2011 年 3 月 5 日 のアーカイブ

佐藤延夫 11年03月05日放送


エディット・ピアフ1

彼女は、生まれたときから街角に立っていた。
大道芸人の父と、クスリに溺れる母。
街から街を流れ歩く毎日。
母は彼女を産んで2ヶ月後に蒸発し、
同棲相手の家で、あっけなく死んだ。

フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフは、
自分の生い立ちについて、こう語っている。

   もし、あんなふうにして生きてこなかったら
   私は、ピアフになれなかったもの

運命を受け入れるほどの優しさを、
彼女はどこで手に入れたんだろう。


エディット・ピアフ2

十代の恋というのは
パッと燃え上がりやすいけど
その多くは独りよがりで
先のことなど考えず、
小さなことですぐひび割れてしまう。

エディット・ピアフは、
17歳の少年、ルイ・デュポンに恋をした。
小さな部屋でともに暮らし、
小さな命を授かった。
それでも物足りなさを感じ、
外人部隊の兵隊に恋をする。

その兵隊は戦地で命を失い、
一人娘も病気で亡くなった。

それでも十代のような恋を重ねながら、
ピアフは、うたをうたう。


エディット・ピアフ3

どんなに才能に恵まれていても
誰かが発掘してくれなければ、
土の中に埋もれてしまう。

その点、エディット・ピアフは幸運だった。
道路標識のように待ち構える、正しい大人たちがいた。

道で歌っていたピアフをパリのキャバレーに雇い入れた、ルイ・ルプレ。
三年もかけてピアフを磨きあげた、レーモン・アッソ。
そして、偶然キャバレーに来ていた客は、
フランスのスター歌手、モーリス・シュヴァリエだった。

   ブラボー。あの娘は身体で歌っている。

その一言で、ピアフの人生が動き出す。
運を味方につけるもの、才能のひとつ。


エディット・ピアフ4

   あのひとが私を腕に抱いてくれるとき
   そっと、話しかけてくれるとき
   私の目にうつるのはバラ色の人生・・・

エディット・ピアフの大ヒット曲、
la vie en rose「バラ色の人生」。

現実の彼女の人生は、
決してバラ色とは言い難い。
売春、殺人容疑、麻薬、
アルコール中毒、自殺未遂、
いくつもの自動車事故、
そして、愛する人の死。

恋人のマルセル・セルダンを
飛行機事故で亡くした夜、
ピアフはステージに立ち、客席に向かって言った。

   今夜、私はマルセル・セルダンのために歌います。
   誰のためでもありません。彼のために歌います。

せっかく開きかけた薔薇の花が、
また静かに枯れていった。


エディット・ピアフ5

恋をすれば破れ、
愛されると逃げたくなる。
こちらが本気になった相手は、
ことごとく不幸な目に遭う。

そんな人生を送っていたら、
エディット・ピアフじゃなくても
なにかに溺れてしまいそうだ。

でも彼女は、必ず立ち直った。
新曲を手に、ステージに上がった。

ピアフの曲、
「Non, Je ne regrette rien」(水に流して)には、こんな言葉がある。

  いいえ、私は何も後悔してない
  私のいろいろな過去を束にして
  火をつけて焼いてしまった

この世の愛を余さず歌うために、彼女は生まれたのだろう。


エディット・ピアフ6

有名になればなるほど、
外野の声がうるさく響く。
エディット・ピアフもまた然り。
シャンソンに批判的な作家、ボリス・ヴィアンは言った。

   曲は恐るべき通俗に思える。
   だがマダム・ピアフ、脱帽だ。
   電話帳を読み上げても、ピアフは人を泣かせるだろう。

彼にそう言わしめた曲、Bravo pour le clown「道化師万歳」。
ピアフの叫びは、涙腺を刺激する。


エディット・ピアフ7

フランスの映画監督、サシャ・ギトリは
エディット・ピアフについて、こう語っている。

   彼女の人生はあまりに悲しかったので
   真実であるためには美しすぎるほどだ。

ピアフは、生涯でいくつもの愛を紡いだ。
配達夫の少年、キャバレーに出入りする男、
水夫、トルコの奇兵隊、炭坑夫。
それらは全て成就せずに、泡のように消えた。
47歳で亡くなるまで、
いつも彼女は誰かのぬくもりを探していた。

大ヒット曲「愛の賛歌」は、
最愛の人を飛行機事故で失ったあとに録音されている。

   青空だって、私たちの上に落ちてくるかもしれない
   地球だって、ひっくり返るかもしれない
   でも大した事じゃない あなたが愛してくれれば・・・

hymne à l’amour・・・
一生のうち一度でも、これほど誰かを愛せたら。

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