佐藤延夫 10年09月04日放送


異色のひと/モラエス

ラフカディオ・ハーンが来日した数年後、
ひとりのポルトガル人が神戸の町に降り立つ。

ヴェンセスラウ・デ・モラエス。

ポルトガル領事館の日本総領事長を務め
「日本通信」という本を発表したが、
ハーンほど有名にはならなかったし、
もてはやされることもなかった。

最愛の人、おヨネが亡くなると
彼女の故郷、徳島で暮らし始める。
そびえ立つ眉山と自然の美しさに惹かれたのだろうか。
こんな言葉を残している。

  立ち並ぶ木々の茂み、轟音をあげて鳴る珍しい滝、
  囁く小川、美しい田畑で飾り立てたふんだんに緑また緑の風景・・・

いつも和服姿で正座をしていたポルトガル人は、
島国の小さな町で、
緑の中に溶けていった。


異色のひと/尾形亀之助

宮沢賢治の生まれた4年後、
尾形亀之助は、産声をあげた。

どちらも東北出身で
病気に悩まされ
若くして亡くなったが、
ふたりとも詩人だった。
亀之助は、有名になろうとも
金持ちになろうともしなかった。

これは、「ある来訪者の接待」という作品の一説。

  どてどてとてたてててたてた
  たてとて
  てれてれたとことこと
  ららんぴぴぴぴ ぴ
  とつてんととのぷ
  ん んんんん ん

  てつれとぽんととぽれ

世捨て人のように暮らした亀之助が紡ぐ言葉は、
常人の理解を遥かに超えている。


異色のひと/鈴木紀夫

世界50カ国を放浪した青年は、
1974年、フィリピンのルバング島に渡った。
残留日本兵、小野田寛郎(ひろお)を探すために。

冒険家、鈴木紀夫、24歳。
小野田さんを日本に送り届けたあとは、
雪男を探そうと思った。
何度もヒマラヤを訪ねたが、
世間をあっと言わせる証拠は見つけられず、
苦しい胸の内を明かす。

  早く雪男の件は片づけたいのに、神様はどうして助けてくれないのだ。
  神は、この俺の運命を如何に決めてあるのだ。

そして六度目の雪男探索のとき、
雪崩に遭い帰らぬ人となった。

慰霊のためヒマラヤを訪れた小野田さんは、
彼のことを、友と云ったそうだ。


異色のひと/菅野力夫

現存する明治、大正時代の絵はがきには、
時折、髭ぼうぼうの痩せた男が写っている。
彼こそが、世界探検家、菅野力夫だ。

明治44年から、のべ8回も世界探検旅行に赴き、
そのたび、新聞に大きく取り上げられた。

足跡は全て写真で残されている。
スマトラ島では酋長の格好をし、
満州ではラクダに跨がり、
ビルマでは象の前で腕を組み、
ブラジルではアリ塚の上に立ち、
ペルーでは頭蓋骨を持ってポーズをとった。
それが全て、絵はがきにプリントされた。

テレビなどあるはずもなく、
ラジオも新聞も今ほど普及していない時代では、
絵はがきが最大級のマスメディアだった。

世界探検旅行を経験し、
彼が何を語ったのか。
その真実は謎に包まれている。
だけど、
どれほど楽しかったのか。
それは数々の絵はがきが、雄弁に語っている。


異色のひと/熊谷守一(くまがいもりかず)

トレードマークは、
仙人のような長く白い髭。
明治生まれの画家、熊谷守一は
いい絵を描こうとも、有名になろうとも思わなかった。
絵を描くのは、気が向いたときだけ。
知人に金を借りては、千駄木や東中野の借家を転々とする。

絵が売れるようになったのは晩年のことで、
文化勲章も全て辞退した。

  お国のために何もしたことないから。

身の回りだけを見つめ、
自由に、気ままに生きて、97歳で目を閉じた。

  下手も絵のうち。

画壇の仙人と言われたが、
まさに生き方も仙人なのである。


異色のひと/五寸釘の寅吉

人並み外れた運動能力は、
スポーツ以外にも生かされることがある。
たとえば、刑務所からの脱獄。

明治時代の囚人、西川寅吉は
脱獄を六度も重ねた。
濡れた囚人服を壁に叩きつけ、
一瞬の吸着力を利用して壁を乗り越えたという。

盗みに入った質屋では
逃亡する際に五寸釘を踏み抜いたが、
そのまま12キロも逃走し、
五寸釘の寅吉と呼ばれるようになった。

世間を騒がす痛快なアンチヒーローは、
このご時世、なかなか現れにくいようだ。


異色のひと/大上宇市(おおうえういち)

11月になると
赤い小さな実を付けるコヤスノキは
トベラ科の常緑樹で、
日本では兵庫県の一部と岡山県の東部でしか生きられない。
この珍しい植物を発見したのは、
明治時代の博物学者、大上宇市だった。

農業の現状を知らない都会の学者を
名指しで批判する武骨な男だったが、
牧野富太郎とは親交を深めた。
ふたりとも学歴に乏しく、学会から冷遇されたせいかもしれない。

  秋空晴れて日は高し
  今こそ我等の散歩時
  芒(すすき)は野道に招くなり
  小鳥は森によばうなり
  よばう小鳥は何々ぞ
  雀 山雀(やまがら) もず 鶉(うずら)

こんな自作の歌を口ずさみながら、
野山をねり歩いた。
村人には、ヒマ人が来たと疎まれたが、
やがてその研究内容が評価され、郷土の英雄となった。

ひとつの道に通じていれば、いつか必ず花開く。
そんなメッセージが込められているようでならない。

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