詩家晴景在新春(しかのせいけいは 新春にあり)
詩人が愛でるべき晴れやかな景色は新春である、と
うたったのは中国の詩人、楊巨源(ようきょげん)。
花の頃になると人でいっぱいになってしまうから
わずかな春のきざしを愛でようという意味だ。
なるほど、言われてみると
葉を落とした木々はもう新しい芽をつけている。
はこべの緑も鮮やかだ。
春はもうそこにある。
年賀葉書というアイデアを思いついたのは
大阪で洋品雑貨の店を経営していた林 正治(まさじ)さんだった。
戦争以来の苦しい生活のなかで
手紙のやりとりも途絶えてしまった人たちがいる。
もし年賀状が復活すれば
お互いの消息を知らせることができるのではないだろうか。
このアイデアは郵政省に持ち込まれ、実現した。
昭和24年の12月には「お年玉くじつき年賀葉書」が売り出され
日本の年賀葉書の第一号になる。
ちなみにそのときのお年玉賞品は
特等がミシン、1等が純毛洋服地だった。
いまはすっかり定着した年賀状、
俳句や短歌の自信作を挨拶代わりに書く人も多い。
万葉集を編纂した大伴家持は
そのいちばん最後をみずからの新春の歌で締めくくっている。
あたらしき 年のはじめの初春の 今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
大伴家持は少年時代に父を失っている。
そのせいだろうか、
若いときは出世の糸口をつかみかけては
地方に飛ばされることが多かった。
富山に鳥取、九州…それから関東にも下った。
それが幸いだったのだ、という意見がある。
万葉集におさめられた多彩な地方の歌は
家持の左遷がなければ
きっと集まっていなかったのだから。
あたらしき 年のはじめの初春の 今日降る雪のいや重け吉事
新年に降り積もる雪のように
良いことがかさなりますように。
そんな願いを込めて詠まれた歌の通り
晩年の家持は順調に昇進していった。
あたらしい年に良いことがかさなりますように。