2010 年 7 月 23 日 のアーカイブ

小山佳奈 10年07月24日放送


芥川龍之介 才能

大きな鼻に悩むお坊さんの話とか、
芋粥をいつもの量の3分の2しか
食べられなかったお役人の話とか。

芥川龍之介が取り上げるテーマと言ったら
どうでもいいことばかり。

同人たちもいぶかしむ
芥川龍之介の才能を見つけたのは
文壇の神様、夏目漱石だった。

「みんなの言うことには頓着せず
ずんずんお進みなさい。
大丈夫。
外れたら僕があやまります。」

神様の通行証をもらった芥川は
作家の道を軽やかに歩き始めた。


芥川龍之介 初めての原稿料

初めての給料は
誰にとっても感慨深い。

大作家、芥川龍之介だって
それは例外ではない。

初めて文章でお金をもらったのは
芥川、25歳のとき。

原稿料が届く日の朝、
はやる気持ちを抑えきれず
友人と玄関の前で待ち構えていた。

「1枚1円なら12枚で12円だ。」
「いやいや18円はあるだろう。」
「じゃあ8円おごれよ。」

届いた振替用紙を開けると
そこに書かれていたのは
「3円60銭」。

友人は何も言わずに
芥川の肩を叩いた。


芥川龍之介 イメージ

芥川龍之介は、気を遣う。

腰は低いし、手紙はマメに書くし
訪ねて来た人にはいちいち食事をふるまう。

彼が企画した本が売れなかったときも
その本に参加した120人の作家たちに
自分のお財布から三越の商品券を配った。

そこには冷やかで懐疑的な
孤高の天才のイメージはどこにもない。

寂しがり屋で、やさしくて。
人間、芥川龍之介がそこにはいる。


芥川龍之介 塚本文

バルタザールもイエーツも
文ちゃんは知らなかった。

でも芥川龍之介にとっては、
彼に熱狂する文学かぶれのめんどくさい女子なんかより
文ちゃんと一緒にいた方がよほど安らいだ。

芥川が文ちゃんに送ったプロポーズの手紙は
簡潔で素直で美しい。

「僕のやっている商売は
 日本で一番金にならない商売です。
 うちには年寄りが3人います。
 
 理由はひとつしかありません。
 僕は、文ちゃんが好きです。
 それだけでよければ来てください。」
 
そんな熱い想いで結婚したはずなのに
その後、文ちゃんじゃ物足りなくなって
文学少女を好きになってしまう芥川。

仕方ないですね、
男というものは。


芥川龍之介 子供

芥川龍之介には、
3人の子供がいる。

彼らの名前はみな、
親友からもらった。

長男、比呂志は、菊池寛。
次男、多加志は、小穴隆一。
三男、也寸志は、恒藤恭。

「芸術家だけにはするな」

それが芥川家の唯一の教育方針。
しかし、子どもたちはそれを無視して
音楽家となり、役者となった。

子どもという作品だけは
思うようにいかない。


芥川龍之介 嫉妬

芥川龍之介は、嫉妬する。
志賀直哉という人物と
彼の書く天衣無縫な作品に
憧れ、脅威した。

芥川は志賀にある時こう言った。

「芸術というものが
本当にわかっていないんです」

芸術に終わりはない。
自分で自分を終わりにしない限り。


芥川龍之介 最期の言葉

83年前の今日、
芥川龍之介は自殺した。

彼が最期に遺したと言われる言葉は
あまりにも有名だ。

「将来に対する漠然とした不安」。

でも実は漠然となんかじゃない
もっとたしかな不安がたくさんあった。

親友の発狂。義兄の自殺。
借金。家族内の不和。
そして、文壇のやっかみ。

そんな現実的な数々に体の不調も重なって
彼はやっぱり死ぬしかないなと思った。
そうして彼は睡眠薬をたくさん飲んだ。

亡くなった夫を最期に送り出す時
妻の文ちゃんはこういった。

「お父さん、よかったですね。」

文ちゃんだけは
何もかもわかっていた。

今日は、河童忌。

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