2011 年 2 月 20 日 のアーカイブ

石橋涼子 11年02月20日放送


あの人の詩 永瀬清子

女であり妻であり母であり、
勤め人であり土を耕す人でもあった詩人、永瀬清子。

彼女は
心の底を隠したがる人間には詩は書けない、と言い
生涯、自分と向き合い続け、学び続けた。

晩年の学びを、彼女はこう語った。

 人々のさまざまな忠告は、
 常に私自身の発見と事実とに反していることが多い。
 たとえば「安静に」「脂肪をとるな」「塩をとるな」「働くな」。
 私自身の生命はつねに私に教えてくれる。
 「悩め」「力をつくせ」「戦え」「一歩出ろ」。


あの人の詩 茨木(いばらぎ)のり子

戦争の真っただ中で、少女は疑問を抱いていた。

美しいものを楽しむことが、なぜ悪いことなのだろうか。
一億玉砕で死ぬことが、なぜ良いことなのだろうか。

もちろん、そんなことは誰にも言えなかった。
戦争が終わり、大人になって、
あの頃の疑問は正しかったということに気づいた。
同時に、人から思想を植えつけられた自分に腹が立った。

少女の名は、茨木のり子。
自分の言葉に対して潔いほどまっすぐな詩人になった。

後に発表した詩は、こんな一節で締めくくられている。

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ


あの人の詩 石垣りん

銀行員詩人と呼ばれた石垣りんは
昭和9年、満14歳で銀行に就職し
家族の生活を支えながら定年まで働いた。

幼いころに母と死に別れ、
ふたりめの母も若くして亡くなり、
18歳までに4人の母を持った。

戦争が終わり、30歳を迎えた石垣りんは、
臨終の床にある祖父と、こんな会話をした。

「私は、ひとりでもやっていけるかな?」
「やっていけるよ。」
「私のところで人間やめてもいい?」
「いいよ。人間、そんなに幸せなものじゃないから。」

こうして、彼女は生涯、
妻にも母にもならない道を選んだ。

しかし、そんな彼女の書く詩には
人間の生活への深い思いが溢れている。

銀行員詩人石垣りんの別名は、生活詩人。
その名言集にはこんなことばもある。

 齢三十とあれば
 くるしみも三十
 かなしみも三十

topへ

薄 景子 11年02月20日放送


あの人の詩 柴田トヨ

柴田トヨさんが詩を書きはじめたのは、
90歳を超えてから。
趣味の日本舞踊が踊れなくなり、
新聞の詩の投稿欄に応募したのがはじまりだった。

その詩は、たちまち読者をひきつけ、
処女作品集はベストセラーとなる。

 98歳でも
 恋はするのよ
 夢だってみるわ
 雲にだって乗りたいわ

もうすぐ100歳になるトヨさんの中には
永遠の少女が生きている。

topへ

熊埜御堂由香 11年02月20日放送


あの人の詩 草間彌生

長野県松本市の裕福な家庭に生まれた少女は
小さなころから、幻聴や幻覚に悩まされていた。
その異常な日常を受け入れるためだろうか。
彼女は自分に見えている世界を鉛筆や絵の具で書きとめはじめた。

アーティスト、草間彌生。

10歳の時に描いた母の肖像画には顔の上に
着物の上に無数の水玉が描かれていた。

草間は60年代後半には
ニューヨークでハプニング・アーティストとして
知られるようになった。
やがて創作の形式として、小説や詩も用いはじめる。
過激で性的な作品群は、草間自身の屈折した人生と重ね合わされ
マスコミを騒がせた。

そんな中、草間彌生は言い切った。

 私の小説はすべて私の想像から創出されたものであり、自叙伝ではない。
 ただし、詩集は別格である。

小さな頃描いた、幻覚を現実として認めるためのドローイングの
ように。幼く澄んだ言葉で紡がれた「すみれ強迫」という詩がある。

 ある日 突然 わたしの声は
 すみれの声になっているの
 心しずめて 息をつめて
 ほんとうなのね、みんな
 今日に おこったことたちは

topへ

薄 景子 11年02月20日放送


あの人の詩 佐藤初女

悩みを抱える人が彼女のおむすびを食べると、
自然と自分を取り戻していく。

「森のイスキア」主催、佐藤初女さん。

10代で胸を患い、30代まで闘病生活。
治りたい。でも、だめかもしれない。
若き日に、祈る思いで歩いた海辺に、
87歳の初女さんが立ったとき。
色も模様もちがう貝殻を見つめてこう言った。

 神様でしょうか、これを作ったのは。

佐藤初女さん。
その言葉にも、おむすびにも、
命の詩(うた)が流れている。

topへ

熊埜御堂由香 11年02月20日放送


あの人の詩 谷川俊太郎と佐野洋子

谷川俊太郎の詩に
画家・佐野洋子が絵をつけた詩集「女に」。
その詩集はふたりが結婚した翌年に出版された。

その中の一節、
 もう何も欲しいとは思わないのに
 まだあなたが欲しい。

詩とはパーソナルな芸術だ。
この美しい詩集はそう教えてくれる。


あの人の詩

詩人、小池昌代(こいけまさよ)の代表詩集。
ババ、バサラ、サラバ

20篇ほどの詩がおさめられているが、
最後までその言葉の意味は明かされない。

読者すべてが抱くであろう
ババ、バサラ、サラバって何?という
問いの答えだろうか。
小池はこう言う。

 現代詩を書いていると唇が寒くなる。
 濁った音はあたたかい。
 唇の破裂と爆発を、そこに生じる摩擦熱を
 寒いわたしは求めていた。

ババ、バサラ、サラバ。
口だしてみると、不思議な呪文のように
ちょっと切ない、じわっと心が熱をもつ。
そんな感覚になるのはなぜだろう。

「意味」を伝えることを超えて
詩人、小池昌代は言葉と格闘する。

topへ


login