三島邦彦 11年6月12日放送
あの人の師/萩本欽一
コメディアン、萩本欽一。
浅草の劇場で働き始めて5ヶ月目、
父親の家が火事になった。
当時まだ見習いの欽ちゃんの月収は3千円。
しばらくは違う仕事に就こう。
そう決めて、師匠の池信一へ申し出た。
数日後、師匠から呼び出された。
お前な、ここにみんなが出してくれた金がある。
4万5千円。一年分の給料より多い金額。
すごいだろ、みんなが500円ずつだしてくれた。
そうじのおばちゃんも500円だしたんだぞ。
この4万5千円を使い切るまでは、ここにいな。
その日、大泣きをした欽ちゃんが、やがて、日本中を笑顔にすることになる。
あの人の師/大杉勝男
その日はきれいな月が出ていたという。
1968年9月6日、
後楽園球場では東映フライヤーズと
東京オリオンズの試合が行われていた。
試合は両者譲らず延長戦。
11回の裏、大杉勝男(おおすぎ かつお)に打順が回ってきた。
大物ルーキーとしてプロ入りし、3年目でレギュラーを獲得したものの、
ここしばらくはスランプに苦しみ、この日もここまでノーヒット。
そんな大杉のもとへ、打撃コーチの飯島滋弥(いいじま しげや)が近寄った。
飯島は、バックスクリーンの上にぽっかりと浮かんだ月を指差して言った。
あの月に向かって打て。
「この言葉で、ホームランの打ち方がわかった。」後に大杉はそう語る。
大杉の打球は、月に向かって高々と舞い上がり、
美しい放物線を描きながら歓喜に湧くスタンドに突き刺さる。
後に2度のホームラン王になる強打者が誕生したきっかけは、
師がくれた、わかりやすく、美しい、たったひとつの言葉だった。