ルイス・キャロルとアリス
不思議の国のアリスは、
ひとりの少女のために紡がれた物語。
当時10歳の実在の少女アリス・リデルに
「何かお話を聞かせて」とせがまれて、
ルイス・キャロルは、思いつくままに話しはじめた。
目の前にいるアリスがはっと息をのみ、
ころころと笑うために。
ルイス・キャロルの想像力は広がっていく。
人間のような動物たちが、
不思議な物語をくりひろげていく。
その3年後、物語は本になり出版されたが
即興のストーリーを書き留めるように頼んだのも
アリスだった。
不思議の国のアリスは
最初の出版から150年にもなるが
いまだに音楽、絵画、文学など芸術の世界に影響を与えつづけている。
ロミオとジュリエット
ロミオとジュリエットは、もしかすると
悲劇ではないのかもしれない。
シェイクスピアの四大悲劇といえば、
ハムレット、オセロー、マクベス、リア王。
ロミオとジュリエットは、そこには入らない。
純粋なまま美しく終わる恋は、
悲劇ではないのかもしれない。
家族からの圧力や
すれ違いから生まれる亀裂で、
恋心が擦り切れていくほうが悲劇なのかもしれない。
ロミオとジュリエットのように
美しく終われない物語を、私たちは生きていく。
いつ終わるかわからない物語を、
ハッピーエンドにしたいと願いながら。
チャップリン
喜劇王とよばれたチャップリンは、
幼い頃はまさに悲劇の主人公だった。
芸人だった父は酒におぼれ、
女優だった母は精神の病を患う。
食べるものも乏しい家で、
母が披露してくれる芝居や朗読に、
チャップリンは魅了された。
やがて彼も、喜劇やものまねで、
笑いをとるようになる。
5歳で初舞台を踏んだ彼は、
12歳になると新聞で名子役と評されるほどになる。
悲劇を生きぬいたチャップリンは、
こんな言葉を残した。
人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である。
まど・みちお「ぞうさん」
誰もが口ずさんだ童謡、「ぞうさん」。
リズム感のいいやさしい言葉に、
詩人まど・みちおの想いが宿っている。
ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね
そうよ 母さんも長いのよ
小ゾウは、長い鼻をからかわれても、
大好きなお母さんの長い鼻を思い出して、
むしろ誇らしそうにする。
この歌は、
「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」だと
まど・みちおは語る。
違いがあるから素晴らしいのに、
人と比べて一喜一憂してしまうのは、
もったいない。
その想いから、「ぞうさん」はうまれた。
まど・みちおの童謡が心地よく響くのは、
しらずしらずのうちに、
その想いを感じているからかもしれない。
まど・みちお「散歩」
詩人まど・みちおは、ゆっくり歩く。
家からポストまで、
さぁっと歩けば20分ほどの距離を、
あっちを見たり
こっちを見たりしながら
一時間かけて歩く。
まど・みちおには、世界はこう見えている。
いつも通っている道、
見慣れた景色だと思っても、
もうほんとに驚くことばかり。
アリだってちゃんと
影を連れて生きてるのを発見したときは、
なんだか花束でももらったみたいな気分でした。
いつもの道を、ゆっくり歩く。
そんな贅沢を味わってみませんか。
せめて、お休みの日だけでも。
葛飾北斎
葛飾北斎は、
30回も名前を変えている。
自らの過去にとらわれない
新たな作品を世に送りだすために。
思うまま生きるために。
北斎は名前を変えていく。
美人画、風景画、漫画。
筆のおもむくままに、
湧き上がるものを表現するには、
30もの名前が必要だった。
明日は、日曜日。
仕事も本名もお休みにして、
新しい名前を使えるとしたら。
さて、何をしましょう。
白雪姫
白雪姫は、過ちを繰り返したから、
王子様に出会えた。
魔女が化けたお婆さんから、
ドレスを飾る美しい紐を買って、
胸をきつく締めあげられる。
毒のある櫛を使って、倒れてしまう。
小人に助けてもらっても、また騙されて、
毒りんごを食べて死んでしまう。
手を尽くしても生き返らなかった白雪姫を
七人の小人がガラスの棺に納めたとき
王子さまがやってきて
白雪姫は息をふきかえす。
過ちを3回も繰り返して、
やっと王子様に出会えた、白雪姫。
賢いお姫様だけが、
幸せになれるわけではないのだ。
過ちを悔いる夜は、きっと
白雪姫がなぐさめてくれる。