「私がいてもいなくても」。
その主人公、18歳の安倍昌子(あべしょうこ)は
タイトルを体現したような女の子だ。

昌子は偶然再会した同級生・真希の仕事を手伝うことになる。
フリーターの自分。売れっ子漫画家の彼女。
サイン会でたくさんの人が押し寄せる中
昌子は思う、
真希がまぶしい。自分にはなんもない。

二人は大きなケンカをした。
そして気づく。

昌子は真希の才能がうらやましかった。
真希は昌子の明るさがうらやましかった。
昌子は思う、


 私は 欲しいものだらけだったけど
 知らないうちに
 誰かに 何かを
 与えているのかもしれない

「私がいてもいなくても」
なんて思っている人は、きっと間違っています。

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