青森の陸奥湊の朝市の光景です。
こちら八戸のみろく横丁という屋台の飲み屋街。
男たちは旅をする/ 安藤忠雄
大阪から四国に渡り、九州、広島を巡って北上、東北へ。
建築家、安藤忠雄は20代のはじめ、旅に出た。
目的は、建築を見ること。
民家から県庁まで大小様々な建築の、
写真ではわからない細部を見て、
建築という仕事の面白さを味わった。
安藤は言う。
自分の思いを投げかけるのにこれほどすばらしい仕事はないなと思いました。
男たちは旅をする/ パウル・クレー
画家は時に、光を求めて旅をする。
スイス生まれの芸術家パウル・クレー。
30代半ばにして画家としての限界を感じていた彼は、
仲間とともに旅に出た。
行き先は、北アフリカのチュニジア。
彼が求めたものは、パリにはない光だった。
地中海の光が照らす小さな町で、
ついに、クレーは自分にとっての理想的な色彩を見つけた。
それはクレーにとって、画家としての希望の光であった。
当時のクレーの日記に、こんな一節がある。
色彩が私と一体になった。私は画家なのだ。
男たちは旅をする/ 伊丹十三
1965年、一冊の本が日本の若者に大きな衝撃を与えた。
その本の名は、『ヨーロッパ退屈日記』。
作者の名前は、伊丹十三。
当時俳優だった彼が、外国映画に出演しながら
パリやロンドンで暮らした日々の見聞をまとめた、
一冊のエッセイである。
まだ海外旅行が一般的でない時代。
スパゲッティの正しいゆで方、
アーティチョークという名前の野菜など、
伊丹が描くヨーロッパの姿は、一つ一つが新鮮だった。
そんな伊丹にとっても、
長い旅先の生活で、ホームシックと無縁ではなかった。
伊丹は、それが外国生活を仮の生活だと考えていることが原因だと考えた。
これは、そんな彼の言葉。
なるほど言葉が不自由であるかも知れぬ。孤独であるかも知れぬ。
しかし、それを仮の生活だといい逃れてしまってはいけない。
それが、現実であると受けとめた時に、
外国生活は、初めて意味を持って来る、と思われるのです。
『ヨーロッパ退屈日記』。
この本には、伊丹がヨーロッパと格闘しながら得た知恵が詰まっている。
男たちは旅をする/咸臨丸の水夫たち
咸臨丸と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
咸臨丸。江戸幕府の威信をかけて、太平洋を横断した船。
真っ先に浮かぶ名前は、艦長勝海舟。
同乗者に福沢諭吉、ジョン万次郎。
いずれも、帰国後日本の礎を築いた人々だ。
けれど、日本に帰れなかった者たちもいた。
苗字も持たぬ咸臨丸の水夫たち。
長崎出身の峯吉(みねきち)、香川出身の富蔵(とみぞう)、
そして源之助(げんのすけ)。
夜明け前の日本の夢を乗せて運び、
旅先で静かに息を引き取った3人の水夫。
歴史の試験に出てくることはないけれど、
文明開化の立役者である。
男たちは旅をする/司馬遼太郎
「アメリカに行きませんか」
新聞社の企画として、アメリカの紀行文の依頼を受けたとき、
司馬遼太郎は「とんでもない」と思った。
自分にとってのアメリカは映画や小説の中で十分。
安易に知らない国に出かけるのはどうも気が進まない。
けれど、友人のつぎの一言で、なぜか気持ちが変わる。
アメリカという国がなければ、この世界はひどく窮屈なんでしょうね。
司馬遼太郎は思った。
日本をふくめ、世界の人々はその国独自の「文化」に
いつの間にか、がんじがらめになっている。
そんな「文化」の対極にあるのが、アメリカが生み出している「文明」なのではないか。
ジーンズしかり、ハンバーガーしかり、ポップミュージックしかり、
どんな文化にも受け入れられるフォーマットが「文明」。
アメリカは歴史上久々に現れた巨大な文明発生装置だ。
興味がわいた。
少しだけ安易な気持ちになれた。
行ってみるか。
その心変わりがあったおかげで、私たちは、
名著「アメリカ素描」を読むことができる。
男たちは旅をする/椎名誠
本場のラーメンを求め、中国へ。
プロレスを観に、メキシコへ。
犬ぞりをしに、アラスカへ。
海を見に、ベトナムへ。
さまざまな理由を見つけては
あちこちに旅へと出かけてしまう作家、椎名誠(しいなまこと)。
自らを「旅する作家」と称するほど旅好きの彼に、
いままで行った中でいちばん好きな場所を聞いてみた。
いちばん好きなところは
やっぱりパタゴニアと新宿の居酒屋だなあ
あたらしい場所であたらしいものと出会えるのも、旅のいいところ。
いっぽうで、いつもの場所の大切さに気づけるのも、
旅のいいところかもしれない。
旅と男/倉岡裕之
山岳ガイド、倉岡裕之(くらおかひろゆき)。
世界の山々を旅した彼だが、
何度登っても山への不安は消えないのだという。
けれど、この不安感こそが大切なのだという。
心配するからこそ、
すべての危険を乗り越える解決策を見出す
不安は、試練を大胆に乗り越えるために必要なものなのだ。
男たちは旅をする/沢木耕太郎
「深夜特急」などの代表作で知られる作家、
沢木耕太郎(さわきこうたろう)。
彼は、あるときユーラシア大陸を旅した。
目的をもたず、期限も設けず。
いつを旅の終わりにするかは自分次第だった。
沢木は、旅を終えるにふさわしい場所を探していた。
そこが夢のような景勝地や桃源郷である必要はないが、
どこか心に深く残る土地であってほしい
そう思っていた。
そして、沢木の旅は
ユーラシア大陸のいちばん端、
ポルトガルのサグレスという町で終わりをむかえる。
水平線にはいままさに昇ろうとする朝日が輝いていて、
そこで朝食を食べていたときに、
ふと「帰ろう」と思ったのだという。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.