星野哲郎
11月15日、
作詞家・星野哲郎が亡くなった。
85歳だった。
告別式で、
歌手の水前寺清子は、
生前に星野から託された
未発表の詩を読み上げた。
詩の冒頭は、こう始まる。
あけみちゃんてば あけみちゃん
再婚しようよ 天国で
それは16年前に先に亡くなった
妻へ伝える、
情感あふれる詩だった。
アーネスト・シャクルトン1
20世紀の初め。
ロンドンの新聞に載った広告が
話題をさらった。
探検隊員求む。至難の旅。
わずかな報酬。極寒。暗黒の長い月日。
絶えざる危険。生命の保証無し。
ただし、成功の暁には名誉と賞賛を得る。
これは、探検家アーネスト・シャクルトンが掲げた
南極探検隊員の募集広告。
この文を読んで、
心を熱くした者だけが
苦難を乗り越えられる資格をもつ。
この広告で、
シャクルトンの卓越したリーダーシップが
すでに発揮されていたのだった。
アーネスト・シャクルトン2
アーネスト・シャクルトン隊長は、
隊員27人を率いて
南極横断の探検に出発した。
そこは一夜にして
数十キロの海が氷るような極寒地。
南極を目前に巨大な氷に阻まれ、
船が座礁してしまった。
ついに沈没した船から脱出し、白い地獄を彷徨う。
それから20カ月も氷の上を漂流し、
耐え続けることになろうとは…。
絶望的な危機に、
隊長は考えた。
全隊員に生きる希望を与え続けよう。
希望とは仕事だった。
毎日時間割で仕事を担当させ、
使命と責任、緊張を維持した。
人は命令では動かない。
人は階級では動かない。
机上のリーダー論では命を守れない。
生きるんだ。
そしてシャクルトン隊長は、
素晴らしいリーダーシップで
一人も犠牲者を出すことなく、全員生還させたのだ。
ロッシーニ
tournedos rossini
牛ヒレ肉のロッシーニ風
この“ロッシーニ”とは
イタリア最高の作曲家ともいわれる
ロッシーニのこと。
フォアグラやトリュフを使ったレシピを考え、
料理に自分の名がつくほどの
美食家であった。
ある日、知人の家でご馳走になった後、
「また食べにいらして」と言われて、こう返した。
今でもいいのですが…。
古今東西、食いしん坊はどこか憎めない。
ラブレター1 カフカ
過去にもらった、
あのラブレターは、
いまどこにあるだろう。
作家カフカは、
恋人ができると情熱的に、
短期間に何百通も手紙を送った。
恋人たちは、まだ無名だったカフカからの
手紙を捨てずに、
別れてもずっともっていた。
きっと、カフカの手紙には言葉に命があった。
捨てられない。大切に残したい。
そんな魅力でいっぱいだったに違いない。
カフカの死後、多数の手紙は、
受け取った恋人の名前がつく本となった。
『フェリーツェへの手紙』は700ページ、
『ミレナへの手紙』は400ページを超えた。
逆にカフカ自身は、恋が終わると
女性から受け取った手紙は処分していたという。
だから、まさか自分が書いたラブレターが
世の中に公開されるとは。
天国で顔を赤くしたかもしれない。
三船敏郎
映画俳優、三船敏郎は、
『スター・ウォーズ』と
『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』
の出演依頼を2度とも断った。
いろいろな理由があったにしろ、
『七人の侍』の菊千代そっくりと言われる
一本気な性格が、どこかで影響してしまったのか。
それにしても…
仮面をかぶらないダースベイダー、
三船がライトセーバーを振り回す姿。
ぜひ観たかったもの。
映画ファンとして、
ほんとうに惜しいエピソード。
江戸川乱歩
平井太郎は、
貿易会社で働き始めたが
1年しか続かなかった。
それから、いろいろな仕事に手を出した。
古本屋、新聞記者、ポマード工場の支配人。
チャルメラを吹いて夜泣きそばを
売り歩いたこともあった。
そして、何度目かの失業のとき、
賞金目当てで小説を書き始める。
2週間で書き上げた処女作『二銭銅貨』は
見事雑誌に掲載されたのだった。
こうして平井太郎は、江戸川乱歩になった。
就職できても、
天職にめぐりあうまで
シューカツは続くのかもしれない。
乱歩のように。
ラブレター2 短い告白
一枚の便せんに
太宰治が書いた、
たった4文字のラブレター。
「こひしい」
はるか遠く、
南極越冬隊の夫にあてた妻からの、
たった3文字のモールス信号。
「あなた」
日本中で
送受信されているかもしれない、
たった2文字のメール。
「すき」
たったそれだけの、
すばらしい言葉。
さて、1文字だったら…
と考えながら、
夜は深まって。