ウケを狙っておみやげに買って帰る
「さざえもなか」でありますが、
ちゃんと毎回ウケてもらえます。
五島が生んだ、「すべらないおみや」であります。
中身はこんなんです。
みんないったんは笑って、でも食べたら
「あ、うまい」と言います。この「あ」を聞くたびにうれしい。
「さざえもなか」では驚いてくれなくなった人には、
「石鯛もなか」を買って帰ることにしています。
ちなみに「あわびもなか」もあります。
・・・いいでしょ、五島。
なんというか、細かくなくて。
ウケを狙っておみやげに買って帰る
「さざえもなか」でありますが、
ちゃんと毎回ウケてもらえます。
五島が生んだ、「すべらないおみや」であります。
中身はこんなんです。
みんないったんは笑って、でも食べたら
「あ、うまい」と言います。この「あ」を聞くたびにうれしい。
「さざえもなか」では驚いてくれなくなった人には、
「石鯛もなか」を買って帰ることにしています。
ちなみに「あわびもなか」もあります。
・・・いいでしょ、五島。
なんというか、細かくなくて。
訃報 ニコライ・ペトロフ
8月3日
ロシア屈指の名ピアニスト
ニコライ・ペトロフが亡くなった。
まるまると太った体で、
鋼鉄のタッチと、万華鏡のような音色をくりだし、
ロシアが誇る精密大型重戦車と呼ばれた。
音楽においてミスタッチほど劣悪なものはない
と言い切る完璧主義者。
リストのパガニーニ練習曲の初版という、
最も難しいといわれる楽曲も、
人間業とは思えない技巧でノーミスに奏でた。
けれども、健康については
完璧主義者にはなれなかったようだ。
多くのファンが彼の太りすぎを心配していたのだが・・。
演奏旅行中に脳卒中で倒れ、
68歳で亡くなった。
訃報 ジョー山中
ジョー山中 8月7日 永眠
アメリカ兵の父親のことを知らずに育ち、
小学校時代には母を亡くし、
自宅まで火事で全焼した。
何もかもなくした。
でも、彼には、
3オクターブの美しい声があたえられた。
母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね
♪『人間の証明のテーマ』Mama~
1977年、彼は西条八十の詩『帽子』を英語に訳し、
歌ったこの『人間の証明のテーマ』は、
50万枚を超える大ヒットとなった。
彼が亡くなっても、
魂の叫びが伝わってくるような歌声は
時代に刻まれている。
訃報 松田直樹
あるサッカー選手が戦力外通告を受けた。
練習が休みの日にロッカーを整理するために、
独りクラブに来た。
それを手伝い、見送る男がいた。
当時横浜マリノスの不動のレギュラー、
松田直樹だった。
プロは厳しい世界だけれど、
プロだから優しくしたいとも思う。
そう繊細に語った。
日本代表で活躍し、ミスターマリノスとまでいわれた
その松田自身が戦力外通告を受けるとは
本人も思いもしなかったのかもしれない。
2011年、松田は松本山雅FCに移籍。
J1より、J2より下位組織のJFLのチームを選んだ。
長くマリノスの同志だった中村俊輔が訊いた。
チームをJ2に上げるのか、と。
松田は力強くこたえた。
バカ、J1だよ。
40歳を超えても現役でいたかった男の
34歳という早すぎる死。
松田が旅立った8月4日を
サポーターは決して忘れないだろう。
訃報 平光清
平光清は、
26歳でプロ野球の審判として採用され、
それから54歳まで続けた。
1992年の阪神対ヤクルト戦では、
幻のホームラン事件が起こった。
平光の微妙なホームランの判定が、
選手の抗議により二塁打に覆った事件だった。
もめにもめ、ゲームは37分中断した。
二塁打とされた阪神側の監督に、平光が言った。
俺がやめるから、どうにかおさえてくれ。
誤審の責任を取るかたちで、
このシーズン限りで審判を引退した。
しかし、通算3060試合に出場した功績は
失われるものではない。
平光清 8月9日 永眠
訃報 前田武彦
昔、テレビの司会といえば、
台本通りに読み上げる人だった。
そんな司会の常識をひっくり返したのが、
フリートークの天才、前田武彦。
台本を無視したトークは、
1960年代当時は斬新で大人気となった。
歌番組の司会では、
毒舌のせいで若い女性歌手を泣かせることもあった。
前田は予定調和でないやりとりによって、
遠い存在だったスターの人間性をあぶり出し、
視聴者の目の前に差し出したのだ。
ある日、前田は自らもさらけ出した。
番組のエンディングで、
支持する政党の立候補者の当選に対して
万歳をしたのだった。
それが問題となり、
番組を司会を降ろされた。
その後の数年間にわたって、
前田がテレビに出る機会はほぼなくなってしまった。
昔、テレビがおもしろくておもしろくて
たまらない時代があった。
そのまん真ん中にいた希代の司会者が、
8月5日永眠した。
それは、地上アナログ放送が終了して
まもなくのことだった。
訃報 日吉ミミ
恋人にふられたの
よくある 話じゃないか
どこか投げやりな詞で始まる歌が
1970年にヒットした。
歌ったのは、日吉ミミ。
独特の鼻にかかった声と
見た目のかわいらしさのギャップで
人気者になり、
その後もヒット曲がつづいた。
2009年、すい臓癌がみつかった。
私は強く生きるのよ
と、病床でもデビュー45周年に向けて、
活動再開を強く願っていたが
かなわなかった。
8月10日、夫や親族に見守られながら
息を引き取った。
訃報 正力亨
8月15日終戦の日、
実業家で、読売ジャイアンツの元オーナー
正力亨が亡くなった。
ジャイアンツを愛してやまない男だった。
バックネット裏から
「長嶋くん、次はバントだ」
と大声で指示を出すなど純粋すぎるほどだった。
一番のジャイアンツファンでもあったのだろう。
しかし純粋ではすまされない事件も起こした。
1978年、ドラフト前日の「空白の一日」を悪用した
江川事件では、世の中から厳しく批判された。
日米野球やアジア各国との交流など、
国際的な視野ももっていた。
まちがいなく、野球の黄金時代を気づいた
名物オーナーだった。
訃報 髙城淳一
8月18日、一人の名脇役が亡くなった。
俳優、高城淳一。享年86歳。
映画『戦争と人間』『華麗なる一族』『不毛地帯』
ドラマ『事件記者』『西部警察』などで活躍した。
腹に一物ありそうな、
知的でクールな悪役がよく似合った。
ジャン・ギャバンがひいきだったのも、
うなずける。
演技だけでなく、日本俳優連合の理事として、
失業保険や労災もなかった俳優の地位向上のために
積極的に貢献してきたという。
私のこれまでの役者人生、
これっぽっちも後悔してないさ。
晩年のインタビューで、
そうきっぱりこたえていた。
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