伝統を守ることが大切と思うなら、
ひとに愛され、使われ続けなければならないと思う。
甲府で400年近くつづく印伝屋、
十四代 上原勇七(ゆうしち)の話をきいて、
不易流行ということばを思い出した。
不易流行を、やさしくいうなら
変わらずに、変わること。
東京・青山にある直営店の商品を手に取ると
しっかりとした鹿革にトンボ柄に、繭玉模様。
古典柄でありながら、21世紀の印伝は、
なんと新しくモダンで、しゃれて見えることだろう。
新作をひとつ、求めると、
「この商品の感想は、
10年たってからお聞かせください」
財布に小袋、ペンケース
店に並ぶ商品を買う人、使う人も
また、伝統の一端を担っている。
経験がなくても、
弟子入りしなくても、
ひとは、成功できる。
神奈川県大和市の郊外にある、
ラーメン「中村屋」のオーナー
中村栄利(なかむらしげとし)が、それを証明してくれている。
22歳ではじめた店は、
いまや最高7時間待ちの超人気店に。
研究への原動力は、
もっとうまいラーメンをつくりたい、ただそれだけ。
中村は、あるとき確信する。
「自分は、ひとより嗅覚が鋭い」
成功の理由は、それだけではないかもしれない。
けれど、自分の強みを知っているひとは、
成功するチャンスをつかむ資格が、きっとある。
人工的なコンクリは、土に戻らない。
なのに、寿命は短い。
土蔵は、二百年以上もあるというのに・・・。
コンクリでなく、土がやりたい。
左官職人、挾土秀平(はさど)は、
土壁に夢中になって、
気づけば日本一有名な左官屋になってしまった。
挾土にとっては、それが悩みだった。
有名になるほど、作るものが
作品になってしまう。
挾土は、職人でいたいのだ。
女性演出家、残間理恵子(ざんまりえこ)は
こうアドバイスした。
職人か、作家か、決めるのは世の中。
挾土は、どろんこになって、
今日も土壁と格闘している。
その仏像はひと目見ただけでため息が出る。
やわらかな木肌、繊細な陰影。
慈愛という言葉を目の当たりにした感覚をおぼえる。
その仏像の作者は仏師、松本明慶(みょうけい)。
彼は、仏像を彫るのではなく「仏を呼ぶ」という。
それは木に宿っている仏さまを、取り出し
現世に迎えいれること。
自分は彫ることで、仏様に生かされている。
それが松本明慶の現在の境地。
松本明慶の師、宗慶は
鎌倉時代の名仏師、運慶・快慶から伝わる
800年の秘伝を明慶に伝えたが
同時にこんなことも言った。
すこし天狗になりなさい。
それがいちばん上手くいく。
難しいけれど、
なにごとも、良い案配、ということ。
2006年、トリノ五輪の
金メダリスト荒川静香は、
5才でスケートをはじめた。
すぐに天才と呼ばれた彼女だが、
家はごくふつうの、サラリーマン家庭。
衣装の多くは、母の手作り。
子どもにスケートを続けさせることが
どれだけたいへんなことか、
彼女は、肌で知っている。
プロデビューとなった、
最初のアイスショーは
その収益の一部をチャリティにした。
もちろん、スケート界へ。
「金メダルのひと」より、
「イナバウワーのひと」でいたい。
荒川静香は、
大好きなスケートと、生きている。
もっと人間をよくしたい、
仕事をよくしたいと思うなら。
自己啓発やビジネス書なんかより
ずっとためになる、良書がある。
宮大工 西岡常一さんの残した
「木のいのち 木のこころ」。
西岡さんは、先祖代々、
法隆寺に使えてきた宮大工。
宮大工という仕事に誇りを持ち
使命感を持ってひとを育て、
技術を体で伝えてきたひとだ。
この本には、
西岡さんが宮大工の棟梁として
当たり前にしてきたことが、書いてある。
けれど、強く、深く、こころに届く
私たちの宝物になる言葉ばかり。
一三〇〇年前に建てられ
いまも建立時の美しさを保つ法隆寺。
西岡さんは、その法隆寺から学んだこと、
機械やネットや学校が
教えてくれないことを、
私たちに、伝えてくれている。
輪島に生まれた漆工芸家、
角偉三郎(かど いざぶろう)は、
工芸界の革命児と呼ばれた。
角は、手袋をして触る美術品の漆工芸ではなく
いきた生活の中にある器を、生涯問い続けた。
近寄るだけでかぶれるという漆を
角は、素手でたっぷりとって椀に塗る。
その作品は、無骨で、力強く、体温がある。
輪島にいて、輪島にない生き方をしたい。
魅力的な作品は、きっと
魅力的なひとからしか、生まれない。