2011 年 12 月 のアーカイブ

古居利康 11年12月31日放送



一休さんの話 一

一休は、六歳のとき、
禅宗の名刹、安国寺に入った。

寺の書庫を常の住処とし、仏典に没頭。
座禅に励む日々を重ねた一休の眼に、
だんだん現実が見えてくる。

僧侶どうしの言い争い。
「自分は源氏の出である」
「わたしは公家の血筋である」

少年一休は、一編の漢詩をつくり、
これを批判する。

「法を説き 禅を説いて 姓名を挙ぐ
 人を辱しむるの一句」

仏門に帰依した身で、現世の出自を
自慢しあう。恥ずかしいの一言だ。

一休の失望は日増しに深くなっていく。


murata
一休さんの話 二

一休は、十七歳のとき、
謙翁 (けんおう) という僧に出会う。

西金寺 (さいこんじ) という
苔むした貧乏寺にあって、
政治にすり寄らず、権威におもねず、
純粋禅として孤高の道をゆくその姿に、
一休は心打たれる。

この方こそが、
自分の求める禅の師匠だ。

一休は、雨露をしのぐていどの
粗末な寺に住み、
謙翁とともに街を歩く。
托鉢だけで暮らしたため、
日々の食事にも事欠く始末。

清貧のなかで、
謙翁の指導は峻烈を極めた。
一休は、禅の真髄に近づいていく。



一休さんの話 三

一休は、父を知らない子どもだった。
母とも、六歳のときに別れたきりだ。

母は、伊予の局という名の
やんごとない姫だった。
藤原一門の公家、日野家に生まれ、
御所にあがっていた。

父は、その伊予の局に手をつけた
後小松天皇そのひとではないか。
という、まことしやかな御落胤説がある。

長くつづいた南北朝の争いは、
後小松帝在位のとき、統一を見た。
以後、南北、交互に帝位を継いでいく、
という約定が交わされた。

一休が生まれた1394年は、
そんなナーバスな出来事の渦中にあった。
幼い一休が寺に出された背景にも、
どこか、きな臭い空気が漂っていた。



一休さんの話 四

あるとき、将軍・足利義満が
一休を試すべく、無理難題をもちかける。
「屏風の絵の虎が毎晩抜け出して
 往生している。虎を縛ってくれないか」

一休は縄を持って屏風の前に立って言う。
「では虎を捕らえましょう。どなたか、
 屏風から虎を追い出してもらえませんか」

少年一休の利発さを伝える、この種の挿話は、
江戸時代になって『一休噺』として集められ、
「とんちの一休さん」が一人歩きしていく。

だが、室町の乱世にあった現実の一休は、
幕府の庇護をかさに権威を振りかざす
禅宗に対する批判者として生きた。

ボロボロの法衣をまとい、なぜか、
腰に朱塗りの木刀をぶら下げていた。
生の魚も食らう。飲み屋にも花街にも通う。
法事の場でお経を唱える代わりに、
おならをして顰蹙を買ったりもした。

表では澄ました顔で仏法を説く坊主が、
裏では生臭い振る舞いに及んでいる。
一休はその放蕩無頼によって、
身をもって僧侶の腐敗を天下にさらした。
そんな意図を察した名もなき庶民は、
一休を生き仏と崇めるようになる。



一休さんの話 五

一休は、七十七歳のとき、恋に落ちる。
森(しん)、という名の、盲目の美女だった。
ふたりは小さな庵で同居を始める。

一休が遺した『狂雲集』という漢詩集に、
森との交情が謳い込まれている。

「森也 (しんなり) 深恩 (ふかきおん) 若 (も) し忘却せば 
 無量億却 畜生の身」

森の深い愛情を忘れたら、未来永劫に
畜生道に堕ちるでしょう、と。


crowbot
一休さんの話 六

一休は、ある年の正月、杖の先に
髑髏をぶらさげ、「ご用心、ご用心」と
唱えながら街を練り歩いた。

こんな歌を遺している。

「門松は冥土の旅の一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし」

元旦生まれのせいでもあるまいが、
めでたいめでたい、とひとが笑う日に、
一休は、人生の無常をつねに思っていた。

1481年、一休、死す。享年八十八。
臨終に際してこう呟いたと伝わる。

「死にとうない」

生涯、飾らず、奢らず、悟らず、
ありのままを生きた一休らしい、
未練の呟き。

topへ

厚焼玉子 11年12月25日放送



クリスマスプレゼント① 三人の博士

世界初のクリスマスプレゼントは
乳香、没薬、黄金。
星に導かれてやってきた三人の博士が
幼子イエスに捧げたものとされる。
それは誕生のお祝いでもあった。

三人の博士はどこから来たのかも定かではない。
もしかしたら遠い昔の伝説かもしれない。
しかしそれがきっかけで
クリスマスには贈り物を交換たり
貧しい人々に施しをする習慣が生まれた。

メリークリスマス
贈り物の数だけ
あなたのことを思う人がいる。



クリスマスプレゼント② デニス・ホープ

クリスマスプレゼントに月の土地はいかがですか、と
ロマンチックな提案をするのは
地球圏外不動産会社ルナエンバシーのCEOデニス・ホープ。

  不動産業とはいうものの
  扱うのが地球の土地ではないために
  いわばロマンを売るサービス業と言う方が正しいかもしれない。
   
デニス・ホープが売る月の土地は
1単位が1エーカー、サッカーグラウンドひとつ分で
権利書とカードのギフトセットで3700円。
すでにアメリカの元大統領やハリウッドスター、
NASAの職員もふくめて
いまや世界で130万人以上が月のオーナーになっている。

ロマンチックなアイデアをありがとう。
クリスマスは世界中がいい夢を見るように。



クリスマスプレゼント③ ジョンとヨーコ

1971年の12月に発表された
ジョン・レノンと小野ヨーコの
「Happy Christmas (War is Over)」は
「ハッピークリスマス」という
ジョンとヨーコのコトバからはじまる。

そのコトバを
「ハッピークリスマス、ジョン」
「ハッピークリスマス、ヨーコ」と思っている人は多いし
そう書いてある歌詞カードもあるのだが
実はヨーコではなく娘のキョーコであり
ジョンではなく息子のジュリアンだそうだ。

子供たちへのプレゼントだった
ジョンとヨーコの「Happy Christmas」は
1998年の12月、
世界へのクリスマスプレゼントとして
タイムズスクエアのビルボードに
こんなメッセージと共に掲示された。

  ”We can do it”というメッセージは今も有効です。
  もし10億の人々が平和を望むなら手に入れることができるのです。

素敵なメッセージをありがとう、
クリスマスは世界が平和であるように。


janwillemsen
クリスマスプレゼント④ 近商物産の初代社長

戦後の日本の子供たちは
クリスマスになるととりどりのお菓子が詰まった
サンタのブーツをもらった。

このサンタのブーツを考えたのが
滋賀でお菓子の容器を製造する近商物産の初代社長だ。

昭和22年、戦後の食糧難も緩和され
配給制の砂糖でお菓子の製造がはじまっていた。
宝くじの景品がキャラメルだった。
そんな時代の子供たちのために
お菓子を詰めたサンタのブーツを考えたのだ。

今年も200万本のサンタのブーツが
日本の子供たちに届いている。

メリークリスマス
クリスマスはすべての子供たちに笑顔を。



クリスマスプレゼント⑥ ルーズベルトとテディベア

合衆国26代大統領セオドア・ルーズベルトは
狩りが好きだったが
それは彼にとってはスポーツだった。
だから1902年の11月、
狩りに出かけた大統領は瀕死の熊を撃たなかった。
スポーツマンシップに反すると思ったからだ。
その数日後、ワシントンポストは
熊を撃たない大統領の漫画を掲載した。

翌年、ルーズベルト大統領のニックネームにちなんで
テディと名付けられたクマのぬいぐるみが
バーモント州のおもちゃメーカーから発売された。

同じ年、ドイツのシュタイフ社がつくったクマのぬいぐるみ
「55PBモデル」が大統領の晩餐会のディスプレイに使われ
こちらもテディベアと呼ばれて大ブームになった。

テディベアはいま
トップメーカーのシュタイフをはじめ世界中でつくられている。
毎年クリスマスになると
クリスマス限定のテディ・ベアが発表されるし
お母さんやおばあちゃんが作った
世界でひとつだけのテディベアをもらう子供もいる。

メリークリスマス
オトナも子供も大好きなテディベアは
大統領が撃たなかった熊からの贈り物だ。


UltimateGraphics
クリスマスプレゼント⑦ リチャード・バートンのプレゼント
 きみのためにこの世で最高のルビーを見つけてあげる

リチャード・バートンは
結婚したばかりの妻エリザベス・テイラーに約束した。

約束は4年めに果たされた。
1968年のクリスマス、バートンは
完璧な美しさを持つ8.25カラットのルビーと
それを取り巻くダイヤモンドの指輪を
エリザベスのプレゼント用靴下に入れた。

これを見たら何というだろう。
どんな顔をするだろう。

メリークリスマス
プレゼントは贈る人もわくわくと楽しい。


crowbot
クリスマスプレゼント⑧ 執事ジーヴス

少し間の抜けた若殿にお仕えする
完全無欠な執事ジーヴス。

イギリスのユーモア作家
ペルハム・グレンヴィル・ウッドハウスの小説に出てくる主人公だ。

執事ジーヴスの日本語版の本の帯にはこんな言葉がある。
「ご主人さま、どんなトラブルも私が見事解決してさしあげます。
 で、この品のない靴下は処分してもよろしいですね」

ところで、明日12月26日はボクシングデー
召使いはお休みをもらい、ご主人からのプレゼントを開ける日だ。

ジーヴスはどんなクリスマスプレゼントを
もらっていたのだろう。
完全無欠な召使いを持つのも気苦労が多い気がする。

topへ

小宮由美子 11年12月24日放送


sofafort
クリスマス・イヴの出来事  FM放送のはじまり

1957年、
世界初の人工衛星スプートニック1号の打ち上げに湧いた年。

東京の鉄塔から、まあたらしい電波が発信された。

JOAK-FMX

アンテナはテレビと共用。
放送時間は2時間。
音楽と人の声に希望を託したFM放送の幕開けは、
12月24日午後7時。
クリスマス・イヴのことだった。


Bundesarchiv
クリスマス・イヴの出来事  きよしこの夜

1942年の12月24日。
第二次世界大戦の戦地・スターリングラードで
窮地に立たされていたドイツ軍の陣地に『きよしこの夜』が響いていた。
ラジオから流れるその美しい旋律は、
命を賭して戦う兵士たちにとって束の間の休息となり、
ドイツ軍を包囲していたソ連軍の兵士たちも、
この日、攻撃を仕掛けることはなかった。

同じく戦地・ドレスデンでは、クリスマス当日は休戦となり、
ドイツ軍とイギリス軍の兵士が、エルベ川を挟んだまま
ともに『きよしこの夜』を歌ったという逸話が残る。

2011年12月24日。
今夜、世界中に響き渡る『きよしこの夜』は
だれの心を癒しているだろう。


ceronne
クリスマス・イヴの出来事  ラ・ボエーム

舞台はパリのカルチエ・ラタン。
貧しい屋根裏部屋で暮らす詩人・ロドルフォとボヘミアンの仲間たちは、
未払いの家賃の催促にやってきた家主を体よく追い出し、気勢を上げる。
カフェへ繰り出そう。今夜はクリスマス・イヴなのだから
そこへ、カンテラに灯す火を借りにあらわれたお針子のミミ。
美しい彼女を見初めて、ロドルフォは語りかける。

私は詩人
何をしているかって? 書いているんです
どう生活しているのかって? 生きているんです
楽しい貧乏の中で 愛と詩と歌を
王のように惜しみなく費やします(後略)

プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』の恋人たちは、イヴに出会った。
だから、運命の相手を探す人よ、
心を眠らせてしまっては、つまらない。
今夜は、奇跡が起きてもおかしくはない特別な夜なのだから。


janwillemsen
クリスマス・イヴの出来事  森鴎外

飾りつけをしたツリーの蝋燭に火を灯し、
大きなテーブルにプレゼントを並べる。
子どもが詩を暗唱し、
その後、家族そろってプレゼントの交換をする。

1888年12月24日。
ベルリンに留学中だった森鴎外は、ライプチヒに暮らすフォーゲル一家の
クリスマスの晩餐に招かれ、その時の様子を
『獨逸(ドイツ)日記』の中に詳しく書き残した。

19世紀のヨーロッパの、市民の典型的なクリスマスを体験した鴎外。
今よりもずっと遠い場所だった異国の地で、温かい家族の夕べに混ざりながら
鴎外の胸をよぎったのはどんな想いだったのだろう。

晩餐の響あり。

鴎外の、その日の日記を締めくくる言葉だ。



クリスマス・イヴの出来事  父親たちの仕事

南ドイツやオーストリアでは、子どもたちにクリスマスプレゼントを
届けるのは<幼児キリスト>を意味するクリストキント。
クリストキントは、人に見られないように細心の注意を払っているため、
姿は見えない。そのかわり、おともの天使が手にベルを持っているので
クリストキントの一行が来ると、微かにベルの音がするという。

だから、クリスマス・イヴの父親たち仕事は
こんなふうに子どもに語りかけること。
おや、玄関にこんな髪の毛が落ちていたけれど、
 これは、天使の髪の毛じゃないのかな

すると、子どもたちはクリストキントが来たことを察して
ツリーの飾ってある部屋に駆け込み、プレゼントを見つける。

大人になった子どもたちは「昔は、父親が玄関から拾ってきた金髪を
本当に天使の髪の毛だと思っていた」と懐かしそうに語る。

金髪の知り合いがいない父親のために、最近では
「天使の髪の毛」というグラスファイバーの毛も売られている。


Reckon
クリスマス・イヴの出来事  三船敏郎

俳優・三船敏郎が、アメリカのホテルに滞在した時のこと。
ある朝、同行していたひとりの脚本家が三船の部屋に入ると
テーブルにはずらりと並んだウイスキーの空き瓶、散乱する煙草の吸い殻。
三船と映画製作者たちの酒宴が真夜中過ぎまで続いたらしい痕跡に
目をやりながら、隣の部屋を覗いた脚本家は、ギョッと足を止めた。

三船敏郎が流しに立ち、グラスを洗っていた。
脚本家に気づくと、睡眠不足の血走った目で照れ臭そうに見返して、
だが、手は一瞬も休むことなく、山のようなグラスを洗い続けた。

放っておけば、後始末はホテルの従業員がやってくれる。
だが、三船にはそれができない。
目に触れる汚いもの、不潔なものを彼は見過ごすことができない。

一本気で、豪放磊落(ごうほうらいらく)。数々の武勇伝を残す一方で
見せる、極端なまでの潔癖さと、生真面目さ。
胸のうちに常軌を逸した振り幅を持つのが三船であり、その繊細なバランスの上に、俳優・三船の放つ力強い輝きがあるのだと脚本家は悟った。

世界の映画史に輝き続ける俳優・三船敏郎は、
1997年12月24日にこの世を去った。



クリスマス・イヴの出来事   星新一のショートショート

クリスマス・イヴの夜遅く。
家の主は、物音で目を覚ました。そっと起き上がり
懐中電灯と猟銃を手に、暗闇に動く人影に言った。「おまえはだれだ」
サンタクロースです
赤服に赤頭巾、白ひげに長靴を履いた初老の男を、主は警察へ突き出した。

警官は言った。「名前と住所を答えろ」
サンタクロースです
真面目な顔で答えた男を、警官は病院へ送り込んだ。

精神科の医者はたずねた。「ところで、あなたはいつ頃から、
自分がサンタクロースだと思うようになったんですか」
もの心がついた時からですよ
そう答えた男に医者は言った。「これは重症のようだ」
手荒い治療をしようとした医者の目を盗み、サンタクロースは逃げ出した。
さあ、早いところ帰ろう。こんな世の中になっては、
どうしようもない。プレゼントなど、くばる気になんかなるものか

これは、小説『クリスマスイブの出来事』のあらすじ。
ショートショートの神様と呼ばれた作家・星新一によるれっきとした
フィクションなのだが、現実の世界に起こっても不思議ではないような話。
今夜、本物のサンタクロースがこんな目に合っていないといいのだが。

topへ

なんじゃいと凄む猫

写真を撮ろうとすると
「なんじゃい」と凄まれてしまった。
目つきも鋭い。風格もある。
「猫仁義なき戦い」の映画が撮れるのではないか。

菅原文太、成田三樹夫、金子信夫、室田日出男
川谷拓三、山城新伍…
あんた、どの役やりますか(玉子)

topへ

薄景子 11年12月18日放送



男の美学 アルド・チッコリーニ

86歳のピアニスト、アルド・チッコリーニ。

多くのピアニストが
体を揺らしながら弾く大曲を、
チッコリーニは、背を少し曲げ、
楽器とひとつになったかのように静かな表情で弾く。

作曲家を自身の神として、宗教にも属さない。
彼の演奏には、美学がある。

自分の存在を消して、聴衆には
作曲家の表現に集中してもらいたい。

そのなめらかな音色には、
一点のくもりも、エゴもない。


J€RRY
男の美学 大森一樹

映画監督、大森一樹。
映画の道を思いながら医大にすすんだのは、
漫画家であり医学博士でもあった
手塚治虫への憧れから。

のちに大森は、自らの体験をもとに
医学生を描いた映画「ヒポクラテスたち」を製作。
小児科の教授役を手塚に依頼した。

医者はかぶらないからと
手塚にベレー帽を脱いでもらったとき、
「僕からベレー帽をとったのは、大森くんだけだ」
と憧れの人は笑った。

大森は確認する。

手塚さんは、この年齢で何を描いていたのだろう。

「生命とはなにか」をテーマに据え
ヒューマニズムをモットーとして漫画を描きつづけた手塚治虫。
その手塚に近づきたいと願うことが
大森一樹の美学だったのだろう。

topへ

茂木彩海 11年12月18日放送


chez_sugi
男の美学 夏目漱石

文豪・夏目漱石の代表作、「吾輩は猫である」。
猫の飼い主である珍野苦沙弥の家を訪れた美学者の迷亭が、
くるくる丸めて懐にしまえる不思議な帽子を自慢してみせる場面がある。
その帽子、パナマ帽。

作品に登場させるだけでは事足りないほど、
漱石はこの帽子を愛していた。

あるとき、「吾輩は猫である」の原稿料が入った漱石は
すぐに街の帽子屋へ行き、原稿料をそっくりそのまま使って
パナマ帽を買い、家の中で得意気にかぶっていた。

そこに訪ねてきた旧友がいた。
旧友は自分よりだいぶ上等なパナマを被っていた。
それを見た漱石は
「教師のかたわら1枚50銭の「猫」を書いているんだから
しかたないじゃないか」、と彼につっかかる。

パナマ帽で機嫌を損ねる漱石はまるで子供のようだ。
けれど、漱石はこんなこともいう。

愛嬌と云うのはね、
自分より強いものを倒す柔かい武器だよ。


Dr. Jaus
男の美学 土屋賢二

笑う哲学者、土屋賢二。
趣味はジャズピアノ。

40歳で初めてピアノに触れ、独学でレパートリーを増やした。

演奏する曲は『ラカンの鏡』『オッカムの髭』など。
哲学者としての美学を忘れない。

彼は言う。

ピアノの下手な弾き方など存在しない。
なぜかというと、
ほうっておいてもひとりでに実現してしまうことだからである。

鍵盤の上でも、彼はしっかり哲学をする。

topへ

小野麻利江 11年12月18日放送


s.alt
男の美学 穂村弘

私のような性質の人間は、
女性を自分の脳内で、勝手に女神にしてしまう。
そのためのきっかけは、至るところにある。

小心者で、妄想がたくましくて、
常に世界と、ちょっとだけずれている感じ。
歌人・穂村弘のエッセイは、
そんなエピソードに事欠かない。

自身が街で見つけた「運命の女神」を
つぎつぎと紹介してくれる様子も、じつに穂村らしい。

真夏に長袖を着ているひとをみるだけで、おっと思う。
本屋で同じ本に手を伸ばしたひとに、おっ。
電車のなかで立ったまま林檎を齧っていたひとに、おっ。
足首に包帯を巻いたウエイトレスに、おっ。(中略)
世界は女神に充ちている。

矢継ぎ早に「女神」を挙げたあとに、一転。
妙に冷静な、自己分析をはじめる。

結局のところ、自分は女性とのまともな関係を
求めてはいないのかもしれない。そう思う。

恋に恋する乙女のような、
男の美学が見え隠れ。



男の美学 カレル・チャペック

チェコの作家、カレル・チャペックは、
園芸を、土いじりを、こよなく愛していた。

しかし彼は、園芸マニアである以前に、やはり作家。
思いきり楽しみながらも、視線はどこか冷静。

いったい、何のために園芸家は
背中を持っているのか?
ときどき体を起こして、
「背中が痛い!」と
ため息をつくためとしか思われない。

そんなユーモアこそがチャペックの美学。
土を掘り、球根を埋め、水を遣る…
園芸家に課せられた果てしない労働を
笑いながら楽しんでいる。


webtreats
男の美学 開高健

開高健はいう。

諸君、男のファッションの究極は、紺なんだ。
いい紺を選びたまえ。

芥川賞作家、戦場のルポライター、美食の釣り師
人並み外れた経験を持つ人のコトバは説得力がある。

開高健が、いわゆる「男のファッション」に
興味を持ちはじめたのは
57歳になってからだというが
男の美学は、時間をかけて熟成されるのかもしれない。

topへ

茂木彩海 11年12月18日放送


銀星号
カメラ 小山薫堂

「ほら、ネコのひげまで鮮明に写る。
 ここでカメラのよしあしがわかるんだ」

仕事仲間が言ったこんな一言に感動して、
カメラにはまった。放送作家、小山薫堂。

実はカメラマンネーム「アレックス・ムートン」の名前も持つ。
ムートンはフランス語で「小山」。
アレックスは、アレックス・モールトンという自転車が好きだから。

この写真は、アレックス・ムートンだよと言って見せると、
2人に1人は「へえ、さすがだね」なんて
知ったかぶりするのが面白いという。
そんな小山の言葉。

「オレ、最近、自分に負けているな」と思うのは、
 新しいことをやっていないときです。

新しい挑戦が、新しい自分を生み出す。
それが彼の美学なのかもしれない。

topへ

渋谷三紀 11年12月17日放送



幸せを運ぶ男/サンタクロース

ニューヨークの新聞社に一通の手紙が届く。
差出人は8歳の少女バージニア。

サンタクロースっているんでしょうか。
手紙に書かれた子供らしいまっすぐな問いかけに、
ある記者が新聞を通じて返事を返した。

サンタクロースを見た人がいないことは、
サンタクロースがいないことの証拠にはなりません。

愛や、思いやり、そしてサンタクロース。
目に見えないものを信じることができたら、
人生は楽しく美しいものになる。
ひとりの子どもに向けて書かれたその手紙は、
サンタクロースを信じられなくなった
すべての大人たちへの手紙でもあったのです。



幸せを運ぶ男/佐々木則夫監督

ドイツワールド杯を制し日本中を沸かせた、
なでしこジャパン。
チームを率いた佐々木則夫監督は、
大変な愛妻家として知られている。

いまから20年ほど前、
病気で倒れた妻の看病に専念するため
サッカーを辞めようとした監督をひきとめたのは、
妻だった。

私のための人生じゃなくて、
あなたの人生なんだから、
大好きなサッカーを辞めないで。

夫としても、監督としても、
ぐいぐい引っ張っていくタイプではないだろう。
自分を捨ててでも、献身的に相手を支えるその姿が
女性たちの心を掴んできたことは、想像にかたくない。

ワールド杯の優勝はもちろん、
そばにいる女性たちとその人生を輝かせたことも、
佐々木監督の偉業なのだと思う。



幸せを運ぶ男 中原淳一

可憐な少女のイラストで知られる画家、中原淳一。

女性を見つめ描きつづけた中原先生は、
若い娘たちにこんなアドバイスをおくっている。

 誰が見ていなくても
 美しい寝まきを着て寝てください。
 それは昼間のあなたを明るく美しくしますから。

ほんとうの美しさは、しぐさや表情といった
普段の何気ない所作にこそ現れる。
美しいひとになりたいなら、
生き方が美しい人にならなければね。
中原先生からのやさしくもきびしいお言葉です。

topへ

岡安徹 11年12月17日放送



幸せを運ぶ男/メンデルスゾーン

結婚式では定番となった、
メンデルスゾーンの結婚行進曲。

もともとは、シェイクスピアの戯曲、
「真夏の夜の夢」に対して後年作曲された
劇付随音楽であることをご存知だろうか。

「真夏の夜の夢」の劇中では、
目を開けて最初に見た人を愛してしまうという魔法により、
男女の運命が翻弄される。

「結婚行進曲」が流れるのは、その魔法から解き放たれ
結ばれるべき者どうしが結ばれる結婚式の場面。

色んな恋を経験して初めて、真の愛が分かる。
そんなメッセージが聞こえてくるようだ。



幸せを運ぶ男/ヒュー・ヘフナー

プレイボーイ誌創刊者、ヒュー・ヘフナー。
85歳にして若い恋人をつくり続ける、
世界に名だたる正真正銘のプレイボーイ。

「プレイボーイとは別れ方が上手な男のことさ」
という言葉は彼のためにあるかのように、
破局を次の恋の始まりにしていく。

なぜ、彼はもてるのか。もちろん、地位や名誉も魅力のひとつ。
しかしなにより、若々しさというファッションで身を包んでいるからこそ、
若い女性とうまくいくのかもしれない。

一番最近別れた彼女は、60歳年下の25歳。
「僕より若い男達よ。じっとしていてはいけないよ」
そう、激励されているような気がする。

topへ


login