3月19日と20日もVisionはお休みです。
3月19日佐藤理人、3月20日薄組でした。
なお、J-waveでは被災地のための救援物資を
受け付けています。
詳細はこちらをご覧ください。
3月19日と20日もVisionはお休みです。
3月19日佐藤理人、3月20日薄組でした。
なお、J-waveでは被災地のための救援物資を
受け付けています。
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今回の大震災を受けて
急遽特別編成対応を敷いた関係で、
昨日(3/12土)と本日(3/13日)については両日とも、
「VISION」のゾーンを「ニュース情報枠」に差し替えて
放送させていただきました。
*3月12日:八木田杏子 3月13日:古居利康
パソコンならばこちらのHPからNHKラジオ第一が聴けます。
http://www.nhk.or.jp/
携帯端末からNHKを聴くには「TuneIn Radio」というアプリを
入れるといいようです。
このアプリをインストールして、検索窓で「Radio Japan」と入れると
NHK第一が登場します。
「TuneIn Radio」は有料で、115円です。
民放は「radiko.jp」です。
通常は関東1都6県と関西2府4県のエリアだけで聴取可能ですが
本日夕方からエリア制限が解除され
しばらくはエリア制限なしで聴くことができます。
携帯用のアプリも無料でダウンロードできますので
ご自分の携帯から「radiko.jp」で検索してください。
3月22日夜の石橋涼子の行方をなぜか知っている。
渋谷のセルリアンタワー2階のJZ Bratにいる。
そこでは、毬谷友子のシャンソンライブが開かれている。
基本、弾き語りだ。毬谷友子はピアノも自分で弾く。
JZ Brat をライブハウスという視点でとらえると
飲食が異常にちゃんとしている。
これはライブハウスをあちこち視察してまわった私が言うから
間違いはない。
私は最初に視察したのがJZ Bratだったので
その後の視察がとてもつらかった。
要するに通常のライブハウスには料理人が不在なのだ。
どうやって食べ物を出すかというと
要は冷凍食品をあたためるだけなのだ。
じゃによって、ピザが超まずい。フライドポテトがまずい。
ここでもうめげてしまう。
しかしJZ Bratは違う。まともな食い物がある。
それだけで気持ちが明るい。
石橋涼子は糞まずいピザを食べなくて済む幸せものだ。
ここでとりあえずコンサートの詳細を記しておくと
とき:2011年3月22日
1st OPEN17:30 START19:00
2nd OPEN20:30 START21:00
ところ:渋谷セルリアンタワー2F JZ Brat
チケット:1st、2ndいづれも4.500円。通しは6,000円
*チケットの予約フォームはこちら:<チケット予約>
*詳しくは、http://www.mariyatomoko.com/まで。
ところで、五島ではあらかぶと言うけれど
こちらでは、カサゴと呼ばれる魚である。
ぼくもこちらでは「カサゴが釣れたんだ」なんて
東京っぽく言うのだ。
かつて五島に住んでいたとき、
いちばんの都会は長崎で(五島も長崎県なのに!)、
修学旅行や部活の試合のために
長崎にフェリーで渡ると
かすかにみんなの言葉が変化してた。
長崎本土に近づくと、
ちょっと長崎弁(五島弁とは明らかに違う)に
なってくるやつがいるのである。
・・・っていうことを
「カサゴが釣れたんだ」なんてかっこつけて
人に言ってるとき、ふと思い出したりする。
あした(2011年3月11日金曜日)
五島のはなしがテレビで放送されます!
といってもこの五島のはなしじゃなくって
五島が舞台のドラマ。
なんでも、ざだまさしがうんたらかんらで、
堀北マキさんもうんぬんかんぬんで、
五島の実在の人をモデルにしたドラマなんだとか。
よい話まちがいなし!
「復讐するは我にあり」とか「悪人」とか
五島が舞台だったり撮影場所だったりなのは
ちょっとダーク(でも名作!)なのが多いから
ぜひ、あしたのドラマで全国のみなさんのイメージをかえてもらいたい。
2010年のノーベル文学賞を受賞した
ペルー出身の作家バルガス・リョサ。
『都会と犬ども』、『緑の家』、『世界終末戦争』などの
著書で知られるリョサは、作品を通じて
社会の偽善や腐敗を告発し、南米の多様な文化を描いてきた。
バルガス・リョサをノーベル文学賞に選考した理由として、
スウェーデン・アカデミーは次のように発表した。
権力の構造を明確に描き、
個人の抵抗、反抗や敗北を鋭く表現した。
舞台の上に男がふたり立っている。
ふたりはゴドーという人物を待っている。
劇作家サミュエル・ベケットが発表した戯曲
『ゴドーを待ちながら』。
ふたりの男はしかし、ゴドーという人物を知らない。
会ったこともない。来るかどうかもわからない。
なぜふたりはゴドーを待ち続けるのか。
この戯曲によって、ベケットは
「不条理劇」というスタイルを完成させ、
のちの演劇界に多大な影響を与えた。
文学や戯曲の分野で新しい表現方法を切り拓いた。
その理由により、サミュエル・ベケットは
1969年のノーベル文学賞を受賞した。
コロンビアの作家ガルシア・マルケスが
1967年に発表した小説『百年の孤独』。
南米の架空の町マコンドを舞台に、
町を開拓したブエンディア一族の繁栄と滅亡を描いた100年の物語。
チョコレートを飲んで空中浮遊する神父。
遠く離れた場所からテレパシーで手術をする医者。
4年と11カ月も降り続く雨。
ブエンディア一族の歴史が、
次々と繰り出される奇想天外なエピソードによって
神話的に語られる。
日常と非日常が混ざり合う「マジック・リアリズム」
という手法を巧みに使った小説は各国でベストセラーになり、
世界中でラテンアメリカ文学ブームを巻き起こした。
『百年の孤独』の発表から15年後、
スウェーデン・アカデミーはガルシア・マルケスに
ノーベル文学賞を授与する。その選考の理由は、
幻想と現実を結びつけ、ひとつの大陸に生きる葛藤を
豊かな想像の世界で表現した。
というものだった。
1971年のノーベル文学賞を受賞した
チリの詩人、パブロ・ネルーダ。
彼にとってはこの世界に存在するもの
すべてが詩作の対象だった。
チリの美しい自然。女性のからだ。妻への愛。政治。戦争。
パンを讃える詩をつくったこともある。
同じく南米出身の小説家ガルシア・マルケスは、
ネルーダを「詩のミダース王」と表現した。
ミダース王とは触るものすべてを黄金に変える力を持つ
ギリシャ神話の登場人物。
目に触れるものすべてを詩に変えた。
ガルシア・マルケスはネルーダをそう讃えたのである。
20世紀の文学界の巨匠トーマス・マンが
1901年に発表した小説『ブッデンブローク家の人々』。
商人の一族、ブッデンブローク家の4代に渡る繁栄と没落を描き、
生まれたばかりの近代市民社会と、
そこに生きる人々の姿をユーモアとアイロニーを交えて表現した。
のちにトーマス・マンはノーベル文学賞を受賞するが、
その理由は、
現代の古典として広く知られる偉大な小説、
『ブッデンブローク家の人々』に対して。
というものだった。
作家本人の功績を讃えて授与されることの多いノーベル文学賞が、
特定の作品を評価することは珍しい。
しかも『ブッデンブローク家の人々』は、
トーマス・マンが執筆した事実上初めての長編小説。
弱冠25歳の時の作品であった。
ノーベル賞作家ロマン・ロランの代表作『ジャン・クリストフ』。
貧しい音楽一家に生まれた主人公ジャン・クリストフが、
人間や芸術家としての真実を追求しつづける物語。
傷つきやすくも、闘うことを決してやめない
ジャン・クリストフの不屈の生涯を描き、
人間のあるべき姿を示したロマン・ロラン。
彼は一生を通じて、理想主義的ヒューマニズムを表現した。
『ジャン・クリストフ』を書き上げたあとで、
ロランはこう記している。
今日の人々よ、若い人々よ、今度はきみたちの番だ!
われわれのからだを踏み台として、前進したまえ。
われわれよりも、さらに偉大に、さらに幸福になるのだ。
『響きと怒り』、『八月の光』などの作品で知られる、
アメリカ人作家ウィリアム・フォークナー。
自らの出生地であるアメリカ南部を
小説の題材として繰り返し取り上げ、
土地の因習や人間の深い業を描き続けた。
アメリカ現代小説に対する、強力かつ独創的な貢献が評価され、
1949年にフォークナーはノーベル文学賞を受賞する。
その文学は後世の作家たちにも大きな影響を与えた。
同じくノーベル文学賞したガルシア・マルケスも、
「フォークナーを父として殺すことが自分の文学観だった」
という表現でフォークナーの偉業を讃えている。
作家ヘルマン・ヘッセの代表作『車輪の下』。
エリートの集まる神学校に入学した主人公ハンスが、
詰め込み教育と寄宿舎生活に疲れ、学校から脱走するという、
少年の苦悩と挫折を描いた物語。
主人公の少年時代は、作者自身の少年時代とほぼ重なる。
宣教師の父親の仕事を継ぐため、
14才で神学校に入学したヘッセはわずか半年で学校から逃げ出す。
その後、職を転々とし、自殺未遂も起こした。
作家としてデビューするまで長い苦難の時期を過ごしたが、
彼には「詩人になるか、さもなくば何者にもならない」という
強い決意があった。
のちにノーベル文学賞を受賞したヘルマン・ヘッセ。
彼はこんな言葉を残している。
過ちも失敗も多かった。だが、後悔する余地はない。
彼女は、生まれたときから街角に立っていた。
大道芸人の父と、クスリに溺れる母。
街から街を流れ歩く毎日。
母は彼女を産んで2ヶ月後に蒸発し、
同棲相手の家で、あっけなく死んだ。
フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフは、
自分の生い立ちについて、こう語っている。
もし、あんなふうにして生きてこなかったら
私は、ピアフになれなかったもの
運命を受け入れるほどの優しさを、
彼女はどこで手に入れたんだろう。
十代の恋というのは
パッと燃え上がりやすいけど
その多くは独りよがりで
先のことなど考えず、
小さなことですぐひび割れてしまう。
エディット・ピアフは、
17歳の少年、ルイ・デュポンに恋をした。
小さな部屋でともに暮らし、
小さな命を授かった。
それでも物足りなさを感じ、
外人部隊の兵隊に恋をする。
その兵隊は戦地で命を失い、
一人娘も病気で亡くなった。
それでも十代のような恋を重ねながら、
ピアフは、うたをうたう。
どんなに才能に恵まれていても
誰かが発掘してくれなければ、
土の中に埋もれてしまう。
その点、エディット・ピアフは幸運だった。
道路標識のように待ち構える、正しい大人たちがいた。
道で歌っていたピアフをパリのキャバレーに雇い入れた、ルイ・ルプレ。
三年もかけてピアフを磨きあげた、レーモン・アッソ。
そして、偶然キャバレーに来ていた客は、
フランスのスター歌手、モーリス・シュヴァリエだった。
ブラボー。あの娘は身体で歌っている。
その一言で、ピアフの人生が動き出す。
運を味方につけるもの、才能のひとつ。
あのひとが私を腕に抱いてくれるとき
そっと、話しかけてくれるとき
私の目にうつるのはバラ色の人生・・・
エディット・ピアフの大ヒット曲、
la vie en rose「バラ色の人生」。
現実の彼女の人生は、
決してバラ色とは言い難い。
売春、殺人容疑、麻薬、
アルコール中毒、自殺未遂、
いくつもの自動車事故、
そして、愛する人の死。
恋人のマルセル・セルダンを
飛行機事故で亡くした夜、
ピアフはステージに立ち、客席に向かって言った。
今夜、私はマルセル・セルダンのために歌います。
誰のためでもありません。彼のために歌います。
せっかく開きかけた薔薇の花が、
また静かに枯れていった。
恋をすれば破れ、
愛されると逃げたくなる。
こちらが本気になった相手は、
ことごとく不幸な目に遭う。
そんな人生を送っていたら、
エディット・ピアフじゃなくても
なにかに溺れてしまいそうだ。
でも彼女は、必ず立ち直った。
新曲を手に、ステージに上がった。
ピアフの曲、
「Non, Je ne regrette rien」(水に流して)には、こんな言葉がある。
いいえ、私は何も後悔してない
私のいろいろな過去を束にして
火をつけて焼いてしまった
この世の愛を余さず歌うために、彼女は生まれたのだろう。
有名になればなるほど、
外野の声がうるさく響く。
エディット・ピアフもまた然り。
シャンソンに批判的な作家、ボリス・ヴィアンは言った。
曲は恐るべき通俗に思える。
だがマダム・ピアフ、脱帽だ。
電話帳を読み上げても、ピアフは人を泣かせるだろう。
彼にそう言わしめた曲、Bravo pour le clown「道化師万歳」。
ピアフの叫びは、涙腺を刺激する。
フランスの映画監督、サシャ・ギトリは
エディット・ピアフについて、こう語っている。
彼女の人生はあまりに悲しかったので
真実であるためには美しすぎるほどだ。
ピアフは、生涯でいくつもの愛を紡いだ。
配達夫の少年、キャバレーに出入りする男、
水夫、トルコの奇兵隊、炭坑夫。
それらは全て成就せずに、泡のように消えた。
47歳で亡くなるまで、
いつも彼女は誰かのぬくもりを探していた。
大ヒット曲「愛の賛歌」は、
最愛の人を飛行機事故で失ったあとに録音されている。
青空だって、私たちの上に落ちてくるかもしれない
地球だって、ひっくり返るかもしれない
でも大した事じゃない あなたが愛してくれれば・・・
hymne à l’amour・・・
一生のうち一度でも、これほど誰かを愛せたら。
みなさん、考えましょう。
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プロアマ問わずです。
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20秒のラジオCMのコピーを募集しています。
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