渋谷三紀 10年09月25日放送
蒸し暑い街の風景を涼しげに彩るシースルー・ファッションを
はじめて世に送り出したのは、イヴ・サンローラン。
1968年に発表した、モデルのからだが透けて見える黒いドレスは、
保守的なパリのファッション業界から激しい非難をあびた。
しかし彼は、
ヌード以上に女性らしい美しさを引き出すシースルーの魅力を
誰より早く見抜いていた。
ファッションとは生き方である。
と語ったサンローランは、
自分の意思でファッションを、そして生き方を選びとる自由を
女性たちに与えようとした。
それはつまり、女性が女性らしく、自分らしく生きる時代の幕開けだった。
アメリカの億万長者として名高い
ヒルトン一族の令嬢パリスは
お騒がせセレブとして知られている。
このパリスの発言が
イギリスの由緒正しい引用句辞典に掲載されたのは
去年のことだった。
どこへ行くにもかわいらしく着飾りなさい。
人生は短すぎてすべてを着られないんだから。
パリスの言葉は
オスカー・ワイルドやホーキング博士の言葉と並んで
堂々と胸を張って見える。
100年後、パリスのお騒がせ事件の数々を知らないまま
これを読む人は何を感じるだろう。
それが知りたい。
永遠の妖精、オードリー・ヘップバーン。
そのエレガントな美しさのいくらかは、
衣装を担当したジバンシーがつくりだした、
といっていいだろう。
ふたりの出会いは
ジバンシー26歳、オードリー24歳のとき。
約束の場所に現れたオードリーを見て、
ジバンシーは思った。
ショートヘアで化粧っけのない、
少年のようにやせっぽっちの女の子。
ジバンシーは、オードリーでなく
当時彼女より有名だった
キャサリン・ヘップバーンが来ると誤解していたのだ。
お互いの存在なしでは、
世界的女優と世界的デザイナーになれなかったふたりの歴史が
誤解と落胆からはじまったなんて、おもしろい。
1982年、コムデギャルソン、
初めてのパリコレクション。
デザイナー川久保玲は、
喪服のような黒で
女性のからだのラインを覆い隠すスタイルを提案。
賛否両論の嵐を巻き起こし、
その事件は「東からの衝撃」と呼ばれた。
川久保はいう。
新しいものは、半分の人がノーと言うし、
そうでなくては新しくない。
強烈に求められるか、拒絶されるか。
決して無視できない、まったく新しい価値をつくることが
自分の仕事だと考えている。
それ以降、ファッションの世界で、
川久保は革命を起こしつづけている。
もっと正しく言えば、
川久保の存在自体が、革命でありつづけている。
世界のあらゆるファッションショーで、
最前列を約束されている女性がいる。
金髪のボブカットにサングラスがトレードマークの
米国版「VOGUE」編集長、アナ・ウィンター。
映画「プラダを着た悪魔」のモデルとしてあまりに有名。
彼女のもうひとつの顔は
ファッションブランドに新しい才能を紹介するコーディネーター。
ルイ・ヴィトンに、マーク・ジェイコブスを。
クリスチャン・ディオールに、ジョン・ガリアーノを。
アナ・ウィンターはモードの流れを追うだけでなく
自らモードの未來をつくりだしている。
そして、アナ・ウィンターはこんな意見を言う。
ファッションとは、先を見ること。
映画『乱』の衣装デザインで
日本人女性初のアカデミー賞を受賞した、ワダ・エミは、
自分にとって、衣装はことばです。
と語る。
京都で育った子ども時代、何気なく見ていた
古い絵画、彫刻、建築、神社の鳥居の形が
自分のデザインの基本にあるという、ワダ。
衣装という世界共通語にのせて、
73歳になったいまも、
日本の文化の美しさ、奥深さを世界に伝えつづけている。
ファッションことば⑦
キャリー from 「SEX AND THE CITY」
キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロット。
NYで生きる4人のキャリアウーマンの
友情を描いたSEX AND THE CITYは、
世界中の女性の心をつかみ、
2度も映画化された大ヒットドラマ。
中でも主人公キャリーのハイセンスな
ファッションは常にアツイ注目を集め、
彼女が身に着けたものから、
次々とトレンドが生まれていった。
オシャレは足元から、とばかりに、
クローゼットに入りきらないほど
お気に入りの靴を並べて、彼女はいう。
シングルウーマンの道は平坦ではないから、
歩くのが楽しくなるような靴が必要なの。
なるほど。
ファッションと同じように、
女心にも国境はないようです。