坂本仁 10年10月03日放送
①ジョゼ・モウリーニョ
自分が世界一の監督だとは思わない。
しかし、私以上の監督がいるとも思わない。
そう語るのは、サッカー監督・ジョゼ・モウリーニョ。
ポルトガル、イングランド、イタリアでリーグ戦を制し
チャンピオンズリーグの優勝も勝ち取っている。
モウリーニョには、他の監督が持たない能力がある。
6カ国語を話せるというコミュニケーション能力である。
自ら「私は三流の選手だった」と語る彼は、選手を引退後、
語学を勉強し、さまざまなクラブチームで通訳として働いた。
その過程で世界のスター選手たちとコミュニケーションする
語学力が育っていったのである。
三流選手であったことが、
モウリーニョを超一流の監督にしたのかもしれない。
②ロバートキャパ
20世紀を代表する戦場カメラマン、ロバート・キャパ。
数多くの戦争の第一線に飛び込み、
戦争の悲惨さを痛烈に訴えつづけた。
ロバート・キャパの有名な写真に「崩れ落ちる兵士」がある。
兵士が頭を撃たれて倒れる決定的瞬間を記録したその写真は、
インパクトがありすぎて、
やらせではないかと疑われたほどであった。
戦争写真家のいちばんの望みは、失業することだ。
そう語るロバート・キャパは、
ベトナム戦争の取材中に地雷に触れて死亡した。
カメラを手にしたままだった。
③ディオゲネス
古代ギリシアのコリントスに高名な哲学者が住んでいた。
その哲学者は質素を好み、禁欲生活を送っていた。
ある日、その哲学者が家の前で横になってひなたぼっこをしていると、
当時絶大な権力を保持していたアレクサンドロス大王が
数名の供を連れてたずねてきた。
王もまた、その哲学者を尊敬するひとりだった。
王は哲学者の前で言った。
余はマケドニア王アレクサンドロスである。
ディオゲネスよ、望みを一つ言え。
いくらかかっても構わぬ。
しばし考えた後、その哲学者は言った。
そこに立たれると日陰になるからどいてくれ
その哲学者の名は、ディオゲネス。
彼は、人生にとって大事なのは物質的なものではなく、
心の豊かさだと考えていた。
④ブルーノ・ムナーリ
美術作家ブルーノ・ムナーリは語る。
子どもの心を一生のあいだ自分の中に持ち続けるということは、
知りたいという好奇心やわかる喜び、
伝えたいという気持ちを持ち続けることだ。
彼の作品を知る人々はこの言葉に
あっ、そうかと納得する。
持ち運んだり箱に詰めたりできる彫刻。
質感の違う紙を使ってつくった、指先で感じる絵本など
ブルーノムナーリの作品は「鑑賞する」というより、
「遊ぶ」という言葉がピッタリなのである。
⑤カエサル
賽は投げられた。
重大な決定を下し物事が動きだしたという意味で引用されるこの言葉は、
誰しもが知っているユリウス・カエサルの言葉だ。
カエサルは他にも有名な引用句を残している。
「来た、見た、勝った。」
「ブルータス、おまえもか。」
あまりに有名なこの言葉とは逆に、
ほとんど知られていないこともある。
それは、カエサルが現在の本の原型を発明したことだ。
巻物からページをめくる冊子へ。
この発明のおかげで
我々は電車のなかでページをめくりながら
カエサルのガリア戦記を読むことができる。
⑥ウルリッヒ・インダービネン
一年中白銀の雪を冠するアルプスの女王マッターホルン。
4000m級の山々が連なるスイス・アルプスの女王と言われている。
そのマッターホルンには伝説のガイドがいた。
ウルリッヒ・インダービネン。
370回以上もマッターホルンに登り、
96歳まで現役のガイドでありつづけた。
ウルリッヒ・インダービネンは
アルプスの王と呼ばれていた。
垂直の壁を持つ女王も
王である人の前ではやさしくおとなしかったのだろうか。
⑦野依良治
分子とか、モルとか、エントロピーとか
そんな言葉を聞いただけで、
難しくて頭が痛くなってしまう人は多い。
けれど2001年にノーベル化学賞を受賞した
野依良治は次のように言う。
有機化学は麻雀よりも面白い。
そう、
医薬品の製造などに絶大なインパクトを与えた
野依良治の業績の最初の一歩は
面白いと思うことからはじまったのである。