2011 年 7 月 3 日 のアーカイブ

古居利康 11年7月3日放送



高峰秀子が乱れるとき その1

映画『乱れる』は、1964年1月15日、
東宝の正月番組として封切られた。
監督、成瀬巳喜男。
主演、高峰秀子、加山雄三。

昭和39年。
秋に東京オリンピックの開催を控えたこの国の、
町のかたちや家族のありようが
大きく変わろうとしている頃。

11歳年の離れた兄嫁と弟が交わす、
ゆるされない愛を描いた映画だ。



高峰秀子が乱れるとき その2

『秀子の車掌さん』
『稲妻』
『浮雲』
『口づけ』
『妻の心』
『流れる』
『あらくれ』
『女が階段を上る時』
『娘・妻・母』
『妻として女として』
『放浪記』

そして、『乱れる』

監督・成瀬巳喜男は、その生涯に、
高峰秀子を主演に17本の映画をつくる。
とりわけ1950年代半ばから、
その主要な作品のことごとくに
高峰を起用するさまに、
ひとりの女優に取り憑かれた、
ひとりの映画監督の、
執念にも近い惑溺が見てとれる。



高峰秀子が乱れるとき その3

女優・高峰秀子は、5歳のとき、
子役でデビュー。
10歳までに30本以上の作品に出て、
『デコちゃん』の愛称で
戦前の日本に愛された。

一種のアイドル映画として企画された
『秀子の車掌さん』で成瀬巳喜男と出会った
17歳の年は、山本嘉次郎監督の『馬』に出演して、
演技に目覚めた年でもあった。

成瀬は、高峰秀子が大人になるのを
待っていたのか。
戦後7年を経て、『稲妻』という作品で
28歳になった彼女と出会い直す。

その3年後、成瀬にとっても、高峰にとっても
それぞれのキャリアのピークとも言える
『浮雲』が完成する。相手は、森雅之。
高峰秀子が演じたのは、年上の妻子持ちとの
破滅的な愛に身を焦がし、愛に果てる女性。

このモノクロフイルムに漂う
生々しい息づかいと肌ざわり。ただごとではない。

このとき、高峰秀子、31歳。



高峰秀子が乱れるとき その4

そして、1964年、成瀬巳喜男監督の『乱れる』。

高峰秀子演じる兄嫁、森田礼子は37歳。
19の年に嫁に来たが、半年後、夫は戦争にとられ、
帰らぬひととなる。独身のまま酒屋を切り盛りし、
18年の歳月が過ぎた。

加山勇三演じる弟、森田幸司は25歳。
高峰が嫁に来たとき、まだ7つのこどもだった。
大学を出て就職するが、転勤を拒んであっさり退職。
自堕落な毎日を送っている。

義理の姉と弟…
そのままの関係がつづけばホームドラマ  
しかしそうではないことを
「乱れる」という映画のタイトルが告げている。



高峰秀子が乱れるとき その5

映画『乱れる』の舞台は、
静岡県の清水という地方都市。
駅前に店を構える森田酒店が、
新たに進出してきたスーパーマーケットに
圧迫され、時代の変化に巻き込まれていく。

結婚して家を出た2人の妹たちは
店をスーパーマーケットにする計画を立てるが、
兄嫁・高峰秀子の存在が邪魔になり、
再婚話をもちかける。

体のいい追い出し工作とも思える
家族の企みに、ひとり猛反対する弟・加山雄三。
事情をぜんぶ飲み込み、
みずから身を引こうとする兄嫁。

思いあまった弟が告白する。
ねえさんのことがずっと好きだった、と。
義理の弟のあまりにまっすぐな思慕に、
義姉はうろたえ、取り乱す。

映画の空気は、ここで一変する。

ほかの登場人物は、もう、ほとんど出てこない。
義姉と弟、ふたりだけを追いかけ、追いつめる。



高峰秀子が乱れるとき その6

夕食のとき、
じぶんの食べかけのおかずに
箸を伸ばす弟をたしなめる。

大雨の日、
配達からずぶ濡れで帰ってきた弟の
雨合羽を脱がせようとして、
気がつけば抱擁のようなかたちになって、
思わず後ずさりする。

じぶんのサンダルを平気で履く弟に、
壊れちゃうからやめて、と抗議する。

成瀬巳喜男監督の映画「乱れる」

義理の弟とはいえ
家族と思っていたときはなんでもなかった
さりげない身体の触れあいが
愛の畏れを喚び覚ます。

義姉・高峰秀子の、
弟・加山雄三への過剰な意識が、
映画『乱れる』を
思いもよらない方向へ導いていく。



高峰秀子が乱れるとき その7

これ以上、
ひとつ屋根の下に暮らしていると、
きっとまちがいが起きる。
そんな予感に苦しみ、
じぶんの気持ちの乱れを畏れる
義姉・高峰秀子は、とうとう家を出る。

清水の駅から準急に乗って、
故郷・山形県新庄に向かう列車のなかで。

ふと見ると、弟・加山雄三が乗っている。

成瀬巳喜男監督の映画「乱れる」
物語は、姉と弟という安定した関係をつづけようとする女と
それを拒否する男の結末に向かって進む。



高峰秀子が乱れるとき その8

映画『乱れる』、最後の21分間。

清水発14時35分。
弟・加山雄三の姿におどろき、とまどう
義姉・高峰秀子。空席はない。通路に立つ弟。

小さな川を渡る列車。3つ前の席に坐っている弟。
目が合って、かすかに微笑む義姉。

大きな川に架かった鉄橋を渡る列車。
斜め後ろの席にいる弟。

列車の疾走をカットバックし、
車内の映像に戻るたびに、 義姉の席に近づいていく弟。

上野着23時50分。

東北本線に乗り換えたふたりは、
もう、向かい合わせの席に坐っている。

やがて夜が明けて、目の前で眠る弟の寝顔に、
義姉は静かに涙を流す。そして言う。
「幸司さん、次の駅で降りましょう。」

義姉と弟が二日目の夜を過ごす場所は、
列車の中ではなかった。

残酷な結末に向かって、
映画は北へ北へと疾走しつづけて、
ついにその動きを止めない。

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