八木田杏子 11年01月23日放送
シューマンの妻、クララ・シューマンは
少女のころから天才ピアニストとして知られていた。
クララのプロデビューは1828年、9歳のときで
モーツァルトのピアノコンチェルトのソリストをつとめ
人気を博した。
そんなクララの家に
父の弟子としてシューマンが住むようになったのは
1830年のことだった。
20歳の大学生と11歳の天才ピアニストは
兄と妹のように仲が良かった。
その出会いが逃れられない運命の出会いだと
ふたりが気づくまでに、まだ数年の余裕がある。
クララの父の弟子としてやってきた
20歳のシューマンは、焦っていた。
大学を辞めて本格的にピアノを学び始めた彼は、
指の訓練のための練習曲を弾かされていた。
となりでピアノを奏でる11歳のクララは、
ソロコンサートのための曲を弾いていた。
やがてシューマンは、
演奏よりも作曲にのめりこんでいく。
1年ほど作曲理論を学んでから
書き上げた作品は出版され、独創的と言われた。
ピアニストとしては
シューマンが足元にもおよばなかったクララが、
彼の音楽に夢中になる。
彼女は自作の曲をシューマンに捧げて、
書き直してほしいとねだった。
シューマンの旋律に導かれて、
クララの初恋がはじまる。
婚約から3年。
シューマンとクララの結婚は長い道のりだった。
クララの父親が、結婚に反対したのだ。
すでにピアニストとして一世を風靡していた
クララのキャリアが
結婚によって終わってしまう。
父の心配にクララの気持ちは揺れる。
シューマンは辛抱強く待ちつづけ
愛を伝える手紙を書き送った。
父はシューマンをあきらめないクララを責めた。
やがて…
19歳になったクララは、父親の助けを借りずに、
パリの演奏旅行へ出発する。
独りぼっちの不安と負担で、不眠と頭痛に苦しんだけれど
ピアノの音色は澄み切っていた。
父親に見捨てられても自分の足で立てる。
その自信が、クララを自由にする。
1840年、やっとシューマンと結婚をしたクララは
次々と子供を生み育てながらヨーロッパをめぐって
演奏活動をつづけた。
忙しかった。
その忙しさはクララ自身の日記にも記されている。
それでも妻になる幸せは、クララの想像を超えていた。
この幸福を知らない人たちを、
わたしはどんなに気の毒に思うことか。
それでは半分しか生きていないと同じではないか。
ピアニストとして名を馳せ、
作曲家としても後世に名を残し
シューマンの妻であり、
大勢の子供たちの母だったクララの
忙しく幸せな日々をを喜びたい。
シューマンが亡くなったとき、
未亡人になったクララと残された家庭を支えたのは
ヨハネス・ブラームスだった。
家族の一員のようになっていたブラームスに
クララは夫の楽譜や蔵書を自由に使わせた。
ブラームスはクララを尊敬し
作品ができあがるとまずクララに見せるのを習慣にした。
クララはブラームスの楽譜を、心待ちにしていた。
彼の音楽を誰よりも深く愛し、
美しく奏でられることを誇りにしていた。
音楽家としても人間としても
ふたりは支えあいながら、年を重ねていく。
クララが70歳までピアニストでいられたのも、
ブラームスが60歳を超えても作曲を続けたのも、
ふたりの親密な友情があったから。
60歳になったブラームスは、
「ピアノのための6つの小品」を作曲して、
74歳のクララに捧げた。
叙情的でおだやかな
長い友情にふさわしい曲である。
クララ・シューマンは、
100マルク紙幣の顔になっている。
彼女は、夫であるロベルト・シューマンが入院したときも
病院で息をひきとったときも
友人からの援助はすべて断り、苦境に立ち向かった。
ピアニストとして演奏活動をつづけながら
シューマンの作品を世に出すことにつとめ
シューマン全集の編纂にもあたった。
ピアノを弾いていると、
過度の苦しみを背負ったわたしの心が、
まるでほんとうに大声で泣いたあとのように、
軽くなるのです。
ドイツはクララ・シューマンの生涯をたたえて
その肖像を100マルク紙幣に残した。
20歳のヨハネス・ブラームスは、
自分の作品とシューマンの曲は似ていると感じた。
ためらいがちに自宅を訪ねていくと、
ブラームスの曲を、まずシューマンが絶賛し
その妻クララも、若き才能に惚れこんだ。
シューマンは華々しくブラームスを紹介し
それがきっかけになって
やがてベートーベンの後継者とまでいわれるブラームスの
大作曲家への道がはじまる。
若いみずみずしい感受性は、
シューマン夫妻の刺激になっただろうけれど
ブラームスがシューマン夫妻に被った恩もまた大きい。
シューマン夫妻は、
伝えきれない想いを、交換日記につづった。
ピアニストである妻のクララと共に
ロシアの演奏旅行に出かけたとき、
シューマンは発熱やめまいに苦しんでいた。
一方クララは演奏会の拍手を一身に受け、
華やかな貴族の夜会に出かけていく。
シューマンは何も言わずに、ひとこと日記に書いた。
この苦痛とクララの行動にはもう我慢ができない。
それを読んだ彼女も書いた。
わたしはしばしば、あなたを怒らせていたようだ。
ただわたしの至らなさと鈍感のせいだ。
シューマンが忙しくなったときは
クララが寂しさを日記にぶつけた。
そのとき夫は、妻への愛を書きしるした。
やわらかく傷つきやすい心は
口に出す言葉より日記の文字をラクに受け入れるのだろうか。