三國菜恵 11年03月27日放送
弟子だった人も、
ひとり歩きをしなければならない時がくる。
現代短歌の歌人・山本かね子は心細かった。
師匠、植松壽樹(うえまつ・ひさき)がこの世を去ってから
アドバイスしてくれる人が
いなくなってしまったから。
でも、彼女は思いだすことができた。
困ったときに先生から言われる、いつものことばを。
自分の歌は見えにくいものです。
毎日眺めていてもなかなか良くならない。
そこで、四、五日見ずに置くこと。
師匠のことばを一生の宝に
弟子は今日も、確かな一歩を踏み出していく。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の
モデルになったといわれる人物がいる。
彼の名前は、斎藤宗次郎。
『非戦論』をとなえた内村鑑三の愛弟子にあたる青年だ。
雨にも負けず、風にも負けず
毎日新聞配達をつづける彼のポケットには
いつもすこしの小銭とお菓子が用意されていて
それを、行く先々でこどもたちに与えていた。
師匠が晩年、床に伏した時も
必要な薬を駆けまわって探し、
最後まで看病の手を休めることはなかった。
そんな斎藤を弟子に持った内村は、
彼の人柄について、こんな言葉をのこしている。
彼の澄める眼眸(ひとみ)に我等は無量の平和を読めり