三島邦彦 10年08月15日放送
あの人の、8月15日。/吉田秀雄
1945年8月15日、正午。
とある広告会社のオフィスビル。
ラジオで終戦の報せを聞き、
落胆する社員の中で、一人の男が叫んだ。
これからだ。
男の名前は吉田秀雄。
当時、その会社の常務だった。
後にラジオの民営化に尽力することとなる。
戦争のための宣伝から、経済のためのコマーシャルへ。
新しい時代に向け、
彼はまず、オフィスの掃除を始めた。
あの人の、8月15日。/下村宏
終わりを告げたのは、ラジオだった。
65年前の今日、
1945年8月15日正午
ラジオから流れる昭和天皇の声が、
日本国民に終戦を告げた。
いわゆる「玉音放送」。
この放送を実現させたひとりの男がいる。
当時の内閣国務大臣、下村宏。
新聞社に勤めていた頃から
講演のためラジオに度々出演していた下村は、
当時最大のマスメディアであった
ラジオの力を実感していた。
戦争が終わった。
その結末を国民に伝えるには、ラジオしかない。
そう思った下村は、天皇に進言し、許可を得る。
ポツダム宣言受諾後、すぐさま天皇の声を録音、
放送までの実務を取り仕切った。
史上最も国民に衝撃を与えたラジオ放送は、
こうして実現した。
あの人の、8月15日。/清川妙
作家の清川妙は、
山口市にある実家で、
終戦を告げるラジオを聞いた。
その日のことを、こう語っている。
ああ戦争が終ったんだという気持ちだけでした。
でもその晩はうれしかったですね。電気をあかあかと点けてもいいし、
カーテンも開けてよくなりましたから。
戦争は、比喩ではなく、人々から光を奪っていた。
とても安堵できる状況ではなかったけれど、
ひとまず、明るい夜が戻って来た。
あの人の、8月15日。/羽田澄子
その日、中国の大連市にも玉音放送は流れた。
満州鉄道の中央試験所のラジオの前には、
後に映画監督になる、羽田澄子がいた。
初めて戦争ってやめることができるのだ、
やめるという選択肢があったのだと知りました。
だって生まれたときから戦争していて、
平和のためには戦わなくてはいけない、
結論がでるまでずっと戦争をしているのだと思い込んでいたのです。
人間がはじめることは、人間が終わらせることができる。
そのことに、やっとみんなが、気がついた。