おばけ① 上田秋成
残暑のきびしい
晩夏にほしくなる、怪談話。
けれど、眠れなくなりそうな話
では困る方に「雨月物語」はどうだろう。
上田秋成によって
江戸時代末期に書かれた
9編からなる怪談話は、
文学作品としてもすばらしく、
現代語訳なら、私たちにも読みやすくありがたい。
上田秋成の描く幽霊は恐ろしい。
我欲に執着し苦悩する、その有様が
まるで人間の本質を
さらけ出すようだからであろう。
幽霊もまた、人間から生まれたもの。
作者、上田秋成は、医者でもあったが、
狐狸や幽霊のたぐいを、かたく信じていたという。
おばけ② 三遊亭圓朝
日本の幽霊は「足がない」。
そのセオリーをくつがえしたのは
牡丹灯籠のお露さんと言われている。
提灯片手に「カランコロン」と
下駄をならしてやってくる。
創作は落語中興の祖、三遊亭圓朝。
この有名な怪談話は
落語が広く いまに伝えた。
圓朝の落語は、現代落語のように
オチのある滑稽話ではなく、
語りの芸でぐいぐい観衆を引き込み
つづき聴きたさに 寄席へ
客を通わせる落語だった。
圓朝と深く親交のあった山岡鐵舟は
「お前の話は、活きておらん!」といい
若かりし圓朝を叱り育てたというが、
圓朝の弟子たちは
「師匠の落語は死人の話ですから」
と言ったとか、言わなかったとか。
お後がよろしいようで。
おばけ③ オバケのQ太郎
オバケのくせに
ちっともこわくない。
ドジで大食いで、犬が苦手で、
日本中の子どもたちに愛された
人間みたいなオバケ、
それがオバケのQ太郎。
藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、
ふたりの天才漫画家による
さいごの合作作品は
1965年にテレビアニメがはじまるやいなや
30%を超える視聴率を記録。
「オバQブーム」は社会的現象にまでなった。
しかし、コミックは長らく絶版が続いた。
復刊は、ほぼ20年ぶり、おととしのことだ。
ああ、よかった。子どもたちが、
オバケのQ太郎を知らずに大人になることも、
このまま忘れ去られていくこともなくなった。
いちばんほっとしているのは、
オバケのQ太郎 本人かもしれません。
おばけ④ 柳田国男
都会からすこし離れ、田舎をいけば
どこでも見かける小さな「ほこら」。
あの中には、
いったい何が入っているんだろう。
怖い、けれど、見たい・・・。
『遠野物語』の著者であり、
日本の民俗学の礎を築いた柳田国男は
幼年の頃、その「ほこら」を恐る恐る覗き
神秘体験をしたのだそうだ。
人間の根っこにある
「怖いもの見たさ、知りたさ」は、
柳田国男の民俗研究を前へ前へと進めた。
妖怪を「信仰が失われ、落ちぶれた神々」と
定義し、各地の民話と共に数多くの妖怪を紹介した。
けれど、ミステリアスだと思いませんか?
テレビもラジオもない時代から
天狗も座敷童もカッパも、
全国各地で言い伝えられていて、
その風貌からいたずらまで、
まったく一致するのだということ。
おばけ⑤ 水木しげる
数々の愛すべき妖怪漫画を
執筆してきた漫画家、水木しげる先生が、
また新しい肩書きを持った。
「お化け大学校 総長」。
通称「化け大」。
そのキャンパスは京都にあり、
OBに、鬼太郎やねずみ男、
教授陣には妖怪学の権威、
荒俣宏氏、京極夏彦氏といった
豪華な顔ぶれがならぶ。
お化け大学は、学校なので入学希望者を募っている。
けれど「ゲゲゲの鬼太郎の歌」にあったとおり、
「試験もなんにもない」から、誰でも入学可能。
他人との比較ではない、あくまでも
自分の楽しさが大事。
水木しげる総長のお言葉である。
おばけ⑥ 六条御息所
お化けは信じませんか?
では、生き霊はどうですか?
日本人にとって長らく
生き霊はもっとも畏怖すべき対象だった。
たとえば、紫式部による古典の傑作、
「源氏物語」の登場人物である 六条御息所。
能の謡曲としても人気演目で、
最近では作家 林真理子さんによる
書き下ろしも出版された。
ところで、
古語では、生き霊が歩き回ることを
「あくがる」という。
それが転じて「あこがれる」となったそうだ。
あこがれるほどの激しい思い、には
注意が必要ということかもしれない。
おばけ⑦ 円山応挙
江戸時代に活躍した絵師
円山応挙の作品に
「お雪の幻」という幽霊画がある。
日本の幽霊に足がないのは
この画がはじまりといわれるくらい有名な一枚だが
応挙は、どうやら
幽霊を描いたわけではないのだそうだ。
画のモデルは
病気がちだった妻、お雪。
その死後に、応挙は愛しい妻を、描いた。
写生は応挙の得意とするところだったから、
病に伏した妻が、乱れ髪で厠に立つ姿を
見たままに描いた。
暗がりで見えない足元はそのままに。
いつしかその画は、女の幽霊と
言われるようになったけれど、
愛情をもって描かれていることがよくわかる。
恐ろしいと思ってみれば、怖いものだ。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。